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[32] 題名:掲示板再開します! 名前:チビカッパ URL 投稿日: 2023/12/31(日) 21:22

休眠状態だった掲示板を再開します。
2024年は、チャレンジの年にしたいです。
皆さま宜しくお願い申し上げます。
(^_-)-☆


[31] 題名:ハオルシアでした 名前:チビカッパ MAIL URL 投稿日: 2023/03/15(水) 17:33

ハオルシアが正しい名称でした。この植物は名前が複雑なので間違って覚えてしまいそう(汗;)


[30] 題名:ハルオシア(ハルオチア) 名前:チビカッパ MAIL URL 投稿日: 2023/03/15(水) 07:37

近所の園芸店で小さく可憐な多肉植物に一目ぼれした。
不思議な生命感、これなら枯れたり、死別するなどという喪失感は少ないだろう。
私が千円ほどの緑の植物を買おうと思った理由がもう一つある。
その名が、「萌」という素敵なものだったからだ。
帰宅後、ネットで調べてみるとハルオシア(ハルオチア)を育てている女性の写真を見つけた。
上手に育てておられる。
彼女の簡単な解説文に「萌」の花言葉が記されていた。
「小さな愛」。。。
今朝がた薄日の射す窓際の「萌」を見ると、透明な「窓」と呼ばれる葉の先がうっすらと輝いている。
ハルオシアの奥は深く、愛好家も望外に多く、なんと友の会のようなものが発行されたりもしているらしい。
う〜ん、老犬が死んだら、ハルオシアに乗り換えられるだろうか?
餌をくれとやかましくなく老犬と違い、ハルオシアは静寂を守っている。
我が家の玄関は日当たりがよく、アロエが巨大な繁殖を繰り返している。
このアロエと遠縁関係にある可憐なハルオシアは、極端な日当たりは好まないという。
桜の花が咲くころ、ハルオシアも生命力を増す。
まずは、この小さな命を大切に育ててみたい。
もしかして、私にも小さな愛が訪れるかも?
(^^)/


[29] 題名:感動した! 名前:チビカッパ MAIL URL 投稿日: 2023/03/15(水) 07:20

次の2つのYouTube動画には感動した。
とにかく「よい」、参考になるし、多くを学べる。。。
HAVASI — Prelude | Age of Heroes (Official Concert Video)
https://www.youtube.com/watch?v=5xTX7uTjaxs&list=RDEMb6QMbLuWAHYv8KbLmwwkkg&start_radio=1

Two Steps From Hell - Victory
https://www.youtube.com/watch?v=hKRUPYrAQoE&list=RDEMb6QMbLuWAHYv8KbLmwwkkg&index=5


[27] 題名:夢中の夢 名前:チビカッパ URL 投稿日: 2021/11/25(木) 15:29

夢中の夢

私は早朝目を覚ますやパソコンに向かっていた。

一仕事し終えて、身体が急に冷えてきたので、もう一度、ゴミ出しの時間まで二度寝することにした。

まだ、ぬくもりが残る布団に再び潜り込み、いつしかウトウト寝込んでしまった。

気持ちのどこかには、ゴミ出しの時間には間に合うように、8時のモーニングショーまでには起きる様にと熟睡はできないことを一方で気にしながらなので、かえって熟睡を促進してしまった。

皮肉なことに夜は熟睡したいと床についても、かえって眠りにつけないことがあるのに、もうじき日が昇るという直前のわずかな時間のほうが熟睡できてしまう。

私は深い眠りの中で暗黒の空間を見るともなく見ている。深い眠りに陥った。

すると、気にする別の潜在意識に私はおどろくようにして目を覚まさした。

階下で寝ている老いた父が、ぼちぼち目を覚まし、室内を徘徊しそうな気配が非常に私の気持ちを切羽詰まった状態に追い込み、うかうか寝ている場合ではないと無言の圧力をかけてくる。

「アッ、いけね!」と、慌てた私は掛け布団を大げさに振り払い、暗い室内で、蛍光灯もつけずに階段脇の吹き抜けから父に大声で呼びかけようとする。

しかし、なぜか、認知症で誰が何を言っているかもわからない父を起こすより、父の介護ベッドの脇で寝ている老犬を起こした方が手間が省けると判断し、「おおい!チビ、チビ!」と犬の名前を大声で呼ぶ。

2階の廊下から父が寝ている寝室を見下ろしても、なんの音沙汰もない。
父のいびきも、犬の鳴き声もしない。
暗い空間は、あいかわらず静まり返った沈黙のままだ。

その瞬間、私はこの光景が夢の中のできごとであることに気づき、「そうか父は死んでしまったんだ。階下には誰もいないんだ」と目覚めた私は猛烈な悲しみと孤独感に襲われ、年甲斐もなくおいおいと声を出して泣きだした。

少し上ずった情けない声だ。

まるで、小学生の男の子が泣きべそをかき恥ずかしいけれど泣かずにはいられないそんな気分が夢から覚めた私に残酷な現実を思い出させた唯一の逃避策だから、仕方がないと弁解をする。

「みっともないけど、泣いてもいいよね」と私の傍らで母親のごとく見守る無言の妻にテレパシーが交信されているから妻は私の悲しみを黙って受け止めてくれている、ああ、妻がいてくれてよかったと心の平穏を取り戻し、父のいなくなった寂寞感を妻に伝えようとすると、どこからともなくもう一人の自分だろうか、誰かもわからない自我(エゴ)のようなものが暗闇の中から近づく気配がする。

その気配は、先ほどまで夢から覚めた私と一体化し、再び私は目を覚ました。
泣きべそをかく少年のような私の女々しさをやさしくかたわらで聞いていてくれたはずの妻が実は死んでしまって、傍らにはいないという本当の現実を知らされる。

もう一年もたつのだから、あたりまえのことだ。
布団の中には私ひとりしかいない。

廊下から透明な空気をもてあそぶように、まぶしく輝く陽光が情け容赦なく差し込み、私は明るすぎる朝に底知れぬ孤独感を暴き出された。

もう、父や妻が旅立ってから1年になろうとするのに、昼間は仕事の充実に向け、前を見てがんばって生きようと、昼間の友、思いやりある仲間たちから励まされ、ときには、叱責されながら来年は新たな気持ちで最後のひと花を咲かせようと死別や孤独から卒業し、心の整理はつけつつあるつもりなのに、夢中の夢に心の芯で耐えてきた生身の魂がすすり泣く姿を見せつけられてしまった。

だが、死別の1年は、介護と看病に専念したあとの、心のリハビリ、自分へのモラトリアムとして大目に見てきた期間だったが、いつまでも過去の傷跡を気にしてばかりはいられない。
背水の陣で、とにかく全力投球してみよう、もっと自分の可能性を信じてリアルな現実に立ち向かってみようと自分で自分を戒める。

いつまでも死別を口実にして、やるべきことから逃避していてはいけない。
幸いにも私には余生をかけて全力投球する仕事がある。
この仕事に全てをかけてみよう。

気をとりもどした私は、階下で老犬が首を何度も大きく振り、長く垂れ下がった両耳をパタパタと激しく音立てているのを、ぼんやりと聴いていた。

そうかあ、このだだっ広く、とりちらかされた室内で、唯一の生命感、それは私より一足先に目覚めた無言の老犬たった一匹になってしまったのだ。

そう思うと、寂寞が地味な勇気に変化するのを感じる。
そうか、飼い主だった父母も、ときどき声をかけて頭をなでていた妻も、取り残された老犬チビにとっては、ある時期、ともにひとときを過ごした愛ある人間たちに過ぎなかったのだろう。
そして、最後に残った私がゴミ出しの大きなビニール袋をそそくさとまとめ、階上から下りてきてエサを与えるのを楽しみに待っている。

チビにとっては、17年間の(人生ならぬ)犬人生のなかで、たまたま今は私と1つ屋根の下で寝起きをし、たまたま私からエサをもらっては、窓際のお気に入りの場所で日がな一日熟睡をする。そんな当たり前の一日が今日もはじまっただけだ。

喜怒哀楽の戦場を潜り抜けてきた私とは対照的に、老犬は愛くるしい幼犬時代に人間社会に放り込まれ、何人かのやさしく見守ってくれる人たちの間で、すこしずつ歳をとり、今はみすぼらしい老い姿にこそなれ、それでも今までと同じように自分をかわいがってくれる人が一人だけとはいえ、ちゃんと自分を愛しつづけてくれている。

エサを食べ終え、満腹感からくる充足感、満ち足りた安心感、人間の気持ちに置き換えればおそらく幸福感が眠気をよび、温かな窓越しの朝日のもとで、体をまるめ、鼻先を器用に体全体で包み込み、人が時間に急き立てられるようにして家事や仕事に大わらわでいる喧噪など、どこ吹く風とマイペースで昼寝を始める。

そんな小さな命の存在が、限りなく私の励みにもなり、癒しにもなっている。
沈黙と暗黙の中で生きる小さな命の存在が安堵感につながる。

ゴミも出したし、生協の配達員が来る前に注文票と空き容器も出したし、ぼちぼち仕事をするか!おっと、その前に朝飯を食べなくちゃ。。。

せめて、コーヒーくらいは、豆を挽き、香りを楽しみながらゆったりと準備をしよう。

これほどの自分だけの時間が、かつてあっただろうか。介護看護生活という緊張感に次ぐ緊張感の連続人生に、一度でも自分だけの時間があっただろうか?

いいんだ、これくらいのゆとりは正々堂々と楽しんでもいいんだ。
もう文句を言う人は誰もいないんだ。

遠距離通勤の始発電車に乗り遅れまいと、朝飯抜きで駆け出すような出勤時間を気にする時間も今は必要なくなった。

両手で持ちきれず、クルマのトランクに「よいしょ」と気合で押し込む汚れた紙おむつの山もなくなった。

父の糞尿を始末し、お尻をバケツのお湯で洗う日々もなくなった。

家族の朝ごはんを作りながら、自分だけ立ったまま食パンをかじるなどという家族中心の暮らしもなくなった。

自分の朝ごはんを後回しにしたまま、介護と看護の雑事に追われ、気づけば家族の昼飯支度時間になっていたなどという我を忘れ自分を二の次三の次に追いやってきた人生もなくなってみれば今ではなつかしい。

今は、自分の気持ちひとつで掃除機をかけても、かけなくても誰も文句はいわない。
こんなにぜいたくな自分だけの時間が、どれだけあったのだろうか。。

そして、今、朝から晩までパソコンに向かってばかりでは体に悪いから、今日は風もおさまったし、気になる仕事がひと段落したら、伊豆の山々を見ながら散歩でもしようか、いっそのこと海の写真でも撮りに足を延ばし、しごとは帰ってから一気に深夜までやってしまおうか。

いやいや、体に毒だから、深夜のパソコン仕事は控え、室内の遺品整理でもたまにはしようか。
などとあれこれ考えながら人生と今日一日のToDoリスト、やることの優先度を考える。

やるべきことは、あまりにも多く、残された時間は予想外に少ない。

とにかく、今日もこのことだけはやろうという仕事の優先度が高まれば高まるほど、優先度の高い者同士の仕事の調整にうれしい悲鳴を上げられる毎日にようやくたどりつけた。

散歩も遺品整理も荒れ果てた庭の草刈りも、全ては二の次だ。

また自分一人の生活の雑用に忙殺される二の舞は踏みたくない。

などと、肉親の1周忌前に、少なくとも背水の陣で全力投球してやるべきことをやろうという気持ちにまで自分の精神状態を引き上げることができつつあることは周囲の人たちの励ましがあったことに大きく起因している。

きのうも、おとついも、その前の前の日も、私を親身になって気にかけてくれる人たちが、立場や年齢や性別にちがいはあっても、犬とは別の人間世界で私を大いに勇気づけてくれている。

もう感傷からは卒業しよう。
前を向き、別の意味で新たな無私の人生を送ろう。

起死回生の総決算のつもりで、自分にしかできないことを思い切りやってみよう。

「あなたは、あなたにしかできないことをやってほしい」などとアドバイスを真剣にしてくれる人までいる。

私に理解を示すまわりの人たちは、それが私にできる唯一の供養であることを黙ってうなずいて見守ってくれている。

また、聞えてきた。
老犬のパタパタが。。。

この小春日和のひだまりは、何物にも代えがたい自然の恵みだ。
万金をはたいてもこのぬくもりは手にはいらない。

そんな中で、再び眠りにつくオハラショースケ犬のチビ公は、なんだか滑稽な道化師にも思えてくる。
どうやら、私の心のエンジンもあったまってきたようだ。

1年前は全ての家族を失った私の空洞を、やりたい仕事、やるべき仕事が満たしてくれている。
よし、来年はがんばるぞ!

