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【拡散希望】
京都乃鬼新聞
2024.9.30
★本紙スクープ★
🟰創価学会が日興門流から離れ身延派と同化していったならば、仏法消滅となる!
須田晴夫氏、炎の叫び!🟰
『法華経の智慧』で池田先生と対談者の一人である須田晴夫氏が創価学会原田会長に創価学会教学要綱について書簡を送っていたことがわかった。
注目すべきは昨年発行された『創価学会教学要綱』が「創価学会の教義書としては不適切である」と断じている点である。
須田氏が創価学会の教義として不適切だとしてるのは主に2点で
①日蓮を「釈迦仏の使い」としている点が日蓮宗身延派教義と同じである
②「一大秘法」と「法宝」の解釈が日蓮宗身延派教義と同じである
そして、池田先生が後世のために遺された『法華経の智慧』や、その対談者である斉藤克司・遠藤孝紀・須田晴夫の3氏が傾注した『教学の基礎』の教義に戻せとの主張である。
弊社で入手した全文を掲載する。
なお、創価学会原田会長は須田晴夫氏の渾身の諫言に黙殺の姿勢であるので、創価学会教学が正常化するのを願い拡散を希望するものである。
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拝啓
朝晩は秋の気配も感じられる昨今となりましたが、ご健勝でご活躍のことと存じます。
さて、このたび、『創価学会教学要綱』について私なりに考えたことをまとめた小著をアマゾンのペーパーバックで出版しましたので、贈呈させていただきます。ご一読いただければ幸いです。
端的に申し上げて『教学要綱』の内容にはさまざまな問題があり、創価学会の教義を将来にわたって規定する「教義書」としては適切でないと思われます。
『教学要綱』を作成した中心は創価大学名誉教授の宮田・菅野両氏であると聞いておりますが、両氏は研究者としての立場から、日蓮学アカデミズムの主流である身延派日蓮宗から批判されることを恐れて、ひたすら身延派に忖度している態度が顕著です。そのために『教学要綱』全体が身延派の教義に同化していると判断されます。
例えば『教学要綱』では日蓮大聖人について、最後まで「上行菩薩としての役割を果たす立場である」(同書四三頁)として「日蓮=上行菩薩」との認識を貫いていますが、大聖人を釈迦仏から末法弘通の役割を託された「釈迦仏の使い」であるとする認識は身延派の教義そのものです。これまで創価学会は、大聖人が上行菩薩であるというのはあくまでも外用の姿であり、大聖人の内証は久遠元初自受用報身如来であるとしてきましたが(二〇一五年創価学会教学部編『教学入門』一七一頁)、『教学要綱』は「久遠元初自受用身」の用語を一切用いず、従来の立場からすれば専ら外用の位置づけにとどまっております。
もちろん『教学要綱』も大聖人について「末法の御本仏」としていますが、それはあくまでも「釈迦仏の使い」としての存在であって、従来のように久遠元初自受用身という根源仏としての意義づけにはなっておりません。
大聖人を上行菩薩の再誕と位置づけ、「釈迦仏の使い」とすることはあくまでも法華経文上での話であり、曼荼羅本尊の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮(花押)」と大書し、釈迦仏と多宝如来を左右の脇士の位置に置かれた大聖人の内証の教示とはかけ離れております。
また『教学要綱』は「一大秘法」と「法宝」についても従来の曼荼羅本尊から南無妙法蓮華経の題目に改めておりますが、拙著で詳しく述べました通り、これもまた身延派の教義そのものです。このように『教学要綱』では身延派と同化している内容が余りにも目立ちます。
『教学要綱』が「本因妙抄」「百六箇抄」「御義口伝」の名前すら出していないことも、これらを偽書としている身延派から突っ込まれることを恐れる『教学要綱』執筆者の在り様を示していると思われます。
日寛上人の教示に対しても『教学要綱』は多くの点で違背しており、「本因妙抄」などの相伝書を一切無視していることと合わせて、『教学要綱』が日興門流から離脱する志向性を持っていることは誰の目から見ても明らかです。
(つづく)