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2022/07/12 22:53:15 通りすがりの法華講員
「出世の本懐」として弘安二年十月頃に書かれた筆本尊に該当する可能性があるのは、あの本門戒壇大御本尊だけだ。
⇒ 君の小さな脳みそでの妄想は証拠にはなりません。 板本尊はにせ物です。
【日蓮聖人が弘安二年に顕された真筆本尊です】
戒壇の本尊はどれか!
弘安02年02月 1279-02 弘安二年太才己卯二月日 / 妙心授与 / 之
弘安02年02月 1279-02 弘安二年太才己卯二月日 / 釈子 / 日目 / 授与之 (日興筆)
弘安02年04月08日 1279-04-08 □安二年太才己卯四月八日 / 日向法師授与之
弘安02年04月08日 1279-04-08 弘安二年太才己卯四月八日 / 優婆塞日田授与之
弘安02年04月 1279-04 弘安二年太才己卯四月日 / 比丘日弁授与之
弘安02年06月 1279-06 弘安二年太才己卯六月日 / 比丘尼日符
弘安02年07月 1279-07 弘安二年太才己卯七月日 / 沙門日法 / 授与之
弘安02年08月18日 1279-08-18 弘安二年太才己卯八月十八日 / 沙門祐盛日合授与之
弘安02年09月 1279-09 弘安二年太才己卯九月日 / 日仰優婆 / 塞授与 / 之
弘安02年10月 1279-10 弘安二年太才己卯十月日 / 沙弥日徳授与之
弘安02年11月 1279-11 弘安二年太才己卯十一月日 / 優婆塞 / 日安授 / 与之
弘安02年11月 1279-11 弘安二年太才己卯十一月日 / 沙門日永 / 授与之
弘安02年11月 1279-11 弘安二年太才己卯十一月日 / 優婆塞 / 日久
弘安02年11月 1279-11 弘安二年太才己卯十一月日
⇒ 後にも先にも聖人は彫刻本尊を顕していない。
大石寺の板本尊は第三者によって造立された。
日禅授与本尊は弘安三年 太才庚辰 五月九日の顕示であり、『本門戒壇の大御本尊』は
弘安二年十月十二日とその建立の年月日を改竄した。
日蓮真筆本尊は「弘安三年 太才庚辰 五月九日」御顕示年と月日の間に必ず「干支」を入いる。
しかし『本門戒壇の大御本尊』には「弘安二年十月十二日」だけ。
「太才己卯」の干支がない。
これ一つとってみても『本門戒壇の大御本尊』が後世の創作であり、ニセモノであることが明瞭です。
日禅授与本尊には「比丘日禅に之を授与す」という日蓮の授与書と
「少輔公日禅は日興第一の弟子なり仍て与え申す所件の如し、本門寺に懸け奉り万年の重宝たるべきものなり。」
との日興の添書がある。
しかし、大石寺の坊主は、これらの授与書・添書を削除し
「右為現当二世 造立件如 本門戒壇之 願主 弥四郎国重 法華講衆等 敬白」という端書を付加し、
「右、現当二世の為に造立件(くだん)の如し。本門戒壇之(の)願主・弥四郎国重、法華講衆等に敬って白(もう)す」です。
「一閻浮提総与」『本門戒壇の大御本尊』と勝手に詐称した。
板本尊は単なる日禅授与の本尊模刻ではなくなり、三人の筆が混合する偽の本尊と言われる所以である。
下記の本尊は 弘安2年11月 日蓮真筆本尊 花押の下に腰書きが存在しない。
腰書きがあるのは鑑定が出来ない、パッチワークの本尊だけなのです。