2021-11-25-('o')/('0')/


[25] 題名:忘れえぬ人々 名前:チビカッパ URL 投稿日: 2021/11/19(金) 19:13

忘れえぬ人々

光陰矢の如し(こういんやのごとし)ということわざがある。
月日が経つのは早いたとえだ。

自分のエンディングから逆算して過去を振り返る余裕ができた。
長くも短い一生の中で「心のきれいな人」や「感動した人」に出会った経験は予想外に少ない。

中途半端に「いい人」はたくさんいる。
自分も含めて大多数の人はそれ相応にいい人だと思う。
ただ、心の底から感動するほど「心のきれいな人」に出会ったのは3人しか思い浮かばない。

思い出すのに苦労する演歌歌手の名前程度に「いい人」たちは「思い出せないほど」いる。
だが、忘れっぽい私が「この人のことは記憶に刻みつけておこう」とお会いしたその瞬間に覚悟した人は3人に過ぎなかったということだ。

その内、ふたりは静岡県清水町の柿田川湧水公園で出会った。

私の妻は三島市内のデイサービスに通い、リハビリに励んでいた。
私の役目は、自宅とデイサービスの間を運転し、妻の送迎のアッシー君役をすることだった。
リハビリ中は、二三時間の暇ができるから、私は大きなペットボトルの空き容器を数本持ち、柿田川湧水公園脇の土産物店の庭先に湧く富士山の伏流水を汲んで帰宅後、みそ汁やコーヒーに湧き水を利用することが長年の習慣になっていた。

塩素の入らない透明な自然水は、身体にもよいと思っていたので、せっせと水くみに励んでいた。
この水くみ場は、2か所あり、お豆腐屋さんの向かいには小さな池が湧き水のまわりを取り囲んでいた。もう一方の桜の木のそばの土産物店の前には、石でできた水路状の湧き水が勢いよく流れ落ち、ちょうど神社のお清めの水のように容器に入れやすい格好になっていた。

私が通っていた頃は24時間いつでも湧き水を自由に容器に入れて持ち帰れたが、数年後には地下からポンプで汲み上げる電気代の節約のためか、夜中の衛生管理の関係か、日中だけしか湧水をわけてもらえなくなった。

もう一か所、お蕎麦屋さんかなにかがあり、そこの野外の蛇口からも水を分けてもらえたと記憶する。

最近は、すっかりご無沙汰しているから、もっと様子は変わっているかも知れない。

私が通い始めたころは、広い駐車場に観光客がまばらに車をとめている程度で、桜の木の下の湧水路も、豆腐屋の前の噴水状の湧水池のまわりも、人影はまばらで閑散としていた。

私が通い慣れてきたころ、春から夏に向かう陽光が暖かい時期だったろうか、若い女性が幼い男の子の手を引いて、小さなペットボトル数本に木の下の湧き水を汲んでいる光景にでくわした。

ようやく歩き始めたくらいの男の子は、岩をくりぬいた湧水槽の排水パイプから噴き出す水にかわいい手を濡らし、うんうんと幼児らしい独りごとを発していた。

若い母親は、男の子の育児用のあれこれをバッグに入れ、両肩から背負い、ペットボトルの水を拭き終わると、バッグのチャックをあけてていねいに1本ずつしまっていた。

最初のお子さんなのだろう、どこか不慣れなママさんらしいぎごちなさを残しながらも、おとなしい男の子の手を引き、駐車場の奥にとめた車に向かって歩き始めた。

私は彼女の次に、ペットボトルを小さな湧水路の吹き出し口に近づけ、じょうごを容器の口元に差し込むと、逆三角形のじょうごの頭に勢いあまって溢れ出る水をよけるようにして体をずらし、木陰のしげみから流れ来る水を要領よく容器に入れることに集中していた。

ペットボトルの口元のキャップを締め、何気なく駐車場の方向に顔を向けると、まじかに先ほどの若い女性が男の子の手をにぎったまま立っている。

一瞬、びっくりした私を気遣うように彼女は小さな声で、私に話しかけてきた。
「あのー、このお水って飲んでも大丈夫なんでしょうか?」
私にとっては少々意外な質問であった。

こんなに多くの地元住民や観光客が汲みに来る湧き水が、飲めないはずはないと思っていたからだ。そもそも、私は好奇心のかたまりみたいな人間だから、水汲み習慣を始めるに当たり、数百メートル先の柿田川湧水公園の自然保護トラストボランティアのおじさんたちから、毎日のように伏流水の話を聞いてきた。

ボランティアは交代で観光客などに柿田川湧水の概要を説明してくれるから、いろいろなおじさんたちの蘊蓄(うんちく)を私なりに耳学問で収集し、自信を持って安全でおいしい貴重な富士山の伏流水であることを彼女に滔々(とうとう)と説明してあげた。

たぶん、こんなに数十年かかって沁み出す柿田川湧水は奇跡にも近い自然の恵みだという「にわか専門家」気どりで私は得々と説明したかったのだろう。

そんな私の半分自慢話みたいな安全で貴重な自然水学説を、静かにうなづきながら彼女は聞いていた。きっと、男の子のすこやかな成長を願い、わざわざここに来ていたのだろう。

ほっと一安心した彼女の笑顔が、若くてういういしく、何だか私はいい人に出会えたなあ、水汲みにもこんな役得があるんだなあとうれしくなってしまった。

それと同時に、こんなに気だての良さそうな女性と新婚生活を送れる男性にいささかの嫉妬心を覚えてしまう自分が恥ずかしくもあった。

そんな不純な気持ちが芽生えそうになった刹那(せつな)、彼女は再び、男の子の手を引き、深々と私に頭を下げて礼を言い、不安が解消したせいだろうか、心持ち足取りが軽そうに帰って行った。

私は介護生活と仕事の板挟みにあって、いつしか気持ちのゆとりを失いかけ、ぎすぎすした毎日を送っていたのだろう、この静寂の中で富士山の湧き水を汲む時間だけが癒しの瞬間、憩いの場となっていた。

深まる緑と、野鳥たちのさえずりを聞きながら、忘れかけた自然の営みを乾いた心のうるおいにしていたのだろう。

何かよいことをした気分になって、再び水汲みを始めた。
あまり長居をすると次に水を汲みに来る人が、あっという間に行列を作ってしまうことがある。
こんなに人気(ひとけ)のない時間帯は貴重なのだ。

おそらく、数本の大きなペットボトルに水を汲み終えたころだろうか、はるか先の駐車場のほうから、子供を車に乗せた彼女がひとりで、小走りに私のほうに近づいてきた。

どうしたのだろうか?ややいぶかしみながら私は木陰に立っていると、心持ち息を荒くした女性が再び口を開いた。

「あのー、先ほどはご丁寧な説明をしていただき、本当にありがとうございました。ちゃんとお礼をお伝えしなければと思いまして。。。」と、深々と私にあいさつをする。

「え、いや、そんなにお礼をされるほどのことじゃありませんよ」と、私の方が恐縮してしまった。
陽光のもと、男の子が待つ車へ向かう彼女の後姿を目で追いながら、私は感動した。
「世の中には、こんなに心の美しい女性がいるものなのだなあ」と。

残念ながら、それから数年間わたしは毎週ここに水汲みに通ったが、二度と彼女と男の子の姿を見ることはなかった。

それから数年たっただろうか、多くの人たちと出会い、多くの人たちの人生を垣間見てきた。
いつしか私は、水汲みよりも人間観察のほうが楽しくなってしまった。

ここでは、多くの人たちが日帰り観光でついでに立ち寄ったり、付近の人たちがおいしいお茶やウイスキーの水割りを飲みたいと通ったり、かなり遠くから店で使う仕込み用に大きなタンクを持参する飲食店の人など様々な目的と、用途と、水に対する思いをもって、やって来ていた。

時には大きな観光バスが2〜3台も来ると、いっぺんに水汲み場は長蛇の列になったりもする。

どちらかといえば、ほとんどの人が、のんびりと憩いのひとときを味わう牧歌的な雰囲気だから、自然と私も人々の笑顔や会話に時には喜んで引き込まれ、時には眺め暮らすのが当たり前の習慣となっていた。

そんなある日、晩夏か初秋のころだったろうか、日が落ちるのが早まり、特に木陰はうす暗く感じられる夕方であった。大きな体の男性がペットボトルも他の容器も何も持たずに、湧水槽に近づいてきた。私は満タンになったペットボトルを段ボールに入れ、あとは車のトランクに乗せてリハビリを終えるころの妻を迎えに行くばかりだった。

多少、時間にゆとりがあったから、彼の挙動を観察することにした。
彼は、石をくり抜いた雨どい状の湧水路を流れ落ちる清らかな水には目もくれず、流れ落ちた水を一時的に貯め置く石造りの貯水槽の中の水を見つめている。

すると、昔、男の子がもみじのようなふくよかな手を濡らしていた貯水槽の最下部に設けられているパイプの排出口から最後に排水される間際の水に向かって、何やら小さなものを差し出した。
大きな体をまるめてしゃがみ、彼は透明なガラスでできたおちょこに、排水直前の水を受け止め、大切そうにおちょこの水を目元に近づけた。おちょこは焼酎のおまけについてくるような酒銘が入ったありきたりのものだった。

どうやら、おちょこの中の水で片目を洗うらしい。洗いおえると、もう片目も同じように洗う。

この不思議な光景を観察していた私は、彼が両眼を洗い終え、立ち上がる瞬間をとらえて声をかけた。「すみません、失礼ですが、あなたは何をされているのですか?」

彼はメタボ気味の突き出た腹を私のほうに向け、心持ち日焼けした顔を私に近づけて語り始めた。
語り始めると、口をはさむ暇もないほど、彼は一気に自分の物語を話すのだった。
まるで、絶えることのない流水のように、たどたどしい日本語で湧き水とのなれそめを説明してくれた。

彼はブラジル人で、何十年も前に日本で働くためにやって来たのだという。
ひとことの日本語も話せず、柿田川公園の近くにある製紙会社で工員として働いてきたという。
日本語は工場で一緒に働くパートのおばちゃんたちが、昼飯の時に、少しずつ教えてくれたという。彼はまじめに働いたから、ブラジル人の奥さんとの間に娘も生まれ、なんとか日本で生活できたという。
それは、親切なパートのおばちゃんと、三島市内にあるキリスト教会のおかげだという。

彼は敬虔なキリスト教信者で、首には小さな十字架のネックレスをしていた。
残念なことに、日本語もろくに話せないお父さんは嫌いだといって娘は成長すると家を出て行ってしまったという。

悪いことは重なるもので、何十年も働いてきた製紙工場の景気が悪くなり、パートのおばちゃんたちと一緒に彼は解雇されてしまう。
脳梗塞を発症し、体も思うように動かせなくなったので、わずかな貯金をはたいて、地元の病院で治療をしたが、もらった薬を飲めば飲むほど目が悪くなり、このままでは失明しかねない状態まで追い込まれたという。

気が付けば奥さんも家を出ていき、小さなアパートに残された彼は畳の上で、泣き暮らすしかなかった。そんな彼を救ってくれたのは、キリスト教であり、教会であったという。

もともと、ブラジルにいたころは、靴も買えずに裸足で学校に通うほど貧しかったが、家族や村人は敬虔なキリスト教の信者ばかりで、神のおかげで貧しいブラジルの生活から靴も履ける日本の生活ができるようになった。親切なおばちゃんたちに日本語も教えてもらえた。
何から何まで神のおかげだと、あごを心持ち首のほうにひきつけ、彼は十字を切った。

