[12039] 題名:先生指導(抜粋)です。
名前:末端信者
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投稿日:
2025/01/29(水) 05:03
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広宣流布の機関紙である、わが「聖教新聞」の未来のために、
歴史に残る一人の新聞記者について紹介しておきたい。
敢然と反軍国主義を貫いた言論人、桐生悠々である。
桐生悠々は一八七三年、石川県の金沢で生まれた。
長野の「信濃毎日新聞」、名古屋の「新愛知新聞」の主筆などを務め、
どの地にあっても政治を厳しく監視し、不正を糾弾する論陣を張った。
「信濃毎日新聞」時代には、軍部の政策を批判した論説「関東防空大演習を嗤ふ」
(一九三三年〈昭和八年〉)が、軍人たちの逆鱗にふれ、不買運動をはじめ、
さまざまな形で弾圧される。
彼は新聞社を去らざるをえなくなり、
名古屋の地で、個人雑誌「他山の石」の刊行を開始するのである。
″信念を貫くためには、「一人立つ」以外にない″
――その時、彼は六十歳であった。
「他山の石」は、発禁に次ぐ発禁。生活も苦しくなった。
また、重い病に侵され、健康状態も日に日に悪化していった。
しかし、それでもなお、彼は一歩も引かずに、ペンをとり続けた。
そして、太平洋戦争が開戦する直前の一九四一年九月、生涯を閉じたのである。
六十八歳であった。その不屈の歩みは、言論史上の偉業と讃えられている。
彼は、発禁処分を受けた文章で、喝破している。
「威張るものは、大抵弱いものである」
そのとおりである。本当の実力のない者ほど、威張る。
権威を盾に、正義の人を妨害する。そして、真実を歪めようとする。
古代ギリシャの哲学者へラクレイトスは、
「傲慢を消すことは火災を消す以上に急務である」と述べている。
また桐生悠々は「国家あっての人民ではなく、人民あっての国家である」と訴えた。
有名な言葉である。民衆の幸福を追求する政治を、言論を! これが彼の信条であった。
ある時は、悪質な一記者の中傷に対して徹底的に反撃し、
紙面を挙げてその悪行を糾弾した。
あまりにも極端ではないか、との批判に対しても、次のように反論した。
「獅子は一頭の兎を打つにも全力を挙げると聞く。微々たる一小悪徳記者といえども、
全力をあげて膺懲(=こらしめること)せなければ、
生残するおそれがあったからである」
また、「私たちは『先手を打つ』て、他をリードし、他を引ずらねばならない」と訴え、
ジャーナリストの使命は、権力の先手を打ち、警鐘を鳴らすことだと力説した。
私が何度もお会いした中国の文豪・巴金先生は言論人に呼びかけた。
「(=われわれは)ぺンを武器にして、真理を顕示し、邪悪を糾弾し、
暗黒勢力に打撃をあたえ、正義を主張する力を結集させることができるのです」
広布に進む私たちもまた、言論の力で勝つ。
「聖教新聞」は、つねにその原動力として、
民衆のための言論戦に先駆していただきたい。