[11858] 題名:桃太郎さん
名前:霞ヶ関リークス
◇5WBnmh.AZo
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投稿日:
2025/01/14(火) 17:53
2001:ac8:88:2000:8e28:d35d:e7ba:7e0c(IPv6:) (2001:ac8:88:2000:8e28:d35d:e7ba:7e0c)
<<広宣流布の為に命をかけて戦った者にしか分からんという事。>>
蓮師の行動は引用される折伏・摂受の経釈には当てはまらないこと。
(執持刀杖斬首=折伏、不称長短=安楽行)
開目抄全般の文意は摂折にあるのではなく、自身逢難の説明となっていること。
以上の点から開目抄は読まれてしかるべきです。
聖人は封建の二本の柱、天皇と武家の対象が法華経を持つことを目指された(
折伏)、その結果、本門の本尊(教主釈尊像、四大菩薩像)を祀る堂宇を建立
することになるという構想はあったかも知れません。
そして、その場所を中心にすれば、国は災禍を逃れ、鎮えに安国となるという
お考えもあったでしょう。しかし、これは聖人、または聖人の遺志を継ぐ弟子
(僧侶)と封建統治者(天皇・武家為政者)における課題であって、在家信徒
の義務では元よりないでしょう。
「広宣流布の遺命」があるとすれば、それは在家に対してのものではありません。
偏に聖人の弟子、その弟子(僧侶)に託された命(めい)であるはずです。そ
れは在家に与えられた職分ではないのです。
在家の御身は、但余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給ふ
が肝心にて候なり。それも経文の如くならば随力演説も有るべきか
とは、真跡がないまでも、富士門も真筆の如く扱う一節でしょう。
在家分は日々にお題目を唱えること、僧侶は妻子眷属を捨て、命を捨てて、天
皇・為政者を折伏して戒壇を建てさせること、これが元来の富士門の考えでは
ないでしょうか。
為政者に取り入れられて出先機関になれ(寺請制度)は富士門の教えではない
ことは明らかです。
在家が漫荼羅を書くことがないように、天皇為政者の折伏・戒壇堂の建立は僧
侶がやるべき仕事、在家の折伏とて僧侶がやるべき仕事でしょう。そのような
僧であればこそ、供養することも肝心となるのでしょう。
その本来の僧侶の職分を在家が肩代わりするところに今日の混乱があるのでは
ないでしょうか。
職分を濫した在家が言う折伏は折伏になっておらず、広宣流布も広宣流布にな
っていません。また、在家に肩代わりさせて上前だけをはねようとする石山僧
の、今の有様は仏教を商う売僧であると言うのです。
故に「能仁の後は施を止む」という聖人の教えに従い、心でも、財でも供
養をなさないのです。
石山で語れば、広宣流布は、ただ目師一人の職分であるというのが郷門より容
れた伝説です。
つまり、他の僧侶、仮に石山住職であっても、その仁ではないというのです。
目上遺言に曰く 此の申状奏せずして終に臨終す 此の土の受生 所用無しと雖
も 今一度人間に生れ此の状を奏す可し 若し此の状奏間の人未来に於て之れ有
らば 日目か再来と可し知る
つまり、未来広宣流布は日目がもう一度再誕して行うことというのが中古以降
の興門の認識であったはずです。
それを在家の長が勝手に行い、おまけに折伏の対象を変えてしまい、さらには
広宣流布するものまで取り違えて、自分に与えられたものでもない「遺命」を
振り回す、まさに、ここに一切の混乱があると思います。