[12448]
また戸田先生は言われた。 「広宣流布は、思想戦であり、言論戦だ。
書きに書かねばならないし、しゃべりにしゃべりまくらなければならない作業であり、大運動なのだ」と。
どんどん書け。 しゃべりにしゃべれ。 黙っていてはいけない。 言うべきことは、強く言い切っていけ。
それでこそ、広宣流布は進むのだ、との戸田先生の厳命である。
偏見や無理解の壁を破る“正義の大砲”である。
功徳は他から与えられるものではない <功徳は行動に備わる>
善の「行動」そのものに「功徳」は備わっている。
日蓮大聖人は、
「六根清浄」によって「功徳」はあると言われている。
「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意根)」が「清浄」になるとは、我が生命の浄化です。
生活上のさまざまな功徳も、自分目身の生命が、浄化された分だけ、
依正不二で、さまざまな幸福の現象として現れてくるのです。
大聖人は
「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」とも言われている。
自分自身の生命の「悪」をなくし、「善」を生みだしていくのが「功徳」です。
そうなるためには、折伏です。折伏とは「悪」を破折して、「善」に伏せしめることです。 「法華経の智慧」
大聖人は 「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて
南無妙法蓮華経とうちとなへ唱ゐ居させ給へ、これあに自受法楽にあらずや」と仰せです。
苦楽は九界であり方便。 妙法を唱えるのは仏界であり、仏の真実の智慧の世界です。
信心が強ければ、マイナスは即プラスであり、罰も即利益なのです。
人生のうえに起こる一切が功徳なのです。 「法華経の智慧」
妙法のために行動した功徳は、自分だけでなく、父母、兄弟など、
すべての縁ある人々の成仏への力となっていく。
ゆえに「一人」が立てばよい。一切は「一人」から出発する。「一人」の勇気と確信の信心で決まる。
人の幸福を祈れば、その分、自分が幸福になっていく。人の健康を祈れば、その分、自分の健康も守られる
――これが妙法の不思議な力用である。
「利己」と「利他」のどちらに力点があるかで、人間の偉大さは決まる。
信心が本物かどうかも決まる。 (1993年4月の全国青年部幹部会)
断じて悪と戦うことである。極悪と戦えば、極善になる。
反対に、悪を許せば、自分が悪になってしまう。また、悪と戦わなければ功徳が出ない。
悪を責めることによって自分自身の濁った生命も滅し、清らかな心が生じる。
これが「功徳」である。 (2000.11.20九州最高協議会)