[10692] 題名:シン・広宣流布8
名前:ジョーカー
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投稿日:
2024/10/04(金) 19:59
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創価学会の活動家と未活動家を、差別的にとらえることは間違いの元となる。これは、「幹部が上、会員が下」「僧侶が上、信徒が下」と同レベルの過ちと言える。世界宗教構築の上で、まったく通用しない論理であり、少子高齢化よりも遥かに組織を衰退させる因であることを知らねばならない。
創価学会の構成(あえて立て分けるなら)として、2割活動家、8割未活動家というのが、大体の組織の実情でしょう。活動家の中でも、自分の思いで、心から行動している人もいれば、打ち出しがあるからやっているという人もいる。そういう意味で、純粋に信心活動に励めている人というのは、会全体の数パーセントといったところでしょう。
仏道修行の根幹は「聞く(聴く)」こと。聞くというのは一番エネルギーのいる作業であり、高度です。これを簡単に考えてはいけない。聞いているつもりでも、全然聞けていないことが多い。また、聞こうとしていない人には、誰も話をしようとは思わない。最悪なのは、「お前が言うな、やってから言え」思考の持ち主である。
お前が言うな・やってから言え思考は、誰が言っているかにフォーカスしているだけであり、感情論そのもの。そこには何の価値も生じず、内容が吟味されることもない。誰が言っているのかと、何を言っているかは立てわけないと、発言権がある人は極少数に限られてしまう。これは、民主主義崩壊の元となるので要注意だ。
活動家が上、未活動家が下という思考の持ち主が、どれほど家庭訪問しようと、その差別的な思考は会話の節々に顕れてしまう。相手の立場や信仰歴等関係なく、一人間、一信仰者として接すること。これが、家庭訪問の基本中の基本である。少しでも未活動の人を下に見る生命があるのなら、そこが自身の人間革命のポイントです。活動家が陥りやすい、差別性・傲慢性というのが、広宣流布を妨げている要因であることに気づくことが、戦いの第一歩です。
聞くことは高度であるが、伝えることもまた高度である。人間は感情の動物なので、何か物申すときは、相手の面子を潰さないことを心掛ける必要がある。そこがないと感情論となり、「お前が言うな、やってから言え」が発動し、不毛なやりとりに陥る。立場関係なく、お互いがお互いを尊重していくのが対話の根本です。
不軽菩薩の精神を体し、人間主義を掲げる世界宗教の創価学会においては、差別の心を排し、誰でも率直に意見が言える環境であることを望みます。そうでなければ委縮し、誰も何も言えなくなる。誰が言うかは説得力だけの問題であり、何を言っているかが重要。敵・味方、活動家・未活動家等の概念で人を観ていると、バイアスかかりすぎて、まともに話を聞くことができなくなる。それでは仏道修行にならない。
創価の人間主義というのは、言い換えれば「誰にでも発言権がある」ということ。それには、「受け止めてもらえる」「聞いてもらえる」という信頼が前提になければ成り立たない。逆に、「批判」「愚痴」「文句」「団結を乱す」「魔」等、圧力をかけるならば、前提条件が崩れる。時代は何でも言える心理的安全性を求めているし、創価学会はその最先端にいてほしいと願っている。
今一度、原点である「一人を大切に」に立ち還り、具体的にどういうことかを吟味していく必要がある。もちろん自分自身も含め、学会活動、家庭訪問の在り方等、再点検していきたい。言うは易く行うは難しであることは言うまでもない。私個人としては、活動家・未活動家という概念は捨てている。差別意識は、人物を見誤り、ひいては、信心をも見誤ることにつながりかねないからだ。それが、私が学会活動から学んだことの一つである。