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師匠と我らとの関係 23(鎌倉方面の門下に宛てられた御抄)後
「鎌倉方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 後編
「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかえれることを。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となることを。経文には『もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん』ととかれて候。」(妙一尼御前御消息 新1696頁・全1254頁)健治元年5月
現代語訳:法華経を信ずる人は冬の様なものです。冬は必ず春となります。いまだかつて冬が春とならずに秋に戻ったなどという事は、聞いたことも見たこともありません。同様に、いまだかつて法華経を信ずる人が凡夫になってしまったなどという事も聞いたことがありません。法華経方便品には「もし法を聞くことができた者は、一人として成仏しない者はない」と説かれています。
※誰もが口ずさむ有名な御文ですね。
妙一尼(生没年不明)は、強盛な信者で、妙一女・辨殿尼御前・王日女と同一人物との説や六老僧の日昭の縁者で夫も大聖人門下とされ、わずかな所領もも信仰の為に没収されるが、なおも佐渡へ身延へと下人を遣わして大聖人への供養や給仕を怠らなかったとされ、純真な信心を貫かれた女人と拝されます。
「信心と申すは別にはこれなく候。妻のおとこをおしむがごとく、おとこの妻に命をすつるがごとく、親の子をすてざるがごとく、子の母にはなれざるがごとくに、法華経、釈迦・多宝、十方の諸の仏菩薩、諸天善神等に信を入れ奉って、南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、信心とは申し候なり。しかのみならず、「正直に方便を捨つ」「余経の一偈をも受けず」の経文を、女のかがみをすてざるがごとく、男の刀をさすがごとく、すこしもすつる心なく案じ給うべく候。」(妙一尼御前御返事 新1697頁・全1255頁)弘安3年5月
現代語訳:信心というのは、特別これといって難しいものではありません。妻が夫を思う様に、また夫が妻の為には命を捨てる様に、親が子を捨てない様に、子供が母親から離れない様に、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・諸天善神に信を入れて、南無妙法蓮華経と唱え奉ることを信心というのです。
※本抄は「信心本義事」と云われ、「信心とは本尊を信受し唱題すること」を、譬を挙げて「御教示されています。
「法華経は三世の諸仏発心のつえにて候ぞかし。ただし、日蓮をつえはしらともたのみ給うべし。けわしき山、あしき道、つえをつきぬればたおれず。殊に手をひかれぬればまろぶことなし。南無妙法蓮華経は死出の山にてはつえはしらとなり給え。釈迦仏・多宝仏・上行等の四菩薩は手を取り給うべし。日蓮さきに立ち候わば、御迎えにまいり候こともやあらんずらん。またさきに行かせ給わば、日蓮必ず閻魔法王にも委しく申すべく候。このこと少しもそら事あるべからず。日蓮、法華経の文のごとくならば、通塞の案内者なり。ただ一心に信心おわして霊山を期し給え。ぜにというものは用にしたがって変ずるなり。法華経もまたまたかくのごとし。やみには灯となり、渡りには舟となり、あるいは水ともなり、あるいは火ともなり給うなり。もししからば、法華経は「現世安穏、後生善処」の御経なり。」(弥源太殿御返事 新1699頁・全1227頁)文永11年2月 53歳御作
