[12197] 題名:3月度・第51回教学研究会のご案内です。
名前:教学研究会広報部
◇fFCqRFc0cU
MAIL
投稿日:
2025/02/17(月) 08:29
2a06:1700:3:19::1(IPv6:) (2a06:1700:3:19::1)
3月度・第51回教学研究会のご案内です。
入室情報は、改めてお送りします。
・日時:3月1日(土)午後8時から、zoom会議室で。
・参加申込方法
①教学研究会のグループLINEのメンバーは、当日のzoom会議室の入室情報や資料等は、グループLINEで、お知らせしますので、改めての参加申込は不要です。
②初参加の方は、お手数ですが、当研究会のホームページの参加申し込みフォームから、お申し込みください。
https://kyogaku-labo.com/request
zoom会議室の入室情報や資料等を受け取るために、メールアドレスの記入が必須です。
毎回、冒頭に初参加メンバーによる簡単な自己紹介をお願いしています。よろしくお願いします。
また、参加後にグループLINEにご招待しますので、ご参加をお願いします。
③なお、初参加の方やハンドルネームに変更がある方は、今回は○○○で入室します等、事前にメールやLINEでお知らせくださるよう、お願いいたします。
・式次第及び内容等。
レポーター:神奈川の壮年部メンバーと波田地の2本立てです。
司会: 神奈川の壮年部メンバーです。
・当日の流れ:
①司会の第一声および自己紹介
②初参加メンバーの簡単な自己紹介
➂神奈川の壮年部メンバーによる体験発表
④七ツ星さんによる「スラップ訴訟」報告
⑤音声や映像を視聴しようコーナー(^_^)/
「原田会長が世界的有名人とダブルピースの記念撮影!!
女性部幹部と夫婦気取りのにやけた記念撮影も!
――こんな男が会長でいいのか!!」
──休憩──
⑥前半講義:「三島由紀夫と創価学会――
『私も創価学会をやりたいけど、時間がないんだ』が最期の言葉」
by波田地
──休憩──
➆後半講義:【前回途中で終わったところからの続き】
『創価学会教学要綱』論争を徹底検証する・第4弾!!
「信仰の対象である本尊や教義が定まっていない!」
と宗門からもコケに!!
by 波田地
……………………………
【解説】
⑤音声や映像を視聴しようコーナー(^_^)/
「原田会長が有名人とダブルピースの記念撮影!!
女性部幹部と夫婦気取りのにやけた記念撮影も!
――こんな男が会長でいいのか!!」
今年の正月、世界的に有名なSGIメンバーのオーランド・ブルーム夫妻が、信濃町の学会本部を訪問し、原田会長らと記念撮影した写真が、ブルームのインスタグラムにアップされ、話題を呼んだ。
https://t.co/VZipQ78Bov (これの3番目、3/9)
会員に見せたことのない会長の満面の笑みとダブルピースの写真である。
今回は、女性部幹部と夫婦気取りのにやけた写真や池田先生気取りのポーズをとったクリアファイルの写真など、原田会長の人間性が伺われる写真の数々を特集する。
⑥前半講義:「三島由紀夫と創価学会――
『私も創価学会をやりたいけど、時間がないんだ』が最期の言葉!」
今年は昭和100年(戦後80年)、そして作家・三島由紀夫の生誕100周年にあたる。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/articles/20250112-OYT8T50003/
「三島由紀夫と創価学会」というと、唐突な感じがするかも知れないが、実は、意外に深い関係や交流があったのである。
一つは、北条浩第4代会長と三島は、学習院初等科の同級生で親友であった。のちに二人は、月刊誌「日本」1965年2月号で対談しています。
「われら不思議な同級生──対談・北条浩vs三島由紀夫」
この対談の最後では、こんなやり取りが。
「三島 僕が創価学会に入れば、作品が充実して、立派な作家になるという言葉を君からもらったことがあるんですがね。
北条 あとの指導が大変だよ。いいよ、入会しなくても(笑) むしろ入らないでもらいたいね。(笑)」
その三島が自決(1970年11月25日)する1週間前に、月刊誌「潮」の編集長で、当時、創価学会文芸部長だった志村栄一氏のところに、「潮のグラビアで僕の特集を載せてもらいたい」と言ってきた。それで志村氏は、三島の最期の1週間、密着取材した。その時、三島は「自分も創価学会をやりたいんだ。でも時間がない」と言っていたと言います。
11月25日、突然、テレビに三島が演説している姿が映ります。これを見た志村氏は、潮出版社がある飯田橋からタクシーに乗り、5分で市ヶ谷の自衛隊基地に駆けつけた。
すると、三島の師匠にあたる川端康成も、三島の説得のため駆けつけてきた。川端とも旧知だった志村氏が警備の自衛隊幹部に掛け合い、「この方は、三島の師匠の川端康成さんです。三島の説得に来ました」というと、2人だけ中に入れてくれたといいます。
そして、三島や楯の会のメンバーが立てこもっていた総監室の近くまで行くと、川端は腰が抜けて先に進めなくなり、志村氏だけが、隣の部屋に入った。そこから、立て篭もっていた部屋の中が見えたそうです。
すると、ちょうど三島が割腹自殺しようとする瞬間でした。三島が短刀で腹をカッさばくと同時に、介錯人の森田必勝の太刀によって切り落とされる瞬間だったといいます。
一太刀で首が落ちなかった三島は、もう一度、体勢を持ち直した。第二刀は背にのめりこみ、身体を傾斜させ、突伏すのをかろうじて支えながら、第三刀の介錯で首が落ちたといいます。この瞬間を目撃した貴重な証言者の一人が、創価学会の文芸部長だったというのも、何かの因縁ですね!
志村氏は、「仏教大学講座_03 志村栄一・『近代日本文学と仏教思想』」の中で、この時の模様を詳しく語っています。と同時に、三島が最期の1週間、創価学会について語っていたことも綴っています。
「私は何も信じていないが、ただ、何を信じようと各自の勝手だということはありえない。真に信ずるに足るものを信じなくてはならない。これは自明のことである。真に信ずるに足る人生の支点はいくつもあるものではない。唯一つしか存在しない。そこに選択の余地などありえない。ましてや信ずることに、寛容など入り込む余地はない。信仰者がひときわ寛容であるのは、社会的行動においてであって、信仰そのものにおいてではない。ひとは、創価学会は非寛容で、排他的というが、それが信仰の正しいあり方と思う。信仰には、唯一絶対なる実在においては、有無を言わさぬ厳格さが当然である。ただし、信仰者が、実生活の行動において、非寛容であり、社会の普遍的価値に対してまで、排他的であることは、ドグマの支配であり、逆に信仰自体を否定する。ドグマの世界は、政治と芸術で十分だ。」
講義では、三島由紀夫が一晩(自動書記)で書き上げたという『英霊の聲』という作品を取り上げ、今の原田学会が『教学要綱』等でやっていることの意味を考えてみたいと思います。
つづく