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『我が身の仏性を顕すことが目的である。そのためにこそ妙法を唱える。
御本尊を信じて、唱題する修行に、全ての修行が含まれている。
唱題行が、そのまま成仏の直道となる。
それ以外の、形式にとらわれた修行は、枝葉の修行であり、
かえって信心を邪魔するものになってしまう。
題目の声には大きな功徳があると、大聖人は仰せである。
真剣に唱えゆく福徳は、計り知れない。
体も心も頭脳も、その秘めた力を限りなく発揮しはじめるのである。
日蓮大聖人は、教えてくださっている。
それは、あたかも「子どもが母のお乳をすうのに、その味(中身)を知らなくても、
自然に、その身に利益を得る(成長していく)」(P341)のとおなじであると。
妙法を唱え、我が身に仏の生命を湧現していく、崩れざる真実の幸福感である。』
毎日、題目を唱え続けることが 出来るかどうかが、信心している基準だと思います。