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宿坊2の掲示板


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題名:師匠と我らとの関係 25(佐渡方面の門下に宛てられた御抄)後

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/12/11(水) 22:54 2001:ce8:127:e3a4:35cb:ab7e:2924:56a1(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:35cb:ab7e:2924:56a1)

師匠と我らとの関係 25(佐渡方面の門下に宛てられた御抄)後


「佐渡方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 後編


「上ににくまれたる上、万民も父母のかたきのようにおもいたれば、道にてもまた国にても、もしはころすか、もしはかつえしぬるかにならんずらんとあてがわれてありしに、法華経・十羅刹の御めぐみにやありけん、あるいは天とがなきよしを御らんずるにやありけん、島にてあだむ者は多かりしかども、中興次郎入道と申せし老人ありき。彼の人は、年ふりたる上、心かしこく身もたのしくて、国の人にも人とおもわれたりし人の、『この御房は、ゆえある人にや』と申しけるかのゆえに、子息等もいとうもにくまず、その已下の者ども、たいし彼らの人々の下人にてありしかば、内々あやまつこともなく、ただ上の御計らいのままにてありしほどに、水は濁れどもまたすみ、月は雲かくせどもまたはるることわりなれば、科なきことすでにあらわれて、いいしこともむなしからざりけるかのゆえに、御一門・諸大名はゆるすべからざるよし申されけれども、相模守殿の御計らいばかりにて、ついにゆり候いてのぼりぬ」(中興入道消息 新1769頁・全1333頁)弘安2年11月 58歳御作
現代語訳:お上(幕府)に憎まれている上に、万民(日本国中の人々)にも、父母の仇の様に思われているので、佐渡への道中でも、佐渡の国においても、殺されるか餓死するかでしょう、と佐渡流罪の判決を下されたのです。ところが、法華経・十羅刹女の御加護によるものでしょうか、或いは、天が日蓮に全く罪科が無い事を御覧になっていたからでしょうか。佐渡ヶ島には日蓮を憎む者は多かったのですが、中興の次郎入道という老人がおられました。この人は、年配の上に、心は賢く、身は壮健で、佐渡の人々からも尊敬を集めている人でした。この次郎入道が「日蓮という僧は、何かいわれのある人にちがいあるまい」と言ったからでしょうか、彼の子息等も日蓮をひどく憎むという事はありませんでした。それ以下の者達も、大体は、中興一族に仕える人々の下人であったから、主君の意向が浸透して、内々に日蓮に害に加えるという事も無く、ただ幕府の指示の通りにしていました。そうするうちに、水は濁っても再び澄み、月は雲に隠れてもまた晴れるのが自然の道理であるように、日蓮に罪科の無いことがもはや明白となり、自界叛逆難、他国侵逼難など、かねてから言っていたことも外れなかったからでしょうか、北条氏一門や御家人の有力者達は「日蓮の罪を許すべきではない」と強硬に主張したにもかかわらず、相模守殿の御裁決によって、ついに流罪を解かれて鎌倉にのぼったのでした。
※本抄を賜った中興入道(生没年不明)は、本文にある中興次郎入道(生没年不明)の息子で佐渡国中興(新潟県佐渡郡金井町中興)に住み、父の次郎入道が流罪中の大聖人に会って信徒となったのに随い門下となり大聖人を外護されています。大聖人は、中興一族の消極的ながら、大聖人を外護されていた事に感謝されていますね。


「貴辺は故次郎入道殿の御子にておわするなり。御前はまたよめなり。いみじく心かしこかりし人の子とよめとにおわすればや、故入道殿のあとをつぎ、国主も御用いなき法華経を御用いあるのみならず、法華経の行者をやしなわせ給いて、としどしに千里の道をおくりむかえ、去ぬる幼子のむすめ御前の十三年に丈六のそとばをたてて、その面に南無妙法蓮華経の七字を顕しておわしませば、北風吹けば南海のいろくずその風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿その風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生まれん。いわんや、かのそとばに随喜をなし、手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼のそとばの功徳によりて天の日月のごとく浄土をてらし、孝養の人ならびに妻子は、現世には寿を百二十年持って、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給わんこと、水すめば月うつり、つづみをうてばひびきのあるがごとしとおぼしめし候え等云々。これより後々の御そとばにも、法華経の題目を顕し給え。」(中興入道消息 新1771頁・全1334-5頁)
現代語訳:あなたは、亡き次郎入道殿の御子息でおれます。御前はまたそのお嫁さんです。大変御賢明であられたお方の御子息とお嫁さんでおられるからでしょうか、故入道殿の御意志を継いで、国主も用いられていない法華経を信仰されるのみならず、法華経の行者である日蓮を養わせるのに、毎年毎年千里の道を往来し、幼くして亡くなられた娘御前の十三年忌には、一丈六尺の卒塔婆を建立し、その表面に南無妙法蓮華経の七文字を書き顕され、北風が吹けば南海の魚類はその風にあたって大海の苦悩を離れ、東風が来れば西山の鳥や鹿はその風を身に触れて畜生道を免れて都率の内院に生まれるでしょう。ましてや、この卒塔婆の建立に喜び、手を触れ眼に見る人々の功徳がどれほど偉大な事でしょうか。亡き父母もこの卒塔婆の功徳によって、天の日月の様に浄土を照らされ、孝養の人たるあなたおよび妻子は、現世には百二十年までも長生きして、後生には父母と共に霊山浄土に進まれるでしょう事を、水が澄めば月が映り、鼓を打てば響く様に、お考えください。これより後々の卒塔婆にも法華経の題目を書き顕しなさい。
※「民衆仏法の確立」を確信し、大聖人が出世の本懐を遂げたとされた弘安2年10月より1か月半が過ぎていますが、此処でも「楠板本尊」の記述はありません。本文では、卒塔婆自体の功徳を述べたのではなく、大聖人の御自筆ではありませんが、一大秘法である南無妙法蓮華経の七文字が書かれた事に対する功徳を述べておられるのです。


