[10164] 題名:五百年前、大石寺は売られたことがあった
名前:末端信者
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投稿日:
2024/06/18(火) 09:58
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先生指導(抜粋)です。
『 日寛上人とともに、宗門の中興の祖と仰がれている 日有上人、
折々の指南を記録した「聞き書き」が残されている。
その中に、日有上人が全国に弘教されている留守の間に、大石寺が留守居の僧によって
売られてしまったという記述がある。そのため六年間、謗法の山となり、
日有上人が帰られて買い戻し、大聖人の正義を守られた、と。
日有上人は、みずから広く諸国を巡って、折伏・弘教し、
大聖人・日興上人の正統の正義を宣揚された。
その留守の間に、法主の代官を務める、阿闍梨号をもっていた高僧たちが、
大石寺を私物化して謗法の山にしてしまったのである。
しかし、日有上人の手によって悪侶たちは追放され、正法は厳護された。
折伏・弘教を怠り、信心を失った僧侶が、名聞名利に走って仏法や寺院を私物化し、
正法を破壊するのは、いつの時代も同じである。
この事件について、日亨上人は、次のように話されている。
「三人の代官(留守居の僧)がグルになって大石寺を売っちまったということが書いてある。
それで日有上人が帰って、三人を追い払って、
そして、ほかの代官をおいたなんていうことが書いてある」
「自分が帰って、三十何貫文を出して、そして又もとに返してしまった。
何でも二十貫文かそこらで売ったと書いてある」
「寺にいる人(代官)がですね、自分の勝手な名義にしたのでしょう」──と。
こうした風潮があったためか、日有上人は門下を厳しく誡められている。
──大聖人の御言葉によれば、国主と臣下が正法を信じて広宣流布が達成されるまでは、
塔婆の下、橋の下ででも弘教するべきである。
一日、片時でも、家などでのんびりしているようなことがあっては決してならない。
ゆえに、世俗の富や地位などを求めてはならない──と。
大聖人の御言葉は″ただ広宣流布″と教えておられるではないか。
身を惜しまず、折伏し、不幸な人々を救っていきなさい、これこそ大聖人の御遺言ではないか──
僧侶に対する日有上人の厳しい誡めである。
日有上人は、仰せである。
──世も既に末世となったので、そうした世界の機根に引かれて我が宗も末世になってしまった。
というのは、昔よりも信心が弱くなっている。
その上、謗法の罪を責めることが、はなはだ、緩くなってきている。
これは、すなわち、我が宗の末世であると思う。これ以上、苦しく大変なことはない──と。
当時(日興上人滅後約百年)、既に信心が弱くなり、
謗法厳誡の精神が緩んできたことを憂えられていたのである。
日有上人が、今日の腐敗・堕落しきった宗門をご覧になれば、
「まさに宗門の末世も極まれり」と嘆かれることであろう。
日亨上人は、戸田先生に向かって
「戸田さん、あんたがいなかったら、宗門はつぶれていたよ」と言われていた。 』
昔から、花糞なんかは 世間でも通用しない、たんなる禿人です。
そんな愚人に騙されるのは、輪をかけた バカタリアンぐらいです。