「では、なぜ柿田川の湧き水で目を洗うことになったのですか?」

「それも、神と親切なおばちゃんたちのおかげです。私は工場とアパートの往復しかしてなかったから、薬で目が悪くなったんなら、薬をやめて、富士山の湧き水で目を洗ってごらんとおばちゃんたちから教えてもらった。」

だから、毎日、こうして水で目を洗っているのだという。彼によれば、失明しかかった両目が神の奇跡のおかげで、見えるようになってきたというのだ。

彼にとっては試練の連続だが、神は最後に彼の両眼を見えるようにしてくれた。
目が見えれば、毎週、歩いて教会に通うこともできる。
これほどの神の慈愛は感謝しても感謝しても足りないくらいの偉大なものだ。

本当に神を信じてきたおかげだと、確信に満ちた信仰の姿を私は目撃したことに感動を覚えた。
筋金入りの信仰とはまさにこのことだろう。

結婚式はキリスト教式で、七五三は神社に行き、葬式はお寺さんと、私を含めた日本人のご都合主義的な宗教観が恥ずかしくなった。

これほど強靭な信仰の力を私は生まれてはじめて目撃した。
彼にとっては柿田川湧水は数十年かけて湧き出てくる自然水であるだけでなく、彼の目を治してくれた神の水でもあったのだ。

緑の木々が黒く変わり、遠くオレンジ色の夕焼けが雲間から空を染め始めたその時、私は「しまった!」と心の中でつぶやいた。

実は彼が来る少し前に、ここによく来る常連さんが薄汚れた白いポリタンク二つに貯水槽の水を汲んで帰ったばかりだったのだ。
この常連さんは、広い庭先にコケを植えて楽しんでいるという人だ。コケは水道水よりも、ここの水のほうがよく育つ。だから、貯水槽から毎日水を汲んで帰っては、翌朝コケに水をやるという人だった。

この常連さんは、人が飲むわけでもなく、コケにまくだけの水だから、汚れたポリタンクを貯水槽に沈め、満タンになったら持ち帰ればよいという人だ。貯水槽の真上に位置する湧水路の吹き出し口は人々が飲み水にするから、貯水槽の水なら古くなったポリタンクにコケ用の水を入れて持ち帰るくらい問題なかろうという扱いなのだった。

だから、常連さんは泥の上でも平気でタンクを置いてトイレに行ったりする。
そんな汚染された貯水槽の水がさらに下部に設置された排水パイプから流れ出すわけだから、そんな汚染直後の水で目を洗うのはまずいと思った。

ブラジル人の男性に私は婉曲に言った。一番上にある噴出路から流れ出る寸前の水が一番きれいだから、そこから水を汲む方が衛生的でよいですよと親切心からアドバイスした。

ところが、彼が言うには、どこから汲もうと神の水は聖なる水だから、少しでも下手の水をいただくのが神に対する礼儀だと言ってきかない。

ああ、何をかいわんや。

コケにやる水にすぎないと貯水槽を汚しても平気な人もいれば、神の水を上手から汲むなど恐れ多いという人もいる。水に責任はないものの、水に接する人には天地の差がある。

私はデイサービスの門限時間を気にしながら、慌てて柿田川公園をあとにした。

その後、数週間後に、私は公園真向いの大型ショッピング施設に買い物に行った。その帰りに歩道を歩く例のブラジル人の姿を見かけた。

声をかける暇もなく青信号が黄色に変わりかけたT字路を私は慌てて右折した。
車内のバックミラーには、小さくブラジル人の後姿が映っていた。

私は信仰に支えられた敬虔なブラジルの男性に、自分たちが忘れかけていた何かを教えてもらった気がした。
このことは、記憶に刻んでおかねばならないだろう。

3人目は100円ショップで働いていた若い女性店員だ。
今ではJR三島駅の南口にかつてあった小さな100円ショップの存在を覚えている人も少ない。

まだ、小さな100円ショップが駅の利用者たちに重宝がられていたときのことだ。
私は、そのころ静岡の手前にある大学で非常勤講師をしていた。

ある時、自分の授業が長引くのは時間管理が甘いからだと反省し、キッチンタイマーを買って行こうとショップに駆け込んだ。

小さな100円ショップは、まるで自分が子供のころ毎日通った空き地の向こうの駄菓子屋さんのようだった。所狭しと色とりどり、大小長短の品々が通路からはみ出して陳列されている。
ぱっと見、どこにタイマーがあるやら皆目見当もつかない。

出入り口脇のレジの置かれたラックの後ろに窮屈そうに身をかがめている女性店員が一人いた。
私は彼女に急いでいるんですが、キッチンタイマーはどこにあるんですか?と尋ねた。

すると、彼女はニコニコと楽しそうな様子で、奥の棚から2種類のタイマーを素早く持ってきてくれた。
「お客様、うちは、これとこれの2種類しか置いてないんですが、どちらがよろしいですか?」
慌てている私は両方を買うことにした。
たかだか200円で、ずいぶん学生たちの苦情を緩和できるなら安いものだ。
時間内に講義を終えられない私の授業はきわめて評判が悪かったからだ。

ところが、私はさりげない彼女の立ち居振る舞いに感動してしまった。
このあふれかえる品々の中から、すっと私の必要とするタイマーを持ってきてくれただけでなく、その様子が仕事に対する愛着といおうか、誇りといおうか、この仕事が好きでたまらないと体全体で表現している姿から、あまりに充実感と楽しさに満ちたお仕事だというオーラが感じられたのだ。

時給いくらかの仕事に、かくも誠実に、そして、ルンルン鼻歌が聞えるほど楽しさを満喫するかのように働く彼女の姿は、何か私が彼女よりはるかに高い時給をもらいながらも、やる気のない学生たちにマジメに勉強しろなどと目くじらをたてているのが恥ずかしくなってしまった。

やる気のない学生たちの、ふてくされた顔、顔、顔。
目くじらをたてて授業を終わらせようとしない私の不機嫌な顔、顔、顔。。。

なのに、目の前にいる彼女は学生たちと歳の差もたいして離れていないだろうに、どうしてこんなに楽しそうに狭いショップの仕事をキリモリしているのだろうか?

店に私が入って来た時から、会計を済まして出て行こうとする時まで、彼女の笑顔と人生に満足をしているような充足感は、変わらず一貫している。

小さな幸せに満足して働く、生きる。
何やら私は彼女から得(え)も言われぬ大切なものを教えられた気分だった。

この子は何をやってもうまくいくだろう。
誰からも好かれるだろう。

このことは記憶に刻まねばなるまい。
思わず私は彼女の胸につけられたネームプレートに目をやった。
Yさん、平凡な名前だ。
平凡にこそ幸せがある。

今だから言語化できるが、長年、その感動を言語化できぬまま私は歳をとってしまった。
ある時、駅から離れた大型スーパーに買い物に行ったついでに、路地裏の100円ショップに立ち寄ったことがあった。

看板を見るとかつて駅前にあった100円ショップと同じ看板だったので、店員にYさんという女性のことを尋ねてみたが、店員の女性たちは顔を見合わせて「さあ、この店にはその名前の店員はいませんけどねえ」という返事しか聞けなかった。

さらに時間がたち、再びスーパー向かいの路地裏の100円ショップをのぞいてみたら、店の看板は黒っぽい別のものに書き換えられていた。通所デイサービスにかわっていたのだ。ショップの店員とは違う異質な寂しい空間に思われた。

おそらく、Yさんがこの周辺で働いているとすれば、彼女は店員からも客からも愛される存在でありつづけるだろう。

そんな想像が、ささやかだが介護生活と仕事の板挟みに汲汲とする私の気持ちを、わずかながらも励ましてくれたのだった。

Yさん、元気で頑張ってね!
あなたの知らないところで、あなたの隠れファンのおっちゃんが一人、心の声援を送っているからね!
本当に楽し気な笑顔をありがとう。。。

2021-11-19-7pm('o')/('0')/


[23] 題名:お醤油か?迷える子羊か? 名前:チビカッパ URL 投稿日: 2021/11/18(木) 23:50

お醤油か?迷える子羊か?

男女の仲は回答がない。

居心地の悪さを感じたり幸福感に満たされたり、時には怨念の世界に突き落とされる。

まさに十人十色の人間模様だ。

自分も死ぬまで当事者でいなければならない。
傍観者や評論家の立場がとれないのが悩ましくもあり、恥ずかしながら生きることへの一条の希望を持てる光明でもある。

もうじき亡き妻の一周忌が近づく今現在、どうしてシニア男性がこうも右往左往するのか不謹慎だが情けないやら楽しいやらといった日々を送っている。

最近は、家族たちとの相次ぐ死別の悲しみが一段落し、心の傷が癒されたとは言えないまでも落ち着いて多面的に人と人のかかわりを考えられるようになってきた。

父母と妻の晩年を言い換えれば難病の母、認知症の父、精神疾患と重度脳血管障害者の妻の末期がんによる終焉と、、見方によれば悲劇デパート地方都市支店の地下食品売り場に小銭しか入っていない財布をにぎりしめて、激安投げ売り起死回生商品をさがしまわる人生の初心者である私が、そもそも不可思議なデパ地下には起死回生魅力商品などないのに、希望的観測で3人の家族介護の戦場で人命最優先の人類愛を唯一の旗と信じ、塹壕戦から帰還したような、人生の一大事業を成し遂げたような、複雑な孤独感に耐えつつも、自分には余生が若干残されており、落ち着いて何かを考える余裕もなく四半世紀近くを過ごしてきた過去を振り返ることと、今まさに自分のまわりで対面する人々に支えてもらいながら初冬の日差しに喜びと不安を抱えて生きていることに不可思議さも感じる今日この頃なのである。
今となっては悲劇に見えた日々は喜劇あり義理と人情あり綱渡りの恐怖ありと人生の学びに満ちた(あくまで主観的な思い込みだが)小劇場であった。

幸か不幸か無神論者になった自分には、絵にかいた神よりも人間臭い人間ドラマのほうがはるかに人生の師たるにふさわしいという確信が生きる自信にもつながっている。

私は寛容な無神論者だ。神を信じる人たちの気持ちは最大限に尊重する。ただ、過酷な現実世界の生と死のリアルを体験してきた私は、神を信じる余裕がなかったし、見知らぬ人のお経や戒名などの不可思議な風習が必要不可欠なものとは思えなかった。
そんなお金もなかったし、経費節減で医療費や介護おむつをひねり出すためには神を思考回路に組み込む必要性すら感じられないほど切羽詰まっていたのだろう。

それよりも家事ヘルパーさんたちと、どうすれば末期がんの妻に栄養を補給し、認知症の父から口に入りそうな品々を隠すかで知恵を絞ることのほうが優先度が高かった。

しかし、落ち着いてきた今は、父母の元気だったころの家族愛や夫婦愛や子育てに苦労しつつ働く姿などに畏敬の念をあらためて覚えるようになった。

妻が女性一人で見ず知らずの都会に生きる苦労などに思いをはせることができるようになった。若くて美しい女性に出会えたことに感謝する日々を送る時間を残されたことに人生の妙味を味わっている。

『方丈記』をあらわした鴨長明(かものちょうめい)や、『山家集』をあらわした西行法師と、彼を慕った松尾芭蕉の気持ちに万分の一でも近づけたら、こういうことだったのかも知れないと思いを馳せることができつつあるような気がする。

特に『源氏物語』に代表される日本の古典文学は、気持ちが「ざわついて」いたら読むことができないと思う。少なくとも私はそうだった。それが、何十年ぶりかで紫式部の気持ちなどが、少しは読み進めることができるようになり、感情移入すればするほど口語訳者・与謝野晶子だったら、こういう気持ちが鉄幹を盛り立てたいという願いと重なって源氏の君を再解釈していたのだろうなどと妄想を繰り広げる好奇心の土壌をもたらしてもらえたような孤独感に包まれている。

もう、「晩御飯のしたくはできた?」「この下着、明日の朝いちばんで洗濯しておいて!」「お〜い、おれの眼鏡はどこ行った?」などという急き立てられるような家族との対話が消失した気ままな世界に生きていることへの違和感にようやく順応し始めている。

不敬とののしられるかも知れないが、人は人のみによってこそ救われると思う。あえていえば、フランチャイズ化した宗教組織や偶像化させられた神(哲人たちの何人かが特別扱いされて神を演じさせられるのもたいへんそうだ)よりも、彼らの先輩格である哲人たちの人間臭さのほうに親近感を覚える。

アリストテレスも孔子も東西の神と呼ばれる後輩たちよりも、はるか数百年も前に生き、行動して、人間臭く死んでいった。
どちらかといえば、時代の空気を読んで順応するタイプでなく、ちょっとはずれたところで七転び八起きしていた生きざまがうれしい。
私が置かれた境遇からは、誰が見ても、こちらのほうが親近感を覚えることを責める人はいないだろう。

私の知人友人の中でかなりの人数が私は人間に好奇心が旺盛で、なかでも女性に興味が尽きないタイプなのだと私は笑われる。
しかし、人間に好奇心が旺盛で、異性にバイアスが多少かかっているというのは自然なのではなかろうか?

