[11971] 題名:日本を威嚇したペリー、しかし1年後にやって来ると
名前:霞ヶ関リークス
◇F0RzX/K5nI
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投稿日:
2025/01/23(木) 19:35
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1953年、ペリーが浦賀に来航。
一般的に、「威嚇された日本は泣く泣く開国した」
と言われています。
しかし日本の歴史家でアメリカ人の
マックス・フォン・シュラー氏はこう言います。
「じつはアメリカ人も日本を恐れたのです」
(ビジネス社『日本を弱体化させるワシントンの陰謀を潰せ!』)
なぜ、ペリーらは日本人を恐れたのでしょうか?
以下、
ビジネス社『日本を弱体化させるワシントンの陰謀を潰せ!』
から一部を抜粋。
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1853年にアメリカのマシュー・ペリー提督が、
黒船4隻を連れて日本に来ました。
このとき日本人は黒船を見てアメリカを恐れましたが、
じつはアメリカ人も日本を恐れたのです。
日本人が自分たちより、
はるかに優秀な民族だったからです。
たとえば識字率です。
江戸時代の日本には寺子屋があったから、
国民の8割が文字を読めました。
一方、当時のアメリカの識字率は4割しかありません。
アルファベットは26文字しかないのに、
読めない人が6割もいたのです。
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さらに、ペリーが2度目に日本にやってきたとき、
驚くべきことが起きていました。
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またペリーは来日に際し、
鉄道の4分の1模型や銃など、
いろいろなプレゼントを日本に渡しました。
その翌年にぺリーは前回よりさらに多い、
16隻の艦隊を連れて来日します。
このとき日本人は、
新しい蒸気機関車を自作していたのです。
プレゼントされた鉄道模型のエンジンをばらし、
研究して自分でつくれるまでになった。
銃に至っては、アメリカ製より
優れたものをつくっていました。
これにショックを受けるのです。
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戦国時代も、鉄砲の生産数は
実は日本が世界最大だったという話はありますが、
日本人がなんでも自分のものにしてしまう技術力に
ペリーは驚愕します。
そして、
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そうした日本人の能力に恐怖を感じたのです。
そこで「日本人は黄色人種だから、白人より下」
と考え、恐怖から目を背けることにしたのです。
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こうして日本を敵として恐れたからこそ、
その日本を封じ込めるために、
さまざまな謀略を仕掛けたというのです。
例えば、
○カリフォルニアで日本人を排斥
○日英同盟破棄工作
○石油禁輸と戦争工作
そして終戦後もアメリカの謀略は続きます
プロパガンダによる「日本人の洗脳」です。
例えば、こんな言葉を
聞いたことがありませんか?
○大東亜戦争の際、日蓮正宗を国家が弾圧し、創価学会を弾圧し、二度の原子爆弾の
投下をされております。
一発は九州、一発は広島。日本の国が正法を誹謗した報いです。
(大白蓮華、昭和34年6月号)
○「終戦には原爆投下が必要だった」
しかし「こんな事実」を知れば、
それが嘘だということは明らかです。
原爆投下を決めたトルーマン大統領(当時)には、
広島・長崎への投下以外の選択肢が
ほかに5つもあったということを、
アメリカの海軍軍人ですら、
原爆投下には反対していた
ということを、
原爆投下が、ソ連参戦(8月9日)の直前に
行われた理由を、