現代語訳:法華経は三世の諸仏の発心の杖なのです。ただし日蓮を杖や柱と頼りにしても良いのです。険しい山や悪い道では杖をつけば倒れないのです。特に手を引かれるならば転ぶことはありません。南無妙法蓮華経は、死出の山では杖や柱となり、釈迦仏、多宝仏、上行等の四菩薩があなたの手を取られるでしょう。日蓮が先に霊山に立つならば、お迎えに来ることもあるでしょう。また、あなたが先にお行きになるならば、日蓮は必ず閻魔法王にも詳しく申しあげましょう。この事は少しも虚偽の事ではないのです。日蓮が法華経の文の通りならば、通塞の案内者なのです。唯一心に信心をされて霊山を期してください。銭というものは用いように依って変わるのです。法華経もまた同じです。闇には燈となり、渡りには舟となり、あるいは水ともなるのです。だからこそ、法華経は「現世安穏後生善処」の御経なのです。
※弥源太とは、鎌倉幕府の要人でもあった北条氏の一門の北条弥源太入道のことで、大聖人に帰依し太刀を供養されたお礼として本抄・別名「善悪二刀御書」が贈られています。
此の御文は、南無妙法蓮華経こそが、三世にわたってもっとも究極の仏法であることを断言されているのですね。さらに日蓮大聖人こそが、この南無妙法蓮華経の法と一体である久遠元初の自受用報身如来であることを宣言された御文と拝することができますね。
「日蓮は、いずれの宗の元祖にもあらず、また末葉にもあらず。持戒・破戒にも闕けて無戒の僧、有智・無智にもはずれたる牛羊のごとくなる者なり。いかにしてか申し初めけん、上行菩薩の出現して弘めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を、先立って、ねごとのように心にもあらず南無妙法蓮華経と申し初めて候いしほどに唱うるなり。詮ずるところ、よきことにや候らん、また悪しきことにや侍るらん、我もしらず、人もわきまえがたきか。 (中略)
ただ法華経ばかりこそ、三身円満の釈迦の金口の妙説にては候なれ。されば、普賢・文殊なりとも、たやすく一句一偈をも説き給うべからず。いかにいわんや、末代の凡夫、我ら衆生は、一字二字なりとも、自身には持ちがたし。(中略)
今、日蓮はしからず。『已今当』の経文を深くまぼり、一経の肝心たる題目を、我も唱え、人にも勧む。麻の中の蓬、墨うてる木の、自体は正直ならざれども、自然に直ぐなるがごとし。経のままに唱うれば、まがれる心なし。当に知るべし、仏の御心の我らが身に入らせ給わずば唱えがたきか。また、それ、他人の弘めさせ給う仏法は、皆、師より習い伝え給えり。(中略)
賢人と申すは、よき師より伝えたる人、聖人と申すは、師無くして我と覚れる人なり」(妙密上人御消息 新1708-10頁・全1239-40頁)建治2年3月 55歳御作
現代語訳:日蓮は、いずれの宗の元祖でもありません。またその流れを汲むものでもありません。持戒破戒の者でもなく、無戒の僧であり、有智、無智という概念からもかけ離れた牛羊の様な者です。それがどの様に言い始めたのか、上行菩薩が出現して弘められるべき妙法蓮華経の五字を、その出現に先立って寝言の様に心にもなく南無妙法蓮華経と申し始めたように唱えているのです。所詮、この事は良いことでしょうか。また悪い事でしょうか。私自身も知らないし、人も判定はできないでしょう。(中略)
ただ法華経だけが、三身円満の釈迦如来の金口から出た妙説です。だから普賢・文殊であっても簡単に一句一偈をも説かれなかったのです。まして末法の凡夫の我等衆生は、たとえ一字二字であっても自身には持ち難いのです (中略)。
今、日蓮はそうではありません。(法華経こそが)已今当の経文(の中で最も難信難解であり最勝であるとの信念)を深く守り、一経の肝心である題目を自分も唱え、人にも勧めています。ちょうど麻の中に生えた蓬や黒線を印した木が、それ自体は曲がっていても自然に真っすぐになる様なものです。法華経の教え通りに題目を唱えているから、曲がった心がないのです。まさに仏の御心が我らの身にお入りにならなければ唱えることはできないでしょう。また、他の人が弘められた仏法は、皆師匠から習い伝えたものです。 (中略)
世に賢人というのは、よい師匠から習い伝えた人をいうのであり、聖人というのは、師がなくて自ら悟った人のことをいうのです。