一方、矛盾しているが、占いやおみくじが好きな私は、仕事運や金運よりも女性運に一番興味がある。四六時中、スマホで星占いや血液占いをしているというタイプの占い好きでなく、私は人生の節目と思える時期に自分の選択に間違いはないか、というより、気づかないことはないか、見落としはないか、気づいているのにあえて見て見ぬふりをして自分をごまかしていないかとチェックするために、占いをすることがある。

会社員を辞めて「何を具体的にしたいかも分からないのに、何かがしたい」という茫洋(ぼうよう)とした時期に、渋谷の母と呼ばれる当時有名だった女性の占い師に将来の自分を占ってもらったことがある。

当時は占いブームで(今も?)、新宿の母と呼ばれる占い師は、若い女性の恋愛相談(もとい)恋愛占いで行列ができていたから、どちらかといえば、仕事運とかやりがい探しみたいな女っけのない占いは渋谷のほうがよいと思い、占ってもらったことがある。

初老の占い師は、いかにも経験豊富な占い師という印象で、ひとことでいえば、私は晩年大成するということだった。

どこかに書いたが、これには正直わたしは腹を立てた。わざわざ東京の郊外から電車に乗って来たのに、こんな確認のしようがない無責任な話など、体の良い激励の一般論に過ぎないと思えたのだ。

その後、何十年かの歳月が過ぎ、肉親3人の死に水をとって、フリーランスになった私は、沼津の商店街の初老の女性占い師を見つけ、定休日でシャッターがおりたモールの真ん中で、彼女に占ってもらうことにした。

亡くなった母と同年配くらいの彼女は一目見るなり、私は人の上に立つ器だと言ってきかない。人相も手相も姓名判断も全てまちがいがないというのだ。

さらに最近、伊東の商店街で閑散としたモールのはずれで店じまいしている伊東の母なる初老の占い師の看板を見つけ、私は店の奥まで入っていった。

彼女は手相が専門らしく、仕事運が非常に強いというのだった。
何も言わずに座っただけで、三人の母?が、異口同音に晩年(今後?)の私は仕事運が開けていると指摘したのだった。

ところが、沼津の母は気になることを付け加えて厳重注意した。私は女難の相があり、父親譲り、果ては私の父方の家系であるというのだ。

金より女性に恵まれたと思って生きてきた私が、逆の晩年を送りかねない?これは、視点を変えて見落としがないか、勘違いはないかを確かめたいなどと御大層なことを公言してきた自分にとっては、決定的な打撃だ。

仕事運や金運は、占い師たちによれば悪くないらしいが、直接間接に占いの母たちが指摘する要注意事項は、女難であった。

これについては、後述する岡田斗司夫流に自分を納得させることはたやすい。
たかだか千円かそこらの占い料で、小一時間も個別対話サービスをしてくれているのだから、一般論としてシニアの独身男性にアドバイスする人畜無害なリップサービスは、「これからよくなるよ、女には気を付けなさい」くらいしかないだろう。

これなら、今わの際に枕元で「どこそこの母を標榜する占い師を民事裁判で訴えてくれ」などと遺言を残す男もいないだろうし、女性には気を付けなさいというのはシニア独身男性に対する親切なアドバイスとしては当たり障りのない無難なことばだろうということになる。

しかし、私は世の中の男性の例にもれず、意外と気が小さい。
お金が入ったり、仕事が順調にいったとしても、女難に遭ってパーでは目も当てられないではないか?しかし、こと女性に対しては確固たる道徳観を貫ける自信もない。。。

こういう小心者の私は、人間に対する好奇心よりも、てっとりばやい乱数の世界に最終判断をゆだねることにする。

それが、たまたま久しぶりに上京をした品川駅近くの小さな神社のおみくじだ。

これは、三者三様に慰めと人畜無害な一般論を語る母占い師よりも、たとえ人工的な一般的記述であっても、私情をはさめない乱数の確率論という違う手法になる。

今は品川駅前の巨大パチンコ宮殿に隣接する小さな神社で引いた100円のおみくじの「吉」の文面が今のところ一番気に入っている。

無神論者を自認する私が吹けば飛ぶような神社のおみくじを気にし、気に入り、室内のいたるところに「自重(じちょう)」のスローガンを貼ってまわりたい気分である。

いわく、総論:
「このみくじにあう人は、仲秋の名月に一点の雲もないように、万事十分の形であるので、物事を控え目に、慎み深くすること肝要」とある。

後段は耳が痛い:
「神仏を信じ、人の言に惑わされず、また独断におちいらなければ幸せ極(きわま)りなし」

日本の社会は同調圧力が強い一本調子のお行儀のよさが長所でもあり短所でもあるが、そうした前提があるからこそ、曖昧模糊(あいまいもこ)としたグレーゾーンがセーフティーネットになっている面もいなめない。

だから、無神論者を標榜する私が、大好きな占いの中でも安価な100円のおみくじを神社でひくことも寛容に許されているのである。

私としては数年、何十年に一回か二回のコストパフォーマンスのよい自己暗示術といってもよい。

考えようによれば、選挙の際に、労働組合員の組織票を読むにあたって、あらかじめ特定の宗教政党支持者やNHK受信料を払いたくない支持者たちが組合代表立候補者に投票しないことは先刻織り込み済みなのに似ている。ゆえに肉親の介護と死別を通じて無神論者となったはずの私が、宝くじに現金を使うかわりに占い師やおみくじに現金を使うのは個人的にはコストパフォーマンスのよい癒しと安心のプラセボ効果なのだ。

さて、100円の投資額に見合う見返りは私にとっては、充分にあったように思われる。
数十年間で記憶に残る占いを4回したわけだが、この100円のおみくじは最もコストパフォーマンスがよく、しかも、座右の銘としたいくらい私の自戒の念を呼び覚ますには十分だった。

金運「ほどほどにすればよし」これは当たり前だが節約につとめ、浪費をするなという戒めになるから弱い意思を制御するには、ダメ押し的効果はあるだろう。
無駄遣いをすると良心の呵責にさいなまれるし、「ほれ見ろ、神を馬鹿にするからバチが当たったのだ」と言われるのが悔しいから節約につとめよう。

これは一般論としても正論だから同義反復なのだ。
つまり人畜無害の教科書の丸暗記事項ともいえる。

問題は、女性運だろう。女難の相注意喚起占い師たちの説は当たるか?
当たるに決まっていよう。
そもそも年齢健康度合いの違いこそあれ、男性の立場から見れば「女難に注意」というのは万人に等しく通用する公理定理原理原則と言っても過言ではない。赤ん坊以外の全ての男性に当てはまる真理ではないか?

逆に女性の立場からいえば、「男運に注意しなさい」となる。
これでは、金運同様に一般論として正しいという同義反復ではないか?

しかし、読んでみよう。
「恋愛・縁談:すべてよすぎてこわれることあり、控え目のこと」前半でうれしがらせて、後半で戒める。これまた王道をゆく占いの諫めではないか?

それでも、「あなたはお若い、そんなお歳には見えない」と言われるリップサービス同様に褒められて悪い気はしない。あまり異性のことばかり考えてちゃダメだよ!というのも、「そんなこと守れるわけなかろうが」という大人のグレーゾーン理論にも感じられるが、まあ、世の中、金と女には気を付けよ!(金と男には気を付けよ!)というのは、世界的な建前論の1つであるのだろう。

「制限速度厳守!」と道路標識の脇に安全標語が掲げられていても制限速度で走っている車は少ないよね!みたいな本音と建前の寛容さが日本のよいところ(悪いところ)?

以前、藤井聡太のお母さんの気持ちという文章を書いたことがある。最近は、藤井聡太三冠が四冠になり、次は五冠かと連戦連勝に湧く将棋界を見ていて、自分が子供のころも巨人大鵬卵焼き力道山と月光仮面世代だったことを思い出し、数年前は無敗の羽生神話に酔いしれていたのと何も進歩していないことに気づいた。

ただ、子供のころも、15歳の中学生のころも、20歳の成人式を迎えようとしている今も、藤井聡太棋士が負ける姿に変化がないことには感心する。

羽生さんは負けても悔し泣きをして目も当てられないことは一度もなかった。だから安心して応援していられた面もあろう。

ところが、藤井聡太棋士は幼いころも、少年時代も、青年時代の今も、一貫して負けると悔し泣き、大泣き、見る方が切なくなるほどの青菜に塩状態になってしまう。

これはすごいことだ!プロ棋士の中に、こんなに負けて打ちひしがれる、身も心もズタズタに切り裂かれるほど公衆の面前で態度にあらわす純粋さを保ち続けている棋士がいるだろうか?

囲碁の井山裕太棋士は、初めて大きなタイトルに挑戦し僅差で負けたとき、自室にかえってから ふとんをかぶって大泣きしたという。この手の棋士は少なくなかろう。

しかし、藤井聡太棋士のように、公開対局の観戦者たちの目の前でも、テレビカメラの前でも、誰彼かまうことなく大泣きしたり、ぐったりとうなだれて、悔し泣きする青年はいただろうか?

藤井聡太棋士は当分は女難の相とは縁のない勝負人生を送るだろう。あえて言えば、彼にとっては将棋の神様、将棋の女神が最も身近な存在といえよう。

だったら、100円の品川で引いたおみくじには、勝負運は書いていないものの、私が彼にかわって一般論を宗教風に脚色して文章化した同義反復を藤井聡太棋士と将棋の女神の関係に置き換えて再解釈してみよう。

藤井聡太棋士の将棋の女神運勢:
「将棋の女神との恋愛・縁談:すべてよすぎてこわれることあり、控え目のこと」
どうだろうか?
少しでも彼の多忙な棋士人生に興味のあるファンにとっては、当たらずといえども遠からずですらないことを感じるのではないか?

今は、思い切り泣く姿こそ魅力、全身全霊で全力投球して負けたのなら、控え目にお茶を濁して「らしくない負け方」をするよりはるかにマシと将棋ファンは言うのではなかろうか?

聡太棋士は命がけというより、ひたすら真剣に将棋の女神の膝の上でがんばっている。

控え目を強要する女神は将棋ファンなら誰も見たくないだろうし、グレーゾーンで寛容な勝負の世界など存在しないことを熟知しているから、聡太と女神の関係は当たり障りのない一般論を突き抜けた孤高の世界だといってもさしつかえないだろう。
負けて大泣きする聡太に女神は、どんな対応をするのだろうか?