「経の文には『いたるところの諸仏の土に、常に師とともに生ず』とも、あるいは『もし法師に親近せば、速やかに菩薩の道を得、この師に随順して学せば、恒沙の仏を見たてまつることを得ん』とも云えり。釈には『本この仏に従って初めて道心を発し、またこの仏に従って不退地に住せん』とも、あるいは云わく『初めこの仏菩薩に従って結縁し、またこの仏菩薩において成就す』とも云えり。この経釈を案ずるに、過去無量劫より已来、師弟の契約有りしか。我ら、末法濁世において、生を南閻浮提大日本国にうけ、忝くも、諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を、口に唱え、心に信じ、身に持ち手に翫(もてあそ)ぶこと、これひとえに過去の宿習なるか」(最蓮房御返事 新1780頁・全1340頁)文永9年4月 51歳御作 
現代語訳:法華経の文には「あらゆる諸仏の国土に常に師と共に生まれるであろう」とも、或いは「もし法師に親しく交わるならば、速やかに菩薩の道を得るであろう。この師にしたがって学ぶならば、無数の仏を拝見することができるであろう」とも説かれています。法華玄義の釈には「もとこの仏に従って初めて仏道を求める心を起こし、またこの仏に従って不退の境地に住するであろう」とも、或いは法華文句記に「初めこの仏菩薩に従って結縁し、還ってこの仏菩薩のもとで成就する」とも云われています。この経や釈を考察してみると、計り知れない過去から、師弟の約束があったのでしょうか。私達が、末法濁世において生を南閻浮提の大日本国に受け、恐れ多くも諸仏出世の本懐である南無妙法蓮華経を口に唱え、心に信じ、身に持ち、手にもてあそぶ(大切に振る舞う)事は、ひとえに過去の宿習なのでしょうか。
※本抄は、最蓮房が「生死一大事血脈抄」を賜った2か月後に頂いた御抄です。此処では計り知れない師弟の因縁を述べられています。
最蓮房(生没年未詳)は、法名を日栄または日浄と云い、京都の生まれ、天台宗の学僧だったが、佐渡流罪中に大聖人に帰依し。病弱の為に説法的な弘教はできていませんが、仏法基礎をりかいされているので、大聖人から「生死一大事血脈抄」「祈祷抄」「諸法実相抄」「当体義抄」「「立正観抄」「十八円満抄」等の重要な法門御書を賜っています。大聖人身延入山後に 赦免され、京都に帰り次いで甲州(山梨県)下山に本国寺を開いたと伝えられています。


「日蓮、末法の初めの五百年に、生を日域に受け、如来の記文のごとく三類の強敵を蒙り、種々の災難に相値って、身命を惜しまずして南無妙法蓮華経と唱え候は、正師か邪師か、能く能く御思惟これ有るべく候。上に挙ぐるところの諸宗の人々は、「我こそ法華経の意を得て、法華経を修行する者よ」と名乗り候えども、予がごとく、弘長には伊豆国に流され、文永には佐渡島に流され、あるいは竜の口の頸の座等、この外種々の難、数を知らず。経文のごとくならば、予は正師なり善師なり、諸宗の学者はことごとく邪師なり悪師なりと覚しめし候え。この外、善悪二師を分別する経論の文等これ広く候えども、兼ねて御存知の上は申すに及ばず候。」(最蓮房御返事 新1781-2頁・全1341-2頁)
現代語訳:日蓮が末法の初めの五百年に生を日本に受け、如来の予言の通り三類の強敵により迫害を蒙り、種々の災難にあって身命を惜しまずに南無妙法蓮華経と唱えているのは、正師なのか邪師なのか、よくよくお考えいただきたいです。先に挙げた諸宗の人々は、自分こそ法華経の意を心得て法華経を修行する者であると名乗っていますが、日蓮が受けた様な難には遭ってはいません。日蓮は、弘長元年には伊豆の国に流され、文永八年には佐渡の島に流され、或いは竜の口で斬首刑の座にすわる等、この他の種々の難は数えきれないほどです。経文通りであるならば、自分こそ正師であり、善師なのです。諸宗の学者はことごとく邪師であり、悪師であるとお考えください。このほか、善悪の二師を区別する経論の文等は多くあるけれども、これまでに御存知なので申し上げるまでもありません。
※本抄でも、大聖人御自身こそが、経文通りに大難を受け、正師である事を明確に宣言されていますね。