※妙蜜上人(生没年不詳)は、鎌倉くわが谷に住む方で、夫婦揃って大聖人のもとに再三供養を届けられ、激励の御手紙を頂いており、立派な信仰者であった事が想像されます。
聖人とは自ら悟った人であり、日蓮大聖人は、末法に出現された大いなる聖人なのです。私達は後世に賢人と云われる様に、師匠に応えられる行動をすべきですね。
「金はやけばいよいよ色まさり、剣はとげばいよいよ利くなる。法華経の功徳は、ほむればいよいよ功徳まさる。二十八品は正しきことはわずかなり、讃むる言こそ多く候えと思しめすべし。」(妙密上人御消息 新1713頁・全1241-2頁)
現代語訳:金は焼いて鍛えれば、増々色がよくなり、剣はとげば一層よく切れる様になります。同様に、法華経の功徳は讃嘆すればするほど、増々功徳も明らかになるのです。法華経二十八品は正しい道理を説いた箇所はわずかで、讃めた言葉ばかりが多いという事を心得ていきなさい。
※大聖人も池田先生も、誉めて激励されていますが、此れこそが法華経の指導原理の応用なのでしょうか。
「末法には法華経の行者必ず出来すべし。ただし、大難来りなば、強盛の信心いよいよ悦びをなすべし。火に薪をくわえんに、さかんなることなかるべしや。大海へ衆流入る。されども、大海は河の水を返すことありや。法華大海の行者に諸河の水は大難のごとく入れども、かえすこと、とがむることなし。諸河の水入ることなくば、大海あるべからず。大難なくば、法華経の行者にはあらじ。天台云わく「衆流、海に入り、薪、火を熾んにす」等云々。」(椎地四郎殿御書 新1720頁・全1448頁)弘長元年4月御作か?
現代語訳:末法には法華経の行者が必ず出現します。但し、大難に値えば強盛の信心でいよいよ喜んでいくべきです。火に薪を加えるに火勢が盛んにならない事があるでしょうか。大海には多くの河水が流れ込みます。けれど、大海は河水を返すことがあるでしょうか。法華経の行者という大海に、諸河の水が大難として流れ込みますが、押し返したり、咎めたりすることは無いのです。諸河の水が入ることが無ければ大海はありません。大難が無ければ法華経の行者ではないのです。天台大師が「河水が集まって海に流れ入り、薪は火を熾んにする」というのはこの事なのです。
※椎地四郎(生没年不詳)は、駿東郡(静岡県)の門下で、四条金吾と交友があった様ですが、詳細は不明です。
難を乗り越えて(河水の流入)人格が作られ(大海の形成)、大聖人は、大難に何度も遭遇して法華経の行者である事を証明されたのですね。
「法華経の法門を一文一句なりとも人にかたらんは、過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし。経に云わく『また正法を聞かず、かくのごとき人は度し難し』云々。この文の意は、正法とは法華経なり、この経をきかざる人は度しがたしという文なり。法師品には『もしこの善男子・善女人乃至則ち如来の使いなり』と説かせ給いて、僧も俗も、尼も女も、一句をも人にかたらん人は如来の使いと見えたり。貴辺すでに俗なり、善男子の人なるべし。」(椎地四郎殿御書 新1720-1頁・全1448頁)
現代語訳:法華経の法門を一文一句でも、人に語ることは過去の宿縁が深いのだと思っていきなさい。法華経方便品に「亦正法を聞かず、是の如き人は度し難し」とあります。この文の意味は、正法とは法華経であり、法華経を聞かない人は救い難い、という文です。法華経法師品には「若し是の善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。是の人は則ち如来の使なり(詳文)」と説かれており、僧も俗も尼も女も一句をも人に語る人は如来の使いなのです、と解釈できます。あなたはすでに俗であり、この善男子の人なのです。
※我々創価学会員の中でも、御書を拝読し妙法の素晴らしさを友人に語っている人は、大聖人が仰せの様に、「如来の使い」に間違いないですね。
◎今回ご紹介した人以外にも、鎌倉には、日蓮門下の御僧侶以外にも大学三郎、桟敷女房など、信心強盛な俗信徒が多く在住していた様ですが、今回は割愛させて頂きました。どうぞお許しください。