ここで、私なりに自分の頭で考えてきたひとつの仮説を導入してみよう。

人は神によって救われることもあるが、何より本来は人によって救われる。

仮にこの仮説が正しいとすれば、この検証は、人間臭い俗っぽい日常の中にしか検証材料は見つけられない。聖典の活字インクの間にはなさそうだ。

静寂の中の荘厳で無菌室的聖堂の中にはリアルな解決の糸口(ヒント)は見つからないだろう。雑多な腸内細菌的な混沌を排除しているからこその聖堂なのだから。徹底した消毒や換気やマスクやソーシャルディスタンスやクリーンルーム的な方針で構築された救いの殿堂とは真逆の、腸内細菌免疫説のような私の考え方は邪道なのだろう。不謹慎なのだろう。

でも、リアルな本音が目の前を通り過ぎていく現実を無視できない。少なくとも私の四半世紀に及ぶ介護生活をひとことでいえば、「目の前のリアル」「目の前の老い」「目の前の死別」以外の何物でもない。

であれば、おみくじ100円はリコール返品制度には想定されていない消費者庁の例外商品として、もう「慎重に生きましょう!」というプリントアウトした細長いプリント用紙として大切にしまうのがよいだろう。

では、どこに腸内細菌的なリアルが見つけられるのか?
偶然見つけたのが、ニコニコ動画のうざったいコメントの嵐だ。注意深く見ると、聡太棋士が負けを悟ってからの負け姿に対し、将棋ファンや聡太ファンが、どのようなコメントを送ったかが参考になることに気づいた。

(参考)

https://www.nicovideo.jp/watch/sm32474425
深浦康市九段×藤井聡太四段【詰むや詰まざるや】混迷の末に…



===
順不同で書き込まれるコメント群から抜粋してみよう:
(引用はじめ)
★凄い熱戦だった
★泣いてるぞ
★やっぱ15歳の子供だな
★笑ろうてしもた
★泣いた?
★泣いてる??
★俺も泣いてる
★リアルに泣いとる…
★中学生泣かしちゃった
★今までで一番落ち込んでる
★泣いてええんやで
★本気で泣いてるじゃん
★悔しそう
★ぐったりそーちゃん
★インタビュー 別にええんやで
★両者に拍手8888888
★深浦先生気まづい
★これ運営もこまるな
★泣くな!
★インタビューこれるかこれ
★落ち込み方がパナイ
★感動した
★いいもん見せてもらった
★リアルに泣いとる
★こっちが泣けてくる
▲解説者
中村太地七段いわく:
両者ともに声が出ない・・・
(引用ひとまず停止)

だんだん、最後に近づくと多くの書き込みが賞賛や同情や感動や共感に変化してくるのが分かる。
歌舞伎の判官びいきや、なでしこジャパンがアメリカチームにお返しで負かされた路線に入ってくる。

しかし、感傷や同情ではなく、ここからが私の注目するコメントなのだ。
これは、歌舞伎やなでしこジャパンの路線とは別の次元のものとなる。
恐らく「観る将(見るしょう)」と呼ばれる観戦専門ファン(私もそのひとり)の、しかも、おそらく女性ファン(年齢不詳)と推定されるコメントがわずかながら発見できる。
このニコニコ動画のコメントは受け流すべきではない:
===
(引用再開)
●抱きしめたい
●母性本能くすぐるわ
●よくyがんばったよ・・・・
(引用終了)
===
(拙論継続)
私の推測では、少なくとも一人以上の女性観戦者が、上のコメントを書き込んだのだろう。特に3番目のミスタイプを見過ごすべきではない。
感情の高ぶりを抑える間もなく、彼女はおそらく「よくやったよ」と入力するつもりで、途中で瞬間指が動いて「よくがんばったよ」とキーボードをたたいたのだろう。
「よくやったよ」の「や…」は、通常のポジションだと右手の人差し指で「Y」のキートップをたたく。
ところが、「がんばったよ」の「が…」は、左手の人差し指で「G」のキートップをたたく必要がある。
この左右の指の運びが間に合わないほどせわしく書き込まれるニコ動コメント欄の入力をバックスペースキーで修正する暇もないくらい彼女の感情は高揚し、切迫していたのだろう。

ここには、私流にいえば、人間の女神がいる。

美輪明宏流にいえば、母性という無償の愛がある。

藤井聡太棋士は何億通りもの正解への可能性(分岐)を瞬時に推敲選択しなければならないという正誤の二者択一の組み合わせと格闘することが将棋の神様の世界であり、論理の組み合わせこそが限定されてはいるものの正解を選択しつづけることが至難の業であるというカオス的な世界を単に将棋の神様と表現しているに過ぎない。

だから、これを三蔵法師の手のひらで暴れまわる孫悟空になぞらえた将棋の女神の膝の上で知の深淵をきわめようとする藤井聡太棋士にたとえるのは、別の意味で不謹慎ととられるかも知れない。

私はこのような批判を甘んじて受け入れる。
しかし、修辞的な問題ではなく、リアルな現実として上述のような女性とおぼしきコメントが散見することは、私が最近気になっている男女関係と母子の関係、さらに広げれば父子の関係、家族関係にも一脈通じると思えてならない。

最近は、藤井聡太棋士が勝つのが当たり前になってしまったため、話題性が低下したと判断するテレビやマスコミ界は、あまり藤井聡太棋士を取りあげる時間が多くなくなった。

かつて史上最年少なんとか。。。が話題性のある時期に、少年時代の藤井聡太君が、こども将棋戦に出場し、負けて大泣きする姿が放映されたことがあった。
それを見た敏腕女性キャスターと元雑誌編集長の女性コメンテーターの二人は、声をそろえて、「ずるいよねえ!」と開口一番本音を吐き出した。
「こんな映像を見せられたら、この子のために『ご飯作ってあげたい』って本気でおもっちゃうよねえ」と言う。

私にとっては、いつも冷静な彼女たちのクールなコメントではなく、かくも赤裸々な「女の気持ち」(母性の本音)が聞かれたことに感動してしまった。

話は飛んで、最近、映画『空白』を友人と一緒に観た。


https://kuhaku-movie.com
映画『空白』公式サイト


友人といっても、私が会社員だったころの元上司(部長)で、彼は長年引きこもり生活をする娘との問題に大きな悩みを抱えている。
映画を見終えて、私たちは父と娘の問題、親子の問題だけを延々と4時間も喫茶店で話し合った。
これは思い返すとすごいことだった。私は年甲斐もなくひとまわり以上先輩の彼に、「いくら金や家屋敷を残しても、娘さんを父親の後追い殉死をしたいほどの孤独に置き去りにするのは間違っている」などと偉そうなことを力説した自分が恥ずかしい。

しかし、それほど、この映画は父と娘、母と娘、親子の関係、無理解な夫と別れて再婚した元夫と元妻と新しい夫の三角関係などを見事に描いた作品だと私は感動した。

ところが、不謹慎にも私は本来、日本の形骸化した家族の中における父親の存在を考えたい、親子の関係とは何か?人が人をどれだけ理解できるか?寄り添えるか?などの自分にとって中心的と思われる課題を考える手がかりとして映画を鑑賞するつもりだった。人生の先輩格の友人を誘ってまで見たいと願ったはずだった。

ところが、私が実際に強く感動したのは、伏線として同時進行的に描かれたスーパーの店長役を演じる松坂桃李と、密かに彼を愛する年上の独身女性従業員役を演じる寺島しのぶの切ない男女関係のほうだった。

まさに、寺島しのぶは、藤井聡太ならぬ松坂桃李に、身も心も追い詰められてボロボロになり、自殺未遂で生きる力も尽き果てた年下の青年・松坂桃李を救出し、どうしようもない絶望感の中から、やむにやまれず青年を抱きしめてキスをしてしまう寺島しのぶに私は感情移入をし感動してしまったのだった。

彼女の切ない片思いの情は、むしろ、希望を失った松坂桃李にとっては、正義の押し付け的な「もう1つの追い詰め」、将棋で言えば「詰めろ」の1つに過ぎなかったのだろう。

将棋用語では、「詰めろ」とは、絶体絶命の窮地に追い込まれた棋士が、唯一に近い「正解(ただしさ)」を見つけてがんばりつづけるか、もしくは、もう受け身は無理と見切りをつけ、逆に背水の陣で相手に逆襲し薄氷を踏む戦いに挑むしかない状況を指す。

どうあがいても、受けも攻めも無駄な状態で、何手後かに必ず自分の王様が相手に打ち取られてしまうことを、「必死」の状態ともいう。

藤井聡太棋士の姿から『空白』の松坂桃李にまで連想が飛躍してしまったが、松坂桃李は、「正しさ」を求める寺島しのぶのエネルギーにこたえられる余力は全く残されていなかったということなのだ。一方、「まんびきをした少女を追いかけた若き店長・松坂桃李は正しい」と「正義」を必死でうったえる寺島しのぶは、ぶっちゃけ「間違っていても」抱きしめたいところまで彼女も追い詰められていたのだろう。
だから、自殺未遂という「間違った選択をした」松坂桃李を彼女は抱きしめキスをするしかなかったのだろう。

こうなると、寺島しのぶは松坂桃李を励まし、立ち直らせる愛の力が無力化していることに自分自身も絶望せざるを得ない。
だから、彼女は思い余って松坂桃李を抱きしめてキスをするしかなかったのであり、この盲目的行為が自分を自虐的に「控え目にする」という自分ルール、世間ルールに立ち返らせるシンデレラ効果にもなってしまったということか?

彼女は、駅前でビラをまき、店頭で報道陣と戦い、正義のためという建前を自分に言い聞かせながら、「独断におちいらなければ幸せ極まりなし」の100円のおみくじ占いとは正反対の本音の世界に目覚めてしまったのだろう。

私にとっては、彼女の熱演が崇高な映画全体の幹の部分よりも、痛いほどつきささる枝葉の部分となってしまいました。
文学的に表現すれば、神は細部に宿るということ。

一緒に映画を見終わった友人は、「こんなこともあるんだなあ」と一言つぶやいた。もちろん私が勝手にやきもきしていた寺島しのぶが出演していたことすら気づかなかったという。

藤井聡太の泣き姿と女性の誰もが秘めている母性愛的感性の関係、映画『空白』の登場人物たちに見る親子、夫婦、再婚、年上独身女性の片思い、などなど盛りだくさんの映画は、客観的に見れば大ヒット作でもなければ、すごい映画賞をとるような映画ではないかも知れない。

しかし、たまたま、自分が家族との死別から一歩前進し、少し視野を広げて自分やひとさまの「おりあいのつけにくい不都合な人間関係という現実」に目を向けるきっかけとなった佳品ではあったと思う。

一方、YouTube動画にはいろいろな価値観があふれていて、報道制限が厳しくなりつつあるアメリカのSNSサービスの中にあって、私は岡田斗司夫氏の「女は万能調味料説」にも一部考えさせられる何かがある気がしている。

一見すると、ロマンもへったくれもないリリシズムの対極に位置するような岡田氏の理論(理屈?)は、よくよく最後まで聞くと岡田氏特有のロマンチシズムにあふれている。

彼は還暦を迎えてもオタク道を文化にまで引き上げた功労者のひとりとして私は一目置いている。日本のサブカルチャーを語るうえで、岡田氏の歩んできた軌跡は重要だ。

いつもは、こんなに理屈っぽいおじさんは嫌われるだろうなあと思いながら、ご飯を食べるついでに見ている。ゲストもおもしろい。

彼は、セックスを伴う女友達が常に8人くらいいるとのこと。「8割の女はクズ」と公言する彼の鑑識眼から選抜された2割のいい女の生き残り組?が8人いるということらしい。

アラビアンナイトを日本の吉祥寺界隈で実現しているような岡田斗司夫氏の説によれば、彼は女性が大好きだという前提で、そもそも彼は女性と一緒に行動すれば、何を食べても一人でいるよりおいしいし、何をやっても楽しいし、とにかく家でおしゃべりしたり、一緒にごろごろしているだけでも人生が一味おいしくなるということらしい。これを称して女は万能調味料、ひとふりすればおいしくなる醤油と同じ。だから家には置いておこうという過激な表現になるらしい。

