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(発行=23.07.16)
大謗法の山寺と化した大石寺
「大白法」の〝永遠の故郷〟の戯言を粉砕 ③
根腐れの日蓮正宗は衰滅の一途を辿る
日達法主は戸田先生の外護の精神を感慨深く伝えた。
「彼(戸田先生=編集部注)はその時にまだ獄舎から出てきて間もなく、また自
分の事業もない、故に本人に金はなかった。そこで決心してつくったのが登山
会であります」「今更ら皆様の法華講員を批難するのではありません。ただ、
その時の幹部があまりに酷かったから、今日皆様に云うのである。その幹部は
どうか、そこに列席した幹部は今どうなっておるか、実に恥ずかしいことなが
ら、天理教に行った人もありますが、その人は、すぐみじめに死んでしまいま
した。あるいは破産して行方不明の人もあります。実に惨めな人たちでありま
す」
また、日達法主は昭和四十八年八月の教師講習会開講式でも学会の登山会に
よって宗門が裕福になったと、次のように語っていた。
「この総本山がそれほどの農地を解放したことによって、今までは安定して
生活をしておりましたが、なかなかそれがしにくくなった。僧侶も塔中の住職
等皆、山林を開墾して、そこへ芋やキビ、トウモロコシ等を植えて生活をして
いったのでございます。大坊においても食べる米がなくて、さつまいもが常食
で、ことに富士山のヒエを買って、ヒエのおかゆを食べておった時もあるので
ございます」
「そういう生活をしておって、そして全国の信徒からいくらかでも灯明料を
あげていただいて、本山の威儀を保とうと、その当時の宗務当局が考えまして、
全国の法華講の信者の主な方に本山に来ていただいて相談いたしました。
ところが年に五十円の醵金(きょきん)をしてもらいたいということを申し
出ましたところ、それがほとんど不可能であった。わずか五十円の醵金すら集
まりかねたのであります」
「それに対して収支決算をして、収支決算を明らかにしなければ出すことが出
来ない、坊さんは何に使うかわからないということを法華講の信者が申された
のであります」「五十円の醵金は出来なかったのでございます。そして、その
会はついに流会となってしまった」「後で東京におきまして一ケ月か二ケ月た
ったと思いますが、妙光寺を借りてやはり東京を中心とした法華講ならびに学
会戸田先生等に来ていただいて打ち合わせをしましたが、ついにそれも充分な
話にいかなくて、ついに戸田先生はそれならば登山会をつくろうというので、
登山会を毎月一回、当時一回でしたが、登山会をすることになって初めて本山
は活気づいてきたのでございます」
「ことに池田会長の時代になって昨年正本堂を建立せられ、ここに一千万登
山という大目標をもって登山会をせられたのでございます。これらのことは単
なる登山会ということがすなわち大石寺をそれだけ裕福にし、大石寺を大きく
した」
この日達法主の話から登山会は宗門の窮状を救うために開始したことが明白
だ。
学会は累計七千万人が登山したが、悩乱した日顕は平成三年、学会側には何
の相談もしないで取りやめた。学会員は大石寺が〝永遠の故郷〟ではなく、身
延と同様、謗法の山寺と化したので登山しないのである。血脈が断絶した根腐
れの宗門は衰滅の一途を辿っている。