「貴辺、年来の権宗を捨てて日蓮が弟子と成り給う。真実、時国相応の智人なり。総じて予が弟子等は、我がごとく正理を修行し給え。智者・学匠の身となりても、地獄に墜ちては何の詮か有るべき。詮ずるところ、時々念々に南無妙法蓮華経と唱うべし。
上に挙ぐるところの法門は、御存知たりといえども、書き進らせ候なり。十八円満等の法門、能く能く案じ給うべし。ならびに当体蓮華の相承等、日蓮が己証の法門等、前々に書き進らせしがごとく、委しくは修禅寺相伝日記のごとし。天台宗の奥義これに過ぐべからざるか。一心三観・一念三千の極理は、妙法蓮華経の一言を出でず。あえて忘失することなかれ、あえて忘失することなかれ。伝教大師云わく「和尚、慈悲有って、一心三観を一言に伝う」。玄旨伝に云わく「一言の妙旨、一教の玄義」云々。寿量品に云わく「つねに自らこの念を作す。何をもってか衆生をして、無上道に入り、速やかに仏身を成就することを得しめんと」云々。「つねに自らこの念を作す」の「念」とは、一念三千、生仏本有の一念なり。」(十八円満抄 新1803頁・全1367頁)弘安3年11月 最蓮房に与える
現代語訳:あなたは、これまでの権宗(大日経や観経などの権教を依経とする宗教)を捨てて、日蓮の弟子となられました。真実、(あなたは)国の平和・安穏を維持させるのに相応しい智人です。大局的に、私(日蓮)の弟子等は、私と同じ様に正理(正しい教え・正法)を修行していきなさい。智者・学匠の身となっても、地獄に墜ちればどうすることもできません。結局、時々(時間に応じて)・念々(思いに応じて)に南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。
上に列挙した法門は既に御存知ですが、書いて差し上げたのです。十八円満等の法門をよくよく思案されるがよいでしょう。それと共に、当体蓮華の相承等の日蓮が己証の法門等は、前々に書き贈っていた通りです。詳しい事は、修禅寺相伝日記にある通りであり、天台宗の奥義はこれ以上の物は無いでしょう。一心三観・一念三千の極理は、妙法蓮華経の一言を出ていないのです。この事を決して忘れてはなりません。重ねて決して忘れてはならないのです。伝教大師は「和尚は慈悲によって一心三観を一言で伝えた」と言い、玄旨伝には「一言の妙旨である。一教の玄義である」と言っています。法華経如来寿量品には「何をもって、衆生を無上道に入らせ、速やかに仏身を成就することを得させようかと、仏は常に自ら念じているのである」と説いています。「毎自作是念」の念とは、一念三千であり、衆生と仏との本有の一念なのです。
※最蓮房に贈られた「十八円満抄」は、天台宗の奥義とされ「修禅寺相伝日記」にある十八円満の法門を解説し、成仏得道は、天台の法門ではなく南無妙法蓮華経を唱え弘教すること、と諭されています。弘安2年10月より約1年後、天台教学を知る最蓮房に鉄壁の日蓮教学を説かれているのです。最蓮房には、本シリーズで提示させて頂きました「生死一大事血脈抄」「諸法実相抄」を贈られており、富木常忍に匹敵する程の知的求道者だったのでしょう。


◎大聖人は佐渡流罪中の文永9(1272)年1月16日に塚原三味堂において、念仏者や真言師等、諸宗の僧・数百人を相手にして完全論破屈伏させています(塚原問答、種々御振舞御書 新1237頁・全918頁に詳しい)。此の事が発端で佐渡中に大聖人の名前が知れ渡り、多数の信徒が生まれたと思われます。その中に阿仏房夫妻や国府入道夫妻がおられたのでしょう。彼・彼女達は、佐渡から鎌倉や身延への道のりを純朴な信心で御供養を携えて何度も往復された様です。現在では、e-mailや電話で素早く連絡・報告ができ、便利な乗り物で往来でき、御供養も簡単に送付する事ができますが、当時は死を覚悟の行動だったのでしょう。頭が下がる思いです。


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