宿坊の掲示板
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[12198]

題名:3月度・第51回教学研究会のご案内です。(続き)

名前:教学研究会広報部

◇fFCqRFc0cU
MAIL 投稿日: 2025/02/17(月) 08:31 2a03:e600:100::2(IPv6:) (2a03:e600:100::2)

【英霊の聲、あらすじ】
神がかり、降霊会に出席した「私」はとんでもない現象に遭遇する。現れた霊は、二・二六事件の将校と神風特攻隊の死者が、本来、神であるべき天皇の裏切りを、悔し涙とともに糾弾したのだ。「などて、すめろぎ(天皇)は人間(ひと)となりたまいし」、詩的な表現でこの言葉を繰り返す。
降霊会は盲目の霊媒師、川崎君が激しい呼吸の後、絶命することで終わる。彼の死に顔は、何者とも知れぬ「あいまいな」様相として「私」の目には映った。

その死に顔は昭和天皇の顔を意味するとされる。天皇は神でも神秘でも「祈りの対象でもなく」、人間になったのだった。
三島は、“英霊たちにとって天皇は、純粋な愛国心が結晶した存在、現人神(あらひとがみ)であって、だからこそ命をささげたのだ。にもかかわらず、天皇は戦後、取り巻きの老臣たちの「『国民が陛下に対し奉り、あまり神格化扱いを致すものでありますから、今回のように軍部がこれを悪用致しまして、こんな戦争をやって遂に国を滅ぼしてしまったのであります。この際これを是正し、改めるように致さねばなりません」との言葉をよしとして「人間宣言」をしてしまった。こんな裏切りを英霊たちは、到底赦すことが出来ない”と言いたかったのだ。

戦後の日本には、英霊たちが命を賭した大義は抜け殻となり、単純な効率主義、浅薄な常識によるフツー(普通)化政策によって、「ニュートラルな」「からっぽ」、要領だけは良い成金、見栄えの良いタテマエしかあとには残ってはいない、と言いたかったのだ。

➆後半講義:【前回途中で終わったところからの続き】
『創価学会教学要綱』論争を徹底検証する・第4弾!! 「信仰の対象である本尊や教義が定まっていない!」と宗門からもコケに!!

今回は『創価学会教学要綱』をめぐる論争の考察第4弾として、「20250111・合体版〈【男】+ 【須】+【男反】+【金原】+【波】〉」の残りを終わらせた後、日蓮正宗宗務院教学部・「『創価学会教学要綱』の欺瞞を破す―教義改変の実体―」を取り上げて、『教学要綱』論争をさらに掘り下げていきたいと思います。

宗務院文書と須田晴夫氏文書を比べて気づくのは、『教学要綱』が前半で述べている大聖人観や法華経観、人法一箇論、三宝論などについては、須田氏も宗門教学部も似たような批判を加えています。違いといえば、宗門教学部がすぐにワープして戒壇本尊と法主の血脈に落着するのに対して、須田氏は、『法華経の智慧』の人間主義の論調でじっくり反論を加えています。

私は、宗門のいう「戒壇本尊」を池田先生時代の御祈念文にあった「一閻浮提総与の大御本尊」「三大秘法の大御本尊」と置き換え、宗門のいう「血脈付法の歴代法主」を「創価学会の三代会長」に置き換えれば、宗門の主張は、おおむね妥当なものになるのではないかと思っています。

宗務院文書と須田氏文書の大きな違いは、前者が『教学要綱』の後半部分を取り上げ、詳細に反論しているのに対して、後者は、ほとんど取り上げていません。『教学要綱』の後半が宗門と学会の抗争の歴史について述べているので、宗門としても、反論せざるをえなかったものと思われます。そこには、宗門の信徒に向けて、“富士の清流”を再度アピールする狙いもあったと思います。

第一次、第二次の宗門問題の復習の恰好のテキストにもなるので、ぜひ読んでみて、宗門の言い分をどう破折するか、お考えください。

以上です。




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