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師匠と我らとの関係 24(佐渡方面の門下に宛てられた御抄)前
「佐渡方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 前編
大聖人は、竜の口の法難後、文永8(1271)年10月10日に相模国・依智を出立し、11月1日に流罪地・佐渡(新潟県の佐渡島)塚原三味堂に入り、文永11(1274)年3月に赦免により鎌倉に向けて佐渡を出国するまで約2年5か月の間、佐渡に留まった。その間、「開目抄」「観心本尊抄」「顕仏未来記」等の多くの重要御書を御著作され、佐渡在住の幾多の門下を育成されています。今回も前・後編に分けてご紹介します。
「この曼陀羅は、文字は五字七字にて候えども、三世の諸仏の御師、一切の女人の成仏の印文なり。冥途にはともしびとなり、死出の山にては良馬となり、天には日月のごとし、地には須弥山のごとし。生死海の船なり、成仏得道の導師なり。この大曼陀羅は、仏の滅後二千二百二十余年の間、一閻浮提の内にはいまだひろまらせ給わず。」(妙法曼陀羅供養事 新1726頁・全頁)文永10年 52歳御作 千日尼に宛てられた御書と思われる
現代語訳:この曼陀羅は、文字は五字七字であるけれども、三世諸仏の御師であり、一切の女人の成仏を約束する印文なのです。冥途ではともしびとなり、死出の山では良馬となり、天にあっては、日月の様であり、地にあっては須弥山の様なものです。生死の苦海を渡る船である。成仏得道に導く師である。 この大曼陀羅は、仏滅後二千二百二十余年の間、一閻浮提の内にはいまだ広まっていないのです。
※千日尼(生没年不明)は、阿仏房日得の妻です。本抄は千日尼に与えられた御文と思われ、「曼陀羅(御本尊)は、五字七字ですが、信心した功徳として、一切衆生の導師、世の救済、病の治療の大良薬となる(取意)」と述べられています。
「いよいよ信心をはげみ給うべし。仏法の道理を人に語らん者をば、男女僧尼必ずにくむべし。よしにくまばにくめ、法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし。「如説修行」の人とは、これなり。法華経に云わく「恐畏の世において、能く須臾も説かば」云々。悪世末法の時、三毒強盛の悪人等集まりて候時、正法を暫時も信じ持ちたらん者をば天・人供養あるべしという経文なり。この度、大願を立てて、後生を願わせ給え。少しも謗法不信のとが候わば、無間大城疑いなかるべし。」(阿仏房尼御前御返事 新1730-1頁・全1308 頁)健治元年9月
現代語訳:ますます信心に励んでいきなさい。仏法の道理を人に語ろうとする者を、在家の男女や出家の僧尼が必ず憎むでしょう。憎むのならば憎んでください。(あなたは)法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身を任せなさい。「如説修行」の人とはこういう人なのです。法華経の見宝塔品には「恐畏の世に於いて、よくわずかの間でも説く」とあります。これは悪世末法の時、三毒強盛の悪人達が集まっている時に、正法をわずかの間でも信じ持つ者を天人が供養するであろうという経文なのです。今度は、大願を立て後生を願っていきなさい。少しでも謗法や不信の失があるならば、無間大城に堕ちることは疑いないでしょう。
※本抄は、阿仏房尼(千日尼)が謗法の罪報の浅深軽重について質問した御返事で、大聖人は謗法を強く戒められ、千日尼の信心と求道心を称え折伏を勧められています。
「末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。もししからば、貴賤上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなうるものは、我が身宝塔にして我が身また多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目、宝塔なり。宝塔また南無妙法蓮華経なり。
今、阿仏上人の一身は地・水・火・風・空の五大なり。この五大は題目の五字なり。しかれば、阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、これより外の才覚無益なり。聞・信・戒・定・進・捨・慙の七宝をもってかざりたる宝塔なり。多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもえば、さにては候わず、我が身を供養し給う。我が身また三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給え。ここさながら宝塔の住処なり。経に云わく「法華経を説く処有らば、我がこの宝塔その前に涌現す」とは、これなり。あまりにありがたく候えば、宝塔をかきあらわしまいらせ候ぞ。子にあらずんば、ゆずることなかれ。信心強盛の者にあらずんば、見することなかれ。出世の本懐とは、これなり。」(阿仏房御書 新1732-3頁・全1304頁)建治2年3月
