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今山古戦場… |
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ARI
(2967)投稿日:2012年08月20日 (月) 23時06分
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ちょっと、刺激が強すぎましたでしょうか。 真っ向から真実を書くと、↓の様な内容になりますから、北九州 出身のひとに向けて(そして長崎の方々に) は、書いた様に 「不謹慎」ですから避けようと思いましたが、「あの時代を語り おこすのもご供養になると…」といううききさんのレスを見て、 知っている範囲で、書きました。 私は、大学時代の友人も、前職でも、そして今の会社でも小倉の 出身のヒトはたくさん居ます。 そして本人が小倉や戸畑等の 生れでなくても、両親のどちらかひとり、或いは祖父祖母のどち らかが、そこであれば… そして、もしあの偶然が重ならなけれ ば生まれていない可能性があるのですから…。今の時代となって は考えられませんね。 福岡市の会社でもそうなんですから、北九州市の方々はもっと そうだと思えます。 運命は運命であって、そうであったのが運命と思うしかありませ ん。
ところで、「今山古戦場」行かれた様ですね。 私は初めて行ったのは、もう15年前ですが、あの夏ミカン(ハ ッサク?)の急斜面を登って、史跡や碑石を探し求めました。 その後数回行きましたが、毎回同様に分かりにくい処でした。
大友家にとっては、遺恨の残る決戦で敗戦です。風前の灯であっ たはずの龍造寺家はここから奇跡の復活を果たし、天正7年から は怒涛の勢いで筑前大友領の諸城を陥落させ、また、筑後の大友 支配下の豪族衆を離反させたのですから。 立花道雪・高橋紹運の両雄が守りつづけた筑前大友領の衰退の 伏線となった戦いであり、一時の緩みが千載の遺恨となった 戦いです。
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□ご供養ありがとうございます/うきき
(2968)投稿日 : 2012年08月21日 (火) 19時39分
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さすがARIさまは今山古戦場には既に訪問済みでしたか(しかも何度も?!) 今山古戦場は、通りがかりそれらしき『大友公園』の看板が出ているにも関わらず 「この先にそんなのあるはずない」という細いミカン畑の間の道で見逃してしまいました。 山頂に至るあの斜面にも驚愕しました。 舗装はしてあるのもの2輪駆動で登ればころりと後転しそうな傾斜。 あそこで大友さんたち前祝いやってたんですねー。 激戦地のあの一帯も秋に行けばミカンもきれいに色づいてまた違う景色になっているのでしょうね。
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