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[10534]

題名:シン・広宣流布4

名前:ジョーカー

MAIL 投稿日: 2024/09/17(火) 19:29 240f:79:8f6a:1:2c9c:8dd9:e7d4:3e5a(IPv6:kddi-jpnic-jp-20171026) (240f:79:8f6a:1:2c9c:8dd9:e7d4:3e5a)

現在、創価学会では支援活動の準備が着々と進められており、現場で開催されている座談会では、冒頭から公明党のビデオを視聴している。また、本部幹部会においても、公明党の功績を称え、支援を呼びかける内容となっており、聖教新聞の座談会でも、公明党の内容を取り上げている。支援活動=広宣流布の様相を呈している。

一方、私の経験上、支援活動を「したい」という人に、お目にかかったことはほとんどない。政治は妥協であり、ベストではなくベターを選ぶ世界観であるが故に、当然、個々の意見も異なる。それを統一し、宗教活動として進めること自体、無理のある話である。だが、選挙が始まれば、一丸となって活動が推進されていき、一人ひとりの意見を聞いている暇はなくなる。個々の政治的信念よりも、「立正安国」という理念が最優先される。

支援活動の一連の流れの中で、政治的信念により、活動したくない人をどのように扱うのか。人間主義を旗頭にしている創価学会において、人知れず苦しんでいる人と、どのように向き合っていくか。学会員の「心理的安全性」は担保されているのか否か。日本の創価学会においては、この辺りがテーマとなってくる。ここを避けて、世界宗教と自賛したところで、絵に描いた餅でしかない。

創価学会は、幹部であればある程、心理的安全性は担保されていないと思う。即ち、有役職者が「支援活動したくない、しません」ということを、安心して表明できる環境か否か。現状は、何らかの説得や、圧力がかかり、学会活動自体できなくなる恐れがある。これでは人間主義の象徴である「誰も置き去りにしない」は、具現化されているとは言えない。

話の前提として、公明党の是非(正しい、正しくない)は関係ありません。政治と宗教は別次元であり、個々の政治的信念を重要視すること。それは当然、創価学会が支援活動を全面的に推進することを決定する権限もあるし、否定する必要もないことも意味します。そのうえで、役職あるなしに関わらず、支援活動するしないを表明できる心理的安全性が担保されているのかどうか。ここがすごく重要だと考えます。

支援しないことを安心して言える環境でなければ、「支援は自由」は担保されているとは言えない。「やりたくなければやらなくていい」という感覚には、有役職者ほどなり難い。やらざるを得ない見えざる圧力というものは厳然と存在する。それをどのように払拭していくのか。

私の考えは、「創価学会としては、公明党は正しいと考えており、支援は立正安国に通じます。ただし、政治と宗教は次元が異なるので、支援活動するのは完全に自由です!」ということを徹底する。そして、自由の具現化として、一切の報告をとらないこと。「支援は完全に自由」を全面的に打ち出すことがポイントになるかなと思います。学会員の心理的安全性の確保こそが最重要であり、それでこそ、「会員第一」「会員を大切に」を具現化した形となる。

人間主義といっても、具体的な形にならなければ、誰にも伝わらないし、理解も出来ない。また、学会員(立場問わず)の心理的安全性が担保・確保されていなければ、何でも言える、語り合える創価学会とは言えない。土台が間違っていたり、揺らいでいたら、一人ひとりの力を、十分に引き出すことは出来得ない。今までの前提・土台を再点検し、速やかに変革を加えていく。そういった、スピード・決断・実行があってこそ、世界に通じる「生きた宗教」なのです。




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