現代語訳:末法に入って法華経を持つ男女の姿より他には宝塔はないのです。そうであるならば、貴賎上下を選ばず南無妙法蓮華経と唱える者は、そのまま我が身が宝塔であり、我が身がまた多宝如来なのです。妙法蓮華経より他に宝塔はないのです。法華経の題目は宝塔であり、宝塔はまた南無妙法蓮華経なのです。今、阿仏上人の一身は、地・水・火・風・空の五大です。この五大は題目の五字です。だから阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房なのです。こう信解するより他の才覚は無益です。聞・信・戒・定・進・捨・慚という七つの宝をもって飾った宝塔です。あなたは多宝如来の宝塔を供養しておられるのかと思えばそうではありません。我が身を供養しておられるのです。我が身がまた三身即一身の本覚の如来なのです。この様に信じて南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。このところがそのまま宝塔の住処です。法華経見宝塔品に「法華経を説く処には、わがこの宝塔がその前に涌現する」と説かれているのはこの事です。あまりにありがたい事なので、宝塔を書き顕して差し上げます。わが子でなければ譲ってはならりません。信心強盛の者でなければ見せてはなりません。日蓮の出世の本懐とはこの(宝塔の本尊)事なのです。
※阿仏房に贈られた本抄は、別名「宝塔御書」と云い、阿仏房が御供養奉納の際、質問された宝塔涌現の意義について答えられ、「宝塔とは御本尊であり、南無妙法蓮華経と唱える者は、その身が宝塔であり多宝如来であり三身即一身の本覚の如来である」と述べられ、深い信心を愛でられています。
「阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩うまれかわり給いてや、日蓮を御とぶらい給うか。不思議なり、不思議なり。この御志をば日蓮はしらず、上行菩薩の御出現の力にまかせたてまつり候ぞ。別の故はあるべからず、あるべからず。宝塔をば夫婦ひそかにおがませ給え。委しくはまたまた申すべく候。」((阿仏房御書 新1733頁・全1304-5頁)
現代語訳:阿仏房よ、あなたはまさしく北国の導師とも云うべきでしょう。浄行菩薩が生まれ変わって日蓮を訪ねられたのでしょうか。まことに不思議な事です。あなたの厚いお志の由来を日蓮は知りませんが、上行菩薩が御出現されその御力にお任せして頂いた事によるのでしょうか。別の理由はないででしょう。宝塔を夫婦ひそかに拝んでいきなさい。詳しい事はまた申し上げましょう。
※阿仏房は号、日得は法諱(法名)であり俗名を遠藤左衛門尉為盛と云い、もと北面の武士順徳上皇が佐渡に流された時、共に来て定住されたと伝えられています。大聖人が佐渡流罪中に、論詰しようとするが逆に折伏され、念仏を捨て、妻の千日尼と共に帰伏したとされています。以後、大聖人佐渡流罪中のご給仕に加え身延入山中にも3度尋ねられ、弘安2年3月91歳で死去されたと伝えられています。
大聖人は、阿仏房を北国の導師や浄行菩薩の生まれ変わりとまで述べられ、深い信心の称賛を越えた厚い信頼が覗われますね。
「この経文は一切経に勝れたり。地走る者の王たり、師子王のごとし。空飛ぶ者の王たり、鷲のごとし。 (中略)
かかるいみじき法華経と申す御経はいかなる法門ぞと申せば、一の巻の方便品よりうちはじめて、菩薩・二乗・凡夫、皆仏になり給うようをとかれて候えども、いまだそのしるしなし。たとえば、始めたる客人が、相貌うるわしくして心もいさぎよく、よく口もきいて候えば、いうこと疑いなけれども、さきも見ぬ人なれば、いまだあらわれたる事なければ、語のみにては信じがたきぞかし。その時、語にまかせて大いなること度々あい候えば、さては後のこともたのもしなんど申すぞかし。一切信じて信ぜられざりしを、第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり。譬えば、くろき物を白くなすこと漆を雪となし、不浄を清浄になすこと濁水に如意珠を入れたるがごとし。竜女と申せし小蛇を現身に仏になしてましましき。この時こそ、一切の男子の仏になることをば疑う者は候わざりしか。されば、この経は女人成仏を手本として説かれたりと申す。」(千日尼御前御返事 新1737-8頁・全1310-1頁)弘安元年7月 57歳御作
現代語訳:この法華経は一切経に勝れているのです。地を走る者の王であり、師子王の様です。空飛ぶ者の王であり、鷲の様です。(中略)
この様に尊い法華経という御経は、どの様な法門かといえば、第一巻の方便品第二の始めから菩薩、二乗、凡夫等が皆仏に成ると説かれていますが、まだ成仏した証拠はありません。例えば、初めて逢う客人の姿が麗しく、心も清らかで、話す言葉に疑うところがないとしても、これまで見知らない人ですから、まだ話の内容が実際に証明されなければ言葉だけでは信じ難いのです。その時、言葉通りに重要な事がたびたび証明されれば、それで後の事も信頼できるなどと言うのです。一切の人々が法華経を信じながらも信じ切れないでいたのを、第五巻の提婆達多品に即身成仏という法華経第一の肝心が説かれ。譬えば、黒い物を白くすること、漆を雪とし、不浄の身を清浄にすること、濁水に如意宝珠を入れた様なものです。竜女という小蛇を現身のまま仏に成されたのです。この時こそ、一切の男子の成仏できる事を疑う者はいなかったのです。だからこの法華経は、女人成仏を手本として、一切衆生の成仏を説かれたというのです。