複雑な人間関係、男女関係、家族関係などなどを、「女性とは万能調味料の『お醤油』みたいな存在だ」と単純化するのは、さすがに歴戦の勇士?、稀代の寂しがり屋の岡田斗司夫氏らしいと感心してしまう。

逆のこともいえるわけで、彼によれば世の中の男性の8割もクズで、まともな男は2割程度しかいないということになる。
だけど、数か月くらいおつきあいして、だんだん、「この相手は自分にとっては合わない、こんな嫌な性格の人じゃおつきあいをやめよう」と選抜していけば、残った2割くらいは「いい女」ということらしい。

だから、今でも彼のおつきあいしている8人の女性は、長い間おつきあいをつづけ本音でつきあい、本気で愛せる女性ということらしい。

私見ではこの理屈でいけば、AKB48のように、岡田斗司夫氏の数十年間の交友関係からすれば、かなり多くの女性が取捨選択されて、一定の新陳代謝を繰り返していることになる。

これをもって、「フトドキモノ」と目くじらを立てる人もおられようし、「どうすれば女性とおつきあいできますか?」みたいな男性も人生相談に岡田氏の指定場所にイベント賛同者として押し掛ける人があとを立たないのもご時世なのだと感じてしまう。

彼のニコニコ動画やYouTubeの有料会員の8割が男性の、しかも、かなりの割合で独身男性の視聴者が主体であるという関係上、「女は万能調味料の代表『お醤油』と同じ」、「部屋にお醤油を置いておけば、何にかけても料理がおいしくなる」だから、独身男性諸君よ、とりあえずは女性とつきあい、できれば結婚して部屋で女性といっしょに暮らしてみなさいという過激そうに見える暴論・珍説に結びつく。

彼によれば、身近な仕事関係者の中の独身男性が、結婚はしたいが、是が非でもという情熱は冷めかかっているという事例を紹介し、自説を強化し、理論武装を合法化しようとする。

その青年は、かつては女性とおつきあいして結婚し、家族をかまえ、子供を育てて、それなりの標準的な年金モデルに近づきたいと言っていた模様だ。

ところが、だんだん時間が経過するほどに、その青年(中年?)男性は、結婚をリゾートマンションのように考えるようになったという。

女性とつきあって結婚するというのは、たとえていえばリゾートマンションを購入する心境に似ているという。

つまり、高い金を出してリゾートマンションに住みましょう!リゾートマンションはこんなにすばらしいですよと言われても、「だからリゾートマンションに住むために一生懸命働きたい」とは思えないという。

だったら、努力しなくても「無料でリゾートマンションをプレゼントしますから、住んでください」と言われれば、もらえるものならもらいましょう、くらいの情熱しか湧かないという。

ずいぶん、ムシのいい話といおうか、努力せずして幸福を手に入れようというか、いずれにせよ、いまひとつ熱気は感じられない。

岡田斗司夫氏の乱立する動画群を見ると、サブカルチャー文化に対する洞察力やこだわり(楽しみ方)は、ハンパではないから、ひとにぎりの人たちが見ることのできる特異な桃源郷的な魅力に満ちているようにも感じられる。

ところが、彼の「衒(げん)学的」*理論は、時にはとんでもない屁理屈の城にも見える。将棋用語を先に引用したので、ネット情報から衒学的という用語の意味を調べてみた。
上位に検索表示された解説には、こうある:「衒学的とは論理の形式、厳密性、正確性などに過剰にこだわったり、学識をひけらかし、傲慢な態度を見せるような人物のこと。」

あまり良い意味ではない。うっかりこの用語を使った自分に驚くが、世相をずばりと言い当てるような動画もあれば、そもそも暴論的な無理筋の理論を平然と公式化し、視聴者が気づくと表現のマジックの種明かしがないまま、次の結論へと導かれるようなリスキーな魔力も潜んでいる。

最近は、岡田斗司夫氏の恋愛相談のようなイベントに女性も散見するようになり、女性の参加者の比率が増加する傾向にあるという。みんな結婚願望はあるが、そもそも異性とどうつきあうか、おつきあいしていても、どうすれば結婚に踏み切れるかという男女交際未経験者から、つきあったけど疲れたよみたいな燃え尽き組まで十人十色だという。

岡田斗司夫氏は、セックスを伴う女友達が平均して常に8人いるという多忙な生活を送りながらも、若者に対しては「ぜいたくをいわず、とりあえずは田舎暮らしの人たちが中古の軽自動車でもいいから持って買い物に行くしかないような心境になって不便さを感じるくらいなら、とりあえず結婚しよう」という女性中古自動車説まで動員する。

彼にあっては、オタクっぽい独り暮らしの男性は、女性に過大な期待をせず、あれば便利なお醤油や中古自動車みたいな認識で結婚したほうがいいよという結論になる。

私のように、幸か不幸かリアルな生と死の連続を体験してきたシニア男性にとっては、岡田斗司夫氏の主張は人目を惹く極論に感じられるものの、空理空論と切り捨てることのできない真理が潜んでいるように感じられてならない。

これは敗戦直後の原節子が主演したお譲様シリーズ同様に、恋愛の入り口、ベートーベン交響曲の序曲的な段階では、曲論極論めいてはいるが、一理ありとされるのだろう。

ときどき、浅く広く交遊する岡田氏の動画を観ながら食事をしていて、気になることがよく頭をよぎる。

それは、ある視聴者が岡田斗司夫氏に質問をしたときの、彼の回答だ。
「岡田さんは、8人の女性と同時におつきあいしていて、もしも、相手の女性が浮気をしたらどう感じますか?」という鋭い質問というか、当たり前の感想に対し、彼は「ぼくも同時に8人の女性とつきあっているんだから、相手の女性が別の男性とおつきあいすることを禁止はできない。でも、正直、おもしろくない!」という回答は、どんなに巧みなたとえ話や理路整然とした自説の展開があっても、「それって、君のわがままじゃね?」と思わない方が不思議だろう。

彼の好きな思考実験で可能性を考えれば、小学生でもわかる男女の小世界(異様な空間)に、彼は住むことになる。

8人の女性が、それぞれ8人ずつの男性とセックスを伴うおつきあいを同時進行し、その中の一人ずつの男性が、たまたま岡田斗司夫氏ということだ。

こうなると、「8人の女性」足す(加算)+(「8人の男性」掛ける(乗算)×8組)の合計は、イコール=72人の男女混交恋愛社会となる。

本来はオットセーの雄みたいに、岡田斗司夫氏1人の周辺に8人の女性がハーレム社会を構成していた9人の恋愛社会が、女性8人の小グループに対し男性が64人の過剰気味の大グループという男女構成比率が大幅に逆転したハーレム社会に再編されることになる。岡田氏は8分の1の確率を常に生き抜かねばならない。2割のいい男どころの一般論より過酷な1割強の選別に生き残る必要がある。

当然、岡田斗司夫氏は一人の女性に対し、7人の男性競争者(恋敵)たちと切磋琢磨しなければならない。

これは将棋の女神の膝の上で勝負をするプロ棋士・藤井聡太青年よりもはるかに過酷な戦いとなるだろう。なぜなら、将棋の勝負は、1つ目が決着するまで2つ目の対戦はスケジュール調整できるが、岡田氏の戦いは常に待ったなしの同時進行、コンピュータでいえば、並列処理をしなければならない。極論を言えば、一人で8人の女性とつき合い通せなければ横取りされても文句はいえない。

岡田斗司夫氏によれば、そんなクズみたいな女とはつき合わない、残り2割のいい女とのみつきあっているから、思考実験は現実化しない、どんなにメタボになろうが、僕の彼女たちは僕を裏切らないという性善説、もしくは、岡田氏なりの希望的観測に基づくロマンに生きていることになる。
ロマンは残酷な側面もあって、妄想に過ぎないこともある。

岡田氏の女の8割はクズ学説を確かめたくて、550円の有料料金を払って、その動画を見てみた。

すると、数か月とか場合によっては年単位で女性とつきあえば、中には2割程度のクズじゃない、いい女は存在するということに気づくそうだ。
だが、2割の女性に共通する特徴の1つは、奥ゆかしくて目立たない女性が多いという。だから、チャラチャラした若い女の子にだまくらかされて結婚するような軽薄な男も8割はクズなのだと論理は思わぬ方向に飛躍する。

ついには、日本の人口の半分は女性なのに、結婚したがらない男性や結婚したいけど妄想で肥大化した男の子たちは、2次元の美少女キャラクターを偶像視し、リアルな生身の女性に魅力を感じにくくなりつつあるから、もっと、リアルで人知れず暮らしている地味な女の子、目立たずまじめに働いている女に目を向け、彼女たちを救おうという目的でも岡田斗司夫チャンネル視聴者の男子諸君は結婚して2割のいい女を人類愛からみても救ってあげるべきだ!という結論にいたるようであった。

私は有料視聴契約をすぐに解約し、このトリッキーな岡田理論が荒唐無稽に思われるものの、映画『空白』で観客の一部からも存在を記憶されなかった寺島しのぶ演じるアラフォー?的な女心が、どこか切なくも2割の地味ないい女理論とだぶって感じられ、一概に岡田氏の理論を軽視・無視してばかりではいけないとも感じる今日この頃ではあるのだった。

つまり、藤井聡太棋士の悔し泣きする姿に、抱きしめたくなるほどの女心が燃え上がる深淵さと、寺島しのぶのやむにやまれぬキス姿には、不思議に何か通底するものが感じられてならない。

イケメンで清潔感に満ちた男性アイドルグループに熱狂するアラサー、アラフォー、アラフィフ、アラ。。。女性もいれば、肥満化し老化する岡田斗司夫の言語化という(男女性愛に関する)ことばのマジックに共感する男女も確実に増えているという事実も無視できない。

岡田氏のロジックとマジックの錬金術的な言動の中には、常にアニメやコミックや広い意味での趣味的嗜好に楽しさを見出し、正々堂々と8人の女性とおつきあいする行動力?に、現代日本が失いかけている本質的な愛の問題が見え隠れしているのだろう。

私の限りある知人友人関係だけに限っても、生活基盤が衰退し、精神的なよりどころが家族や男女や親子の自然な愛情関係に求めにくくなっている日本の深刻さが、物心両面で「のしかかる」一種の世紀末的刹那主義のような虚無感と、どう「おりあい」をつけてゆくかという大きな課題がタイタニック号の前に音もなく迫りくる氷山の一角のように思えてならない。

とりとめのない方向に筆がすべってしまったが、これだけ遠回りをしても、やはり藤井聡太棋士の負け姿には感動をする。
幼年時代も、少年時代も、中高生(思春期)時代も、成人式を迎えるタイトル保持者時代も、負けるとテレビの前でも大泣きをし、この世のおわりのごとくしょげかえる彼こそは私たちにとって「純粋に生きる」という、せめてもの、そして数少ない「救い」と「癒し」なのではないだろうか?

