[12160] 題名:先生指導(抜粋)です。
名前:末端信者
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投稿日:
2025/02/12(水) 08:56
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私は、人間革命の姿は、宿命打開なり、生き方の変革、社会的姿勢の変革に、
事実としてあらわれてこなければならないと思っている。
そこにこれからの課題もあるし、百万言を尽くすよりも、
その人間の事実の姿に勝るものはない――といいたい。
仏法とは人間の生き方の哲学である。
正論を正論として聞ける(聞)ということも、信ずることの尊さ(信)も、
生活を律する力(戒)も、自らを支える精神の基盤があるということ(定)も、
たえずはつらつと向上していく息吹(進)も、人々のために尽くすということ(捨)も、
自ら人生を省み次への発展を期すこと(漸)も、
どれ一つとっても、人間としての輝きをもっている。
人間存在とは、かくあるべきもの、またかくあらねばならないものなのです。
人間革命が、生命の奥深くから発するとするのが仏法の発想です。
口でいかに人間らしい行動を唱えようとも、それは根無し草のようなものであって、
仏界という生命の淵源から発するものでなければならないとするのが、
仏法の考え方だ。
たとえば仏法で説く”魔”という存在も、じつは生命の働きを表現したものだが、
この魔のなかに「慈悲魔」というのがある。
つまり表面的には慈悲の装いをもっていても、
じつはエゴのかたちを変えた生命の働きをさす。
このように人間生命の変化相は、
慈悲さえも変質させうる要素をもつほど不安定で複雑です。
これを仏界の湧現によって絶えず、
いい方へ、いい方へと復元させていくことこそ肝要だ。