※本抄は別名「真実報恩経の事」と云い、法華経こそが女人成仏の唯一の経である事を御教示されています。
「法華経第四の法師品に云わく「人有って仏道を求めて、一劫の中において、合掌し我が前に在って、無数の偈をもって讃めば、この讃仏によるが故に、無量の功徳を得ん。持経者を歎美せば、その福はまた彼に過ぎん」等云々。文の心は、釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととかれて候。まことしからぬことにては候えども、仏の金言にて候えば疑うべきにあらず。その上、妙楽大師と申す人、この経文を重ねてやわらげて云わく「もし毀謗せん者は頭七分に破れ、もし供養せん者は福十号に過ぎん」等云々。釈の心は、末代の法華経の行者を供養するは、十号具足しまします如来を供養したてまつるにもその功徳すぎたり、また、濁世に法華経の行者のあらんを留難をなさん人々は、頭七分にわるべしと云々。」(国府尼御前御書 新頁・全頁)健治元年6月 54歳御作
現代語訳:法華経第四巻の法師品の文に「仏道を求める人が、一劫の長い間、合掌して仏の前にあって、無数の偈を唱え讃嘆するならば、この讃仏によって、量り知れない功徳を得るであろう。しかし法華経を受持する者を讃嘆する功徳は、復それよりもすぐれる」とあります。文の心は、釈尊ほどの仏を、身口意の三業をもって、一中劫の間、心をこめて供養するよりも、末法悪世の時代に、法華経の行者を供養する功徳の方が勝れている、と説かれているのです。真実とは思えぬ事ですが、仏の金言であるから疑うべきではありません。その上、妙楽大師という人は、この経文を重ねて解釈して、「若しこの法華経を毀謗する人は頭が七分に破れ、若し供養する人はその福が仏の十号に過ぎるであろう」と述べています。この釈の心は、末法の法華経の行者を供養する事は、十号を具足された仏を供養するよりも、その功徳が勝れているという事です。また五濁悪世に出現した法華経の行者に対して迫害する人々は、頭が七分に破れるという事です。
※国府尼(生没年不明)とは、国府入道の妻のことです。本抄では、国府尼と千日尼の御供養を感謝し、法華経法師品の文を引いて、法華経受持の讃嘆と供養の功徳を説かれています。
「人の御心は定めなきものなれば、うつる心さだめなし。さどの国に候いし時御信用ありしだにもふしぎにおぼえ候いしに、これまで入道殿をつかわされし御心ざし、また国もへだたり、年月もかさなり候えば、たゆむ御心もやとうたがい候に、いよいよいろをあらわし、こうをつませ給うこと、ただ一生二生のことにはあらざるか。この法華経は信じがたければ、仏、人の子となり、父母となり、めとなりなんどしてこそ信ぜさせ給うなれ。しかるに、御子もおわせず、ただおやばかりなり。「その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり」の経文のごとくならば、教主釈尊は入道殿・尼御前の慈父ぞかし。日蓮は、また御子にてあるべかりけるが、しばらく日本国の人をたすけんと中国に候か。宿善とうとく候。」(国府入道殿御返事 新1756-7頁・全1323頁)建治2年4月 国府入道夫妻に与える 55歳御作
現代語訳:人の心は一定しないものであり、移り変わる心はとらえようがありません。佐渡の国で逢った時、日蓮の法門を信用された事でさえ、不思議に思っていましたが、この身延の地まで、夫の入道殿を遣わされたあなたの御志はまことに不思議です。また、国も遠く隔たり、年月も重なっていますので、信仰にゆるむ心も生ずるかと案じていましたが、ますます強盛な信心の姿をあらわし、功徳を積まれている事は、ただ一生、二生だけの浅い因縁ではないのでしょう。この法華経は信じ難いので、仏は、人の子となり、父母となり妻となるなどして、衆生に信じさせようとされるのです。ところであなた方には子もおられず、親ばかりです。法華経譬喩品の「其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」の経文の通りならば、教主釈尊は入道殿と尼御前の慈父なのです。日蓮は、また、あなたがたの子である筈ですが、しばらく、日本国の人を助けようと、国の中央にいるのです。あなた方が前世に積んだ善業は尊いのです。
※国府入道(生没年不明)は佐渡国国府(新潟県佐渡郡真野町)の住人で、大聖人が流罪の時、弟子となり、夫婦揃って種々の御供養や外護をされ、大聖人が身延入山後も御供養を続けて、純真な信心を貫いたとされています。本文でも国府入道夫妻の御供養を喜ばれ、教主釈尊が夫妻の父であり大聖人が息子である、と夫妻の前世の善業として称賛されています。