これは母性や性愛とは別次元の感動であろう。

皮肉なことに厳しい勝負の世界に、こうした人間に対する信頼感をつなぎとめ、はぐくんでくれる広義の愛、おもいやりが背中合わせに胚胎しているのだから人生は捨てたものではない。

無機質な将棋盤と駒の時系列の動きに、人生のドラマを見るのは一人わたしだけのことではない。

一番、書きたかったことの序章で今日は筆をおくしかない。
私は、今回の将棋竜王戦の名勝負に感動したファンの一人だ。
特に、今まで意識したことがない藤井聡太棋士のライバル役である豊島将之棋士には、あらためて感動した。

どの勝負もじりじりと威圧されるような緊迫感の中で、私は豊島棋士の静かな立ち居振る舞いに、悔し泣きする藤井棋士とは対照的な魅力を感じた。

これほど対照的な棋士同士の歴史的名勝負をリアルタイムで観戦できたのは私にとっても人生の宝物、記念碑的な意味があった。

谷川棋士が言うように、これから少なくとも十年くらいは両棋士の名勝負をつづけてほしい。
女性の豊島ファンも多いと聞く。その気持ちが今回、次々に敗北を重ね、失冠してゆく豊島棋士の物静かな淡々と語る敗北インタビューで痛いほど理解できた。

単純な比較で型にはめるのは岡田氏理論同様に危険なことは承知の上で、あえて歴史に残る両棋士をたとえれば、藤井聡太棋士は(若さもあるだろうが)「動の棋士」「陽の棋士」といえるだろう。これに対し、豊島将之棋士は、「静の棋士」「陰の棋士」ともいえるかも知れない。
だが、静や陰という文字にはネガティブな語感がともない適切とはいえない。同様に、動や陽もピンぼけした意味に感じられてくる。

棋譜を観れば、そんな単純なものでないことは一目瞭然だからだ。

私には悪い性癖がある。本題に入る前に、饒舌な話題に時間を空費し、時間切れとなってしまうことだ。今回もこの文章を書くきっかけは、食後の歯磨きの前に、備忘録のつもりでメモを残しておこうというのが冒頭内容のきっかけだった。

つまり、藤井聡太棋士がタイトルをいくつも獲得する勢いにのった今ですら、負けるときは悔し泣きをする純粋さに学びたいということだけだった。

ところが、書くうちに、どんどん筆は富士の裾野の樹海を迷走するかのごとく書きたいことの周辺で空回りをしてしまった。

最後に、これまた備忘録として、どうしても書きたい感想文がある。それは川端康成が膨大な時間をかけて推敲し続けたドキュメンタリー風の小説『名人』だ。

これは、実力性名人へと移行する時期の囲碁界の老名人と若き挑戦者の間で繰り広げられた伝説的な勝負を見事に描き切った川端文学の記念碑的作品だと思う。

もっと人生の学びをしなければ、とても小説『名人』の感想文は書けないだろう。果たして、それまで自分が生きていられるかどうかも分からない。

しかし、人生の学びに一歩を踏み出そうとする自分にとっては、川端康成の作品にこめた「誠実な情熱」は、やはり、将棋界、囲碁界、精進の世界において、人生とは捨てたものではないという確信を育ててくれる教科書であることだけは間違いない。

果たして、尻込みせずに進めるだろか?
進まねばなるまい。

これまた、備忘録として『名人』の行間に通底する事象を書き加えておく。

上述した私の友人の奥さんは、やはり一年ほど前に亡くなられた。パーキンソン状態と脳活動の衰弱から入院後3か月ほどで亡くなられたとのことだが、コロナ禍もあり、面会は一度もかなわなかったという。

病院で対話をしたくても、小さなインターフォン画面越しでは、奥さんの表情すら見分けられぬほどで、奥さんもほとんど会話はできなかったという。

『空白』を見終えて喫茶店で妻の最期を見送った友人と私には似た感情が根付いていたことに驚いた。

私も妻が入院して3か月に満たず個室で妻は亡くなった。入院当初は「きょうは機械浴でお風呂に入れてもらえた」などと簡単な会話が妻にもできたが、二三週間も経つと、ほとんど妻は言葉を発することがなくなった。

ただ、淡々と妻の命が一日でももってくれるよう、ひたすら病室の中の沈黙だけが、私の世界の全てのような日々が続いた。

私は、こんな終末期に初めて不可思議な感情を覚えた。その時の気持ちだったのか、妻亡きあとの時間がたった後の気持ちなのかは記憶にない。

しかし、今でも生死の境界に静かに沈黙する妻が、たまらなく美しく感じられたのだった。
若いころのフェロモンがどうのこうの、女らしさがどうのこうのという薄っぺらで表面的な魅力ではなく、年老いて、衰弱しきって、無言に近い状態で白い枕に顔をうずめる妻の存在感そのものが、たまらなくいとおしく、たまらなく魅力的に感じられたのだった。

これは、岡田斗司夫氏が力説する、とりあえず置いておけば便利な万能調味料「醤油程度の女の存在意味」でもなければ、「不便な田舎暮らしの買い物に使う中古軽自動車程度の必要性から妥協で結婚をした妻という存在」でもない、私としては結婚前にも結婚の大部分の期間でも感じたこともなければ想像したこともない最後の瞬間へと向かう最愛の女性の魅力なのであった。岡田斗司夫氏には失礼だが、彼のままごと遊び的な恋愛論が静かに生を終えゆく妻には不敬にも思えた。

これは、もはや色恋の問題ではなかった。
死の数日前に妻が発した最期のことばは、何度も何度も看護師のかたがたが、点滴の針を妻の腕に指そうとする繰り返しの中で、「痛い」とつぶやいたひとことだった。その一言も私の耳で聴きとれたのか、それとも、看護師のひとりが、「痛い?もうちょっとのがまんだから」と復唱したことばだったのかさえ分からない。

そんな私の最後の心情を代弁するかのように、友人は、私にしみじみつぶやいた。「家内の入院3か月間、ぼくは家内とひとこともはなすことができなかった。いったい3か月間、家内は何を考えていたのか、それを今でも知りたい」と。。。

私はまったく同感だった。果たして私の妻も、終末期の数週間、どんなことを考えていたのだろう。必死で付き添い、吐血する口元の汚物をぬぐいながら、誤嚥性肺炎になるとたいへんだから、首を横に向けようねなどと語り掛けながら、けだるそうに黙って頭を横向きにされるがままにまかせていた妻の脳裏にはいったい何があったのだろうか?

私は友人の静かな一言に激しい動揺を抑えつつうなづくしかなかった。

人間はいくつになっても魅力を秘めている。
人間は死に向かっていくら衰弱し、たとえ意識がもうろうとしていても、たまらない魅力に満ちている。

こんな美しさ、いとうしさが死にゆく妻に秘められていたとは私はなんと能天気であったのだろう。

ふとわれにかえって、友人を見つめなおし、私のように妻の枕元で彼女の死に水をとれたのは幸いだったことに気づいた。
そして、コロナ禍のまっただなかで、奥さんの顔を一度もおがめなかった友人の無念さに思いをいたしたとき、私は胸がしめつけられる思いをどうしてよいかわからなかった。

喫茶店の小さなテーブルの中央には、透明な飛沫予防アクリル板が立てかけられていた。

私は立ち上がり、カウンターでカフェラテとケーキの追加注文をした。友人の寂しげな後姿を見るのがつらかった。そして、そのまま廊下の端にあるトイレに駆け込んだ。

私はプレゼントした犬を大喜びした母が真っ先に旅立ち、父が認知症になってからもエサを気にしながら旅立ち、とうとう犬の名前を黄色い声で呼びかけていた妻が旅だった今、17歳の生き残った老犬と1つ屋根の下で暮らしている。

一方、友人はいじめをはじめいろいろなアクシデントに見舞われた娘さんが部屋に引きこもったまま何十年も1つ屋根の下で暮らしておられる。奥さんは先立たれてしまった。
だから、誰に娘の行く末を託すべきか、相談すべきかもわからぬまま、無言の奥さんと病院の壁越しに最後の別れを迎えられた。4時間に及ぶ友人と私の男同士の対話は、私にとってもどうしてよいかわからない寺島しのぶ状態なのであった。

私の珍妙な力説も落ち着いて考えれば滑稽な話なのかも知れない。しかし、あの対話の中では、いくらお金や家屋敷を残しても、娘さんとの心に寄り添えなければ、映画『空白』の古田新太と同じことになりかねないと必死で私はうったえた。

「お父さんが死んだら私も死ぬ」などと娘さんが殉死を思わせるような言動を示すのはSOSのきわみ、このまま「そっと見守るしかない」と心のおりあいをつけているのは、間違っているなどと私はしつこく説得をした。

「こんなとき、一番たよりになるのは女性です。」「できるだけ多くの女性に愚痴を聞いてもらい、一切合切の娘さんとの間の悩みを吐き出すべきです」などと、私なりの母性至上主義もしくは女神説を開陳し、ひとまわり以上年下の私の自説を友人は黙って聞いてくれた。

私だったら、こうするという奇妙な提案。
「健康教室でお集りのシニアレディーのみなさんの中から、話を聞いてくれそうな人にランチでもディナーでも御馳走してでも話を聞いてもらい、感想を聞くべき。。。」
「九十歳代を超えた高齢レディーがお知り合いで3人もおられるというのは最高の聞き役だと思う。」
「特に、5人のお子さんを立派に育てられ、その内の2人が親より先に亡くなったという俗に言う『逆を見た』経験を持つレディーは、あなたよりさらに人生の先輩といえるでしょう」

「私だったらこうします。九十歳代を超えた高齢レディー3人に、ぜひにとお願いをして会いましょう」

「彼女たちの時間をお金で買うのです。時給1万円で、2時間分、合わせて2万円を寸志として受け取ってもらう約束で、ひたすら娘さんのこと、亡くなられた奥さんの事、自分の困っている父子の問題、娘さんの行く末の不安や悩みを一方的に先ず聞いてもらうべきです」

「そのあと、今度は彼女たちの『感想』を聞きましょう。」
できるだけ、個別に予定を作ってもらい、一人一人順番に日をあらためて会うのがよいでしょう」

彼女たちには、たとえばAさん、Bさん、Cさんと仮称すれば、最初に相談相手になってくださる人(たとえばBさん)に、「あなたが最初のレディーです。このあと、AさんとCさんにも同じ話を聞いていただきます。とにかくBさん、あなたには私の心情をひたすら聞いて欲しい。そして、その後、忌憚のない感想を述べてほしい。解決策など期待しません。たかだか2時間弱で、回答まで示していただけるほど娘の問題はなまやさしくないことは承知していますから。。。」と、「もしも話が長引けば、最大延長1時間、合計3時間分の謝礼3万円をお渡ししますからといって人生の先輩、彼女たちの生の声を拝聴すべきです」

などと、私は珍案妙案を力説した。
「今度は仮にCさんが会って話を聞いてくれ、生の感想を聞かせてくれれば、次にAさんにも同じようにする予定です」と根気よく告白拝聴を繰り返すことをすすめた。

「ここで大切なのは、2番目にお会いしたレディーには、1番最初にお会いしたレディーの感想要旨を必ず伝えることです」

「最後にお会いするレディーには、最初と2番目にお会いしたレディーが、それぞれ、こうこう言ってくれた」と「全ての感想要旨を情報開示することです」などと自説の妥当性もそっちのけになってしまった。

しかし、私の狭い経験からいっても、頼りがいのある同世代や先輩格の男性が非常に少ないという実感がある。

お寺のお坊様のお説教は専業職業人という立場からの物言いだから、私の偏見かも知れないが、お産をしたこともない男性産婦人科医のように、どこか心底わかっているのだろうか?という不信感はぬぐえない。

特に奥さんに先立たれたシニア男性には、現時点では「育メン」世代の「わかる男性」が非常に少ない印象だ。

私が力説した珍妙なる観音慈愛とマリア様の愛という団塊世代に理解しやすいたとえでいえば、おそらく父子の悩みを他人の女性の温情にうったえ、すがりましょうと諭しているのと大差ないと思うようになってきた。

これは、岡田斗司夫式のロマン主義に一脈通じるものがあるのかも知れない。
なぜならば、90歳代の高齢レディーは母性愛に満ちた優しい女性にちがいなかろうという楽観論、性善説に基づいているからだ。

岡田斗司夫氏のように、長生きをしているだけで、その女性が8割のクズでないという保証はないという、うがった見方もできるからだ。

しかし、私はクズ呼ばわりすること自体に反対だ。
むかし夢中になって愛読した吉川英治の『三国志』には、憎らしい曹操が、あるとき、非常に長生きをしている老人たちを集めて、「ご高齢でおられるだけで充分に尊敬するに値する」と伝える場面が唐突に感じたが、文字通り戦場で生きるか死ぬかの戦いに明け暮れた曹操にとっては、長命な老人たちはそれだけで敬意を表するだけの価値と尊厳があると信じていたわけだ。

このことは、私が曹操を再評価している理由の一つにもなっている。
そこまで考えて友人の父子の悩みに立ち返ると、あながち当たらずといえども遠からずという気持ちを取り戻せる。

私なりに若い女性に上述のケースについての感想を聞いたら、父と娘が二人だけで問題は解決に向かわないし、向かわせようという方法も見当がつかないだろうから、父娘の間に、どなたか三人目の誰かに入ってもらったらどうかという意見も、もっともだと思わせられた。

しかし、やみくもにプライベートな話題に触れるのは軽率だから、私としては先ずは友人に女性との対話相談から口火を切るのは有望な選択肢の一つではなかろうかというところで足踏みをしている。

リリシズムとは何か?という難題をかかげてしまった以上、私はとんでもない迷宮から抜け出せるのかわからぬまま、自分の過去と現在と五里霧中の未来を往復するドラえもん2のタイムマシンに乗る心境だ。

しょせんは、私もスタンドバイミーの、のび太に過ぎないということなのだろう。のび太の周辺の女性たちは、みんなやさしい。ここにもドラえもん世界の性善説が健全に花開いている。
願わくば女難の相が当たりませんように!

2021-11-19-8am.('o')/('0')/


[21] 題名:目から鱗の中国語発音マスター(^^♪ 名前:チビカッパ 投稿日: 2021/10/22(金) 10:43

目から鱗の中国語発音マスター(^^♪

世の中には隠れた名手がいるものだ。
指一本で『ドビッシー風』のピアノが弾けるという。
この発想が素晴らしい。

私も1つ思いついた。
中国語の4種類のアクセントイントネーションを『ズンドコ節風』に覚える方法。

中国語には1声、2声、3声、4声というメロディアスな抑揚があります。
中国語学習初心者が最初につまずくのは音楽的なこの抑揚にありますが、音楽として意識すれば中国語はメロディアスな美しい言語です。

図式的には次のように簡単な高低差で表せます。
1声は、高い→高い(高→高)
2声は、低い→高い(低→高)
3声は、重低音→低い(重低→低)
4声は、高い→低い(高→低)

では、軽くピアノの調律をする感じで自分の声の高さを調整しましょう。

氷川きよしの『ズンドコ節』を口ずさむか脳内でメロディーをイメージします。

さあ、どうぞ!
ズン→ズン→ズン→ズン→ドコ
これを中国語風発音メロディーに置き換えましょう。
低い、高い、高い、重低音、低い
(低→高→高→重低→低)

では、『ズンドコ節』の高低差を常に意識して4つの「本物中国語発音」に挑戦しましょう!

1声「マー」:(高→高)「まあ〜、お久しぶり」と女性の甲高い挨拶をイメージして、どうぞ!

2声「マア」:(低→高)得意満面で自慢する調子で「まあねえ〜」の「まあ」をイメージして、どうぞ!

3声「マーア」:(重低→低)「まああ、あ」と、子供の失態にお母さんがあきれた声を出すイメージで、できれば両腕を胸の前に組んでにらみつけるイメージです。どうぞ!

4声「マー」:(高→低)「おや、まあ」と、中年のおば様が世間話中に鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くして軽い驚きをあらわすイメージで、どうぞ!

お疲れさまでした。本物中国語のタネ明かしをします。

1声「マー」:(高→高)は、女偏に馬と書いて、「お母さん」という意味の中国語です。日本語の常用漢字にはありません。

2声「マア」:(低→高)は、「麻」という意味の中国語です。

3声「マーア」:(重低→低)は、「馬」という意味の中国語です。

4声「マー」:(高→低)は、「罵る(ののしる)」という意味の中国語です。

すごいですねえ、4つの「本物中国語発音」と「中国語の意味」をあなたはマスターされました!
おめでとうございます(笑)(^^♪


[17] 題名:ひとこと余計 名前:カッパ 投稿日: 2021/10/15(金) 18:09

ひとこと余計

ひとこと余計とか、ひとこと余分ということば。
良い意味で使われることは少ない。

しかし、このごろは母譲りの私のこの性癖が人の輪を広げていることに気づいた。
妻に先立たれたシニア男性の多くが人の輪を広げることが苦手だと聞く。
最悪の場合、家に引きこもり鬱になったりしてしまう。

私はどういうわけか人と会うとひとこと余計な世間話に花が咲く。
相手も興に乗って私のことを覚えてくれている。

今日も散歩の帰り道に、公民館のわきのベンチに腰かけて一休みしていたら、声をかけられた。

「あら、カッパさん?」
秋の気配が迫る夕暮れだから、広い道の反対側からシニア女性が声をかけてくれてもマスクをしているし、こちらからは誰か分からない。

すると、「カッパさんの家まではあと少しですね。」と話を継ぐ。
「ええ、急坂を登ってきたから、いつもここで一服してから一気に家に向かうんです。」

「そうですか。あなたのお母さんには世話になったんですよ。踊りを教えてもらいましたのよ。」
「そうですか、母は歌舞音曲が大好きでしたからね。」
「あのころは楽しかったですわ。」と先方もウォーキングの足を止めて話しを続ける。

「ごめんなさい。遠目でよく分からないんですけど、どちらさんでしたっけ?」
「ほら、このあいだ近所のお総菜屋さんでお会いしたとき、お話をした〇〇です。」
「ああ、〇〇さんでしたか。」

結局は、母と同年代の女性と私とは年齢差があり直接の面識は少ないが、たまたまお総菜屋さんで単におかずを買うだけでなく、ひとこと余計に私が世間話をしたのを覚えていてくれたのだった。

お惣菜屋さんでお会いするご近所さんたちとは、私はいつもひとこと余計に世間話をして帰る。私はシニアに切実な話題を好んで取りあげるから相手の方達も大きくうなずきながら「そうそう、よくわかる。」などとひとしきり共感の輪ができる。

ほとんど面識がない相手でも私の母のことは記憶しておられるかたが多く、「母ガッパの息子です」というと、たいがい皆さんが深く合点をされる。

つまり、母がひとこと余計に人の輪を広げておいてくれたおかげで、私は再び母の信用のもとに人の輪を広げさせてもらっているということだった。

家のガレージ前に着くと、数日前に切って積み重ねておいた雑草やツルの山がきれいに片付いている。

おや、誰が親切に片づけてくれたのだろうと想像したが、ご近所さんにひとこと余計のおかげで親切にしてくださる方々が何人もおられる。
ここは、ご親切に甘えることにしよう。

ひとこと余計は、シニア世代にとってはむしろ良い意味で心がけたい。
2021.10.15.


[14] 題名:卵かけごはん 名前:カッパ 投稿日: 2021/10/13(水) 13:12

卵かけごはん

秋めいてきた。

肌寒い気候の変化についていけず少しおなかの調子が悪い。
下痢とまではいかないが、いつものようにあれこれ食べたくない。

そこで思いついたのが、炊き立てのご飯に卵を落として食べる「卵かけご飯」だ。
さっそくご飯を炊く。
久しぶりに4合炊くから水加減が少し足りず、硬めのご飯が炊けた。

ほかほかの湯気が立ち上がる中、炊けたご飯をかき混ぜ、大きめのお椀にたっぷりとご飯を盛る。

卵を割って落とし、すかさずかき混ぜて醤油を少々落とす。
どうだろう?

本当に久しぶりだ。

思い切りかきこんだ熱々のごはん、たまごと醤油の香りが鼻をくすぐり、ふんわり、とろとろのご飯の味は最高だった。
日本人に生まれてよかったと思う。

つづけて、がつがつと一気に半分以上の卵かけご飯を食べ、残りわずかになったところで、はたと箸が止まった。

ビールでもうな重でも何でもそうだが、最初の一口が一番おいしく感じられる。

冷えたビールの一口目、熱々のうな重の一口目、これこそが最初の一口の醍醐味だ。
だが、やがて終わりに近づくと、残されたビールは炭酸が抜けてなまぬるくなり、うな重も冷め、たれのしみ込んだご飯粒だけが、あちこちにへばりつく。

卵かけご飯も例外ではない。
冷めかかった残りわずかなご飯粒をお椀の内側の壁をなでるようにまとめると、あとはそのまま口に運べば「ああ、おいしかった。ごちそうさま」となるはずであった。

「やっぱり、冷めるとおいしくないなあ。」
硬めのお米の粒粒が冷めかかってくるほど存在感を増し、「卵とお醤油の主役がいなくなった後始末みたいな寂しさがあるなあ、、」などと腹ごしらえが済みつつあるから「いや待てよ」と名残を惜しむかのように昔のことを思い出した。

妻が生前リハビリのためにデイサービスに通っていたころ、私が運転する帰宅途中のクルマの中で、こんな通所仲間のシニア男性の話を聞かせてくれた。

その男性は、妻と同じ脳出血の後遺症で手足に麻痺が残っているため、自宅では奥さんと娘の世話になっているという。

女性二人は仕事やパートで忙しいから、毎日食事は作り置きで、出されるものは決まっているという。男性は冷めた料理をひとりで食べるか、たまたま早めに帰ってきた女性たちと一緒に食べるのだという。

要するに食卓を囲んで夕食を食べる場合も、男性は女性たちと別の決まり切った作り置きごはんということらしい。

たとえば、デイサービスから帰宅した男性用にコンビニ弁当がテーブルの上に置かれていれば、男性は一人でそれを夕食として食べるということらしい。

早く帰宅した女性たちと男性が夕食のテーブルに一緒についても、男性はあいかわらずコンビニ弁当を食べ、女性たちは買ってきた野菜や肉で、熱々のすき焼きを食べたり生ビールを飲みながら歓談するといった対照的な食事風景が当たり前になっているということだ。

元気だったころは一家の主として食卓の中央に座っていたその男性は、今は食卓の隅に追いやられ、黙って出されたものを食べているという。

食べる物が違うのが当たり前になっていて、男性は変化のない作り置きご飯に飽き飽きしていた。女性たちは天ぷらでもオムレツでも自由に食べたいものを作って二人で食べている。

男性だけが、いつもお決まりの冷えたおかずとごはん。

そこで、男性はある日、女性二人に珍しく食事中自分の意見を言った。
「たまには、卵かけご飯が食べたいなあ」と。

すると、箸を止めた二人の女性は、怒ったような視線を男性に向け、冷蔵庫から持ってきた卵をご飯の上に割り、醤油をかけて、「さあ、これでいいんでしょ。」とぞんざいにかき混ぜた卵かけご飯を放るようにテーブルの上に置いた。

男性は片方の腕しか使えないから、食事中は奥さんや娘のいいなりになっているしか仕方ない。

冷めかかったご飯の上に無造作にかけられた卵と醤油が混じり切らないような「熱々、ふわふわ、とろとろ」とは「似ても似つかぬ卵かけご飯」を黙って食べるしかなかったそうだ。

そして、翌日からは、男性の食卓には、毎日、毎日、卵かけご飯だけが置かれるようになった。白いご飯は隠居したのだろうか?

たまには、白いご飯を食べたいと思っても出してもらえない。
そのことが辛いと、デイサービスで親しくなった妻に、その男性はこぼすのだという。

数日おきにデイサービスで会うから、会うたびに男性は妻に「きのうも、きょうも卵かけご飯だった」と苦情を話す。

妻が「『白いご飯も食べたい』と奥さんや娘さんに言ったらどうですか」とアドバイスしても気弱になっている男性は黙って下をうつむいてしまうらしい。

私はクルマを運転しながら、この話を聞いて、少々いらいらしてきた。
なんて薄情な家族だ。

もっと、はっきり言ってやればいいんだ。
「障害者になったからといって、おれは、家族の立派な一員だ。もっと食べたいものを食べさせろ!おまえたちと同じものが食べたい!」と。

妻によれば、そんなことが言えるならとっくに言っているという。
病気で倒れたリハビリ中の夫に対し、妻や娘が手のひらを返したような態度をとるのは悲しい。

「卵かけご飯」ということばを思い出すと同時に、女性たちの「怒りや仕打ち」みたいな哀話を思い出し、私は私自身の箸が止まったのだった。

冷めた私の卵かけご飯の最後の一口は、冷え冷えとした味に感じられた。

2021-10-13-(^^♪


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