[1212] 題名:人間革命
名前:FT
◇S3OiZExQd2
MAIL
投稿日:
2022/11/21(月) 12:15
p245.net042127101.tokai.or.jp (42.127.101.245)
師匠が何が大事で何を言われているのかを苦労して闘う事もせず、わかろうとももせず、謙虚さの一欠片もなく組織の形だけの最高幹部から会員までがその師匠に対して愚痴、文句、悪口、疑問、不信に思った事をその相手の前で直接言えずただ卑怯にも陰で言う。自分が「本当の幸せ」になりたいんだったら正々堂々とその師の前で言えばいい。決して恥ずかしい行為ではない。その場にいたんだから。だが臆病で見栄や虚栄心があるから言えない。誰の前でも自分を繕い、良く見せようと裸になれない。愚かだ!!
システムがどうのこうのと言うのは、只の言い訳だ。誰がそんなシステムを作った?誰も作っちゃいない!!臆病で勇気がなく怖いからだけだっ!!その己心の魔との闘争もなく、自分を成長させる気もなく、自分可愛さで、自分を傷つけないように自己中心な臆病な自分を誤魔化し、逃げ、その自分を正当化する為に嘘をつき人の責任にし悪者にして、そして一番大事な人間革命から逃げる行動をとる。正しく愚かでありそれは卑怯である。それは犬が尻尾を丸めて逃げる負けたその姿そのものだっ!!
この大聖人の仏法を信じていき生きていく事は、己心の魔との闘争に打ち勝ち続けなければ不可能だっ!!そこには師弟が、不可欠だと大聖人が言われている。
そして池田先生は『わが胸中に“師弟不二の太陽”が昇れば、その瞬間から大変革が始まる。打開できない宿命はない。打ち勝てない戦いなどないのです。
仏法で説く境涯革命の因果とは、現実的には、師弟がなければ実現されません。「妙法の因果」とは、いわば「師弟の因果」です。弟子は「因」です。師匠は「果」です。弟子の自覚に一切の因がある。
「開目抄」においても、大聖人は「法華経の行者」としての勝利を示されることによって、弟子が敢然と立ち上がることを促されています。
弟子の勝利が師匠の勝利である。師匠の勝利は弟子の勝利です。これが仏法の甚深の方程式であり、「師弟不二」の真髄です。』
師匠と弟子『日女御前御返事』の一節に、
『此の御本尊全く余所(よそ)に求(もとむ)る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是九識心王真如の都(くしきしんのうしんにょのみやこ)とは申すなり』〈御書 1244p〉。そして『此の御本尊も只信心の二字にをさまれり』〈同ページ〉とあります。
日蓮仏法が、どれほど深遠に、どれほど明晰に、生命の尊厳を解き明かしているか。妙法を信受(しんじゅ)した、この私たちの命それ自体が、根本尊敬(こんぽんそんぎょう)の当体であるとまで、示されているのであります』と言われている。
師匠の中の仏界そして弟子の中の仏界!!
別々ではなく二つではないんです。これが師弟不ニのそして大聖人の仏法の真髄なんです。