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宿坊2の掲示板


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題名:一、三、六大秘法に対する私の解釈 18

名前:サム

MAIL 投稿日: 2022/08/25(木) 10:01 180-146-245-117f1.osk3.eonet.ne.jp (180.146.245.117)

一、三、六大秘法に対する私の解釈 18


三大秘法 14


己心の題目


「妙法蓮華経の五字は又我等が一心に納りて候けり、天台の所釈に「此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵・三世の如来の証得したもう所なり」と釈したり、さて此の妙法蓮華経を唱うる時心中の本覚の仏顕る我等が身と心をば蔵に譬へ妙の一字を印に譬へたり」(一念三千法門 全414頁・新360-1頁)

現代語訳:妙法蓮華経の五字はまた我等の一心に納まっています。天台大師の法華玄義本序に「この妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵・三世の如来の証得したもうところである」と解釈されています。さてこの妙法蓮華経を唱える時、心中の本覚の仏が顕れ、我等が身と心を(極理を収容する)蔵にたとえ、妙の一字を(密教で行者の力を示す)印にたとえています。
※我ら衆生の「身と心」は本覚の仏を蔵する尊極の当体であり、その蔵を開くカギこそ「妙の一字」に外ならず、妙法蓮華経は、元々衆生の一心に納まっているので、妙法蓮華経の五字の題目を唱えることによって、我が身が妙法の当体であると覚知し成仏する事ができるのです。


「此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく善根として動かざる事なし」(聖愚問答抄下 全500頁・新581頁)

現代語訳:この妙法蓮華経を熱心に信仰するという一つの修行に、いかなる功徳もやって来ないものはなく、いかなる善根も動かないものはないのです。
※妙法への行動(唱題、折伏)が功徳・善根の因となるのです。


「『若し暫くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり』と説き給うは此の心なり、されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐・一切衆生・皆成仏道の妙法と云うは是なり。是等の趣きを能く能く心得て仏になる道には我偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり」(法華初心成仏抄 全557頁・新764頁)

現代語訳:法華経見宝搭品第十一に「もし少しの間でも持つ者がいれば、我れ則座に歓喜する。諸仏もまた同様である」と説かれているのはこの意です。従って、三世の諸仏も妙法蓮華経の五字によって仏になられたのです。三世の諸仏の出世の本懐であり、一切衆生が皆、仏道を成ずる妙法というのはこれなのです。これらの趣旨をよくよく心得て、仏になる道には我慢偏執(我見が強く、慢心があり、偏った邪見に執着する)の心がなく、南無妙法蓮華経と唱えていくべきなのです。
※御本尊を信受して、寸時も余事をまじえず南無妙法蓮華経と唱えた時、我が身が即妙法の当体となって即身成仏できると教えられています。


「我等衆生の朝夕吐く所の言語なり、大音声とは権教は小音声・法華経は大音声なり廿八品は小音声・題目は大音声なり、惣じて大音声とは大は法界なり法界の衆生の言語を妙法の音声と沙汰するを大音声とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大音声なり」(御義口伝上 全740頁・新1031-2頁)

現代語訳:(音声とは)我々衆生が、朝に夕に話している言葉です。(権実相対して言うならば)権教は小音声であり、法華経は大音声です。(種脱相対して言うならば)法華経二十八品は小音声であり、南無妙法蓮華経は大音声です。総じて言うならば、大音声の大とは法界、つまり宇宙万有の大きさを言い、法界の一切衆生の言語は、すべて妙法の音声であると分別していく、その音声を大音声というのです。今、日蓮大聖人およびその門下が、南無妙法蓮華経と唱え奉る題目は、大音声なのです。
※我々の唱題は、宇宙をも響き渡らせる妙法の大音声なのです。


「信心と申すは別にはこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く・子の母にはなれざるが如くに、法華経釈迦多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり」(妙一尼御前御返事 全1255頁・新1697頁)

現代語訳:信心というのは、特別なものではありません。妻が夫を大切にするように、夫が妻の為に命を捨てるように、親が子を捨てないように、子供が母親から離れないように、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・諸天善神を信じて、南無妙法蓮華経と唱え奉ることを信心というのです。
※信心とは御本尊に南無妙法蓮華経と唱え奉ること、です。


「我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ・忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事・是れ偏に過去の宿習なるか。」(最蓮房御返事 全1340頁・新1780頁)

現代語訳:我らが末法濁世において生を南閻浮提の大日本国に受け、恐れ多くも諸仏出世の本懐である南無妙法蓮華経を口に唱え、心に信じ、身に持ち、手にもてあそぶことは、ひとえに過去の宿習なのでしょうか。
※大聖人が此処で言いたかったのは、我等が集まったのは、過去の宿習ではなく、地涌の菩薩の使命を果たす為だということです。


「此の法華経には我等が身をば法身如来・我等が心をば報身如来・我等がふるまひをば応身如来と説かれて候へば、此の経の一句一偈を持ち信ずる人は皆此の功徳をそなへ候、南無妙法蓮華経と申すは是れ一句一偈にて候」(妙一尼御前御返事 全1402頁・新2098頁)

現代語訳:この法華経には、我等の身体を法身如来、我等の心を報身如来、我等の振る舞いを応身如来と説かれていますから、この法華経の一句一偈を持ち信ずる人は、皆この功徳を具えることができるのです。南無妙法蓮華経というのは、法華経の一句一偈なのです。
※「法華経の一句一偈を持ち信ずる人」とは南無妙法蓮華経と唱題をする人であり、三身如来の功徳を具えることができる人なのです。


◎仏法では、能弘・所弘という考え方があります。
能弘とは能く法を弘める行者、所弘とは行者により弘められる法を言い、大聖人は南無妙法蓮華経と唱題する我々こそが能弘の人であり、成仏への直道だと仰せなのです。


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