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(発行=23.08.23)
大石寺の総代が三宮神社を参拝
日蓮正宗は昔から謗法行為を容認し放置
日如が「謗法厳誡は学会が出来てから」
日蓮正宗は昔から謗法行為を容認し放置 日蓮正宗総本山・大石寺の総代で
ある井出光彦が今年も富士宮市狩宿の三宮神社(写真㊤)を参拝していた。
今月十二日午前七時三十分頃から神社周辺の草刈りを行い、九時前に参加者
八人が参拝。井出は三番目で、社前にお供え物をした後、手を二回叩いて合掌、
一礼していた。
この大石寺総代の井出は三宮神社だけではなく、以前は曽我八幡宮の氏子総
代も兼ねていて祭典にも参加、神社の境内に設置された売店でビールとジュー
スを売っていた(写真㊥)。
井出の謗法行為は、これだけではない。神札の購入までも奨励していた。
こんな謗法行為を繰り返している井出は、大石寺の二大行事でも主要な役目
を任されていて、京都・要法寺から持ち込まれたお会式では〝お練り〟の先導
役を務め〝三三九度の儀〟でも日如のすぐ傍で行事に立ち会っている(写真㊦)。
平成二十五年の夏期講習会で日如は宮野審道らが作成した御書講義の原稿を
棒読みして謗法厳誡が宗是であるかのように述べていた。
「昔は草鞋(わらじ)の鼻緒が切れても、神社仏閣の前では、それを直すことは
ならないと言われた。
それは邪宗の門前で頭を下げることになるからだ」宗内で言い古された台詞
だが、実態は真逆である。
改革同盟の山口雄在氏の証言によると、昭和六十三年に宗務院で開かれた御
書系年委員会で日如(当時は義寛)が永栄義親に向かって「なあ義ちゃん、謗法
厳誡なんて言ったって昔は関係なかったな。子供の頃は小遣い貰って皆で浅間
祭りに行っていたよな。創価学会が出来てから謗法厳誡になったんだ」と笑っ
ていた。
日如は新宿区の大願寺にいた頃から謗法を放置し、身延の寺で塔婆供養して
いた信徒に指導もしなかった。
「謗法と同座す可からず与同罪を恐る可き事」の「日興遺誡置文」に照らし、
日如は自らが任命責任を負う大石寺檀家総代の謗法行為を長年にわたり黙認し
てきた罪は重大と言うべきだ。