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国宝の旅は、吉野へ
しまちゃん (2757)投稿日:2010年11月07日 (日) 09時11分 返信ボタン

 ご無沙汰しております。今回は、ほぼ○十年ぶりに、吉野の金峰山寺を訪ねて参りました。昔、蛙とびなど見に行ったこともありましたが、今回は蔵王権現拝観です。
 実は、修験の山、何箇所か行ってる私です。
 早めに行って、静かにご対面できました。対面所も設けてあって、障子の仕切りで分けられていました。できることなら西行堂まで行きたかったのですが、時間と体力が足らず、近辺をさらっと見て、秀吉からプレゼントされたという屏風も見て、ロープウェイで下山。
 その後正倉院展で琵琶を見て、興福寺の五重の塔の一層や、東金堂の裏で、50年ぶりに元の位置に戻っている毘沙門天の弟クン(ウルトラ兄弟?)を拝観後、元興寺へ。
 ここの禅室の屋根裏探検、予約制なのですが、当日空きがあればOKということ。アタックすると、1名空きがありますのご返事。知らない団体さんに交じって、ヘルメットつけて、屋根裏も覗いて参りました。奈良時代の木材と昭和の木材が同じ屋根裏に並んでいるし、鎌倉時代の木材が、天井裏においてあったりと、とっても楽しい?屋根裏探検でした。
 2日目は、長岳寺で地獄絵図と安陪文殊院の獅子から降りた文殊様を拝観後帰途につきました。

BS朝日では、お城の話がはじまって、第1話は藤堂高虎でした。お城もいっぱい出て、銅像もシャープでかっこいい高虎さんでした。

□役小角/ARI (2758)投稿日 : 2010年11月08日 (月) 00時16分

しまちゃんさんは、吉野に行かれましたか。
私は大和路は、奈良市や斑鳩には数年前に
行ったものの、天理・桜井以南には遠〜く
20歳代前半に、山野辺の道を歩き、その
数年後、鎌足さんの談山神社の紅葉に感激
して以来です。
金峰山寺といえば、役小角さまですね。
こちらの脊振山の山頂(1055m)のすぐ下に
は役小角の像があり、登山で通る折には
拝んでおりますよ。

□つい役小角を探してしまう私/しまちゃん (2759)投稿日 : 2010年11月08日 (月) 18時35分

 前鬼・後鬼を従えた役小角さま。山や寺社めぐりのとき、彼の姿がないものか、つい見回してしまう私。いろんな所にさりげに祀られていて、お姿をみると、つい嬉しくなります。山之辺の道もそのうち歩いて制覇したいです。(今は体力不足が・・・)

□山ノ辺の道!!/ARI (2760)投稿日 : 2010年11月08日 (月) 23時38分

山ノ辺の道! 懐かしい! 古代日本の国道一号線。
遠く、大学3年の夏に山ノ辺の道を北の端から南端
まで歩き、社会人になって2年目の晩秋にもまた行き
山ノ辺の道を歩きました。それぞれ20歳と22歳の
時で、現在の私の長男と次男の歳の頃のことですが、
今でもまた行きたい…歩きたいと思っております。

□よきひとのよしの/うきき (2761)投稿日 : 2010年11月09日 (火) 23時19分

秋の吉野とはいいところへお出かけでしたね、しまちゃん様。
色々とお得でラッキーな思い出をつくられたようで。
お宿もお得なお子さんのおうち?(^O^)
 蔵王堂には私も昔行きましたが、桜の葉がピンクになって綺麗なものでした。その時には宿坊したのですが、その時の朝焼けも、まさに「紫だちたる雲のほそくたなびきたる」という感じで見事。下界とは世界が違っていました!!

 正倉院展には私も行ってみたいデスけど、やはり尋常ならぬ人ゴミだろうと
やっぱり森家のほうに行ってしまいます。
しかし、奈良と言えば柳生の里にも興味がある私…。

□柳生の里!!/ARI (2762)投稿日 : 2010年11月10日 (水) 15時09分

柳生の里! 昔から江戸初期の柳生一族に嵌まって
いた私は、遠く23歳の秋に柳生の里に行き2泊し
ました。 奈良東大寺の南東の新薬師寺の裏手から
山中の道を進むのが、江戸時代から奈良から柳生の
里への唯一のルート。
石畳の「滝坂道」の峠道を歩き続けたんですが、途中
には朝日観音、十兵衛が斬ったという地蔵などの
柳生の里へ修行に向かう武芸者と柳生一族自体の伝
説の史跡が点在してまして、さらに進むと忍辱山(ニン
ニクセン)の峠の茶屋。時代劇のセットさながらの峠の茶
屋でした。街道を始め、いずこも時代劇の撮影に使え
る様な昔のままです。
そしてかなり歩いて「柳生の里」に着くとそこは柳生一
族の史跡一色。
正木坂道場や、柳生陣屋(山岡荘八氏が徳川家康を執筆
した地)、柳生歴代墓、枯れた十兵衛杉、紅葉橋、陣屋
跡の礎石…等。当時は宿泊は民宿数軒しかありませんで
したが、今はどうなっているでしょうね。
行った際は、千葉真一の「柳生一族の陰謀」の最終回ロケ
の数年後でしたんで、土産物屋や大衆食堂にはロケの際
に、千葉真一や茜の志保美悦子、少年の真田弘之らとお
店の方が一緒に写った写真がパネルであちこち飾ってあ
りましたね。 柳生の里 また行きたい処です。 

で、大津島は如何でした!?
うききさん日記のコーナーで拝見しましたが、その他所感
雑感があればお知らせください。

□そのうち行くつもりです。/しまちゃん (2763)投稿日 : 2010年11月11日 (木) 22時15分

 山之辺の道に柳生街道。私の脳内では、お出かけ(歩いて制覇)マップに記されています。足腰を鍛えておかなくては!!ナビは徒歩バージョンも備えています。やっぱり歩かなくっちゃ。
 
 柳生一族の陰謀とか、影の軍団とか見てましたよ。ちなみに、魔界転生はジュリーと真田くんバージョンで育った私です。純真な腐女子(汗)だった私がドキドキしたアノシーンは、本来主役だったハズの十兵衛様もぶっとぶシーンでございました。

 そうそう、11月の終わりの土・日、兵庫の竹田城写真展が津山のくらやホールであります。ちらしを見つけたので、見に行ってみようかと思ってます。

□石原●太郎氏が言うところの一番かっこいいのは「自己犠牲」/うきき (2764)投稿日 : 2010年11月13日 (土) 01時27分

あれ…なんか、以前にもARIさまから柳生の里のお話を
伺ったようなデジャヴが!!!Σ(゜□゜;
なんだろう…。

大津島の件ではありがとうございました。
話題に出した大阪城の残念石は遠すぎるようでしたので、行けませんでした。
回天関係のみの訪問で、あとは島でご飯を食べて帰りました。
あの島には猫がたくさんにましたにゃ〜。

回天に乗ること自体が人権無視も甚だしいことであるいは「人間の命を使い捨て
道具にした」と言う人もいるでしょうが、
回天に乗った彼ら自身は、
国から大きな責務を与えられ、自分が国の役に立つ存在になれるのだという
誇りや気構えを持っていらしたのでしょうか、記念館にあった若者たちの写真の
数々や遺品を見て、そんな風に感じ取れました。
今の世の中で若い人が世の中に対する責務を考えさせられる機会は少ない
ですし、自分が主役になるような感情を持つ機会もないですよね。
逆に、今は社会に見捨てられがちな人、見捨てられていると感じている人のほう
が多いような気がします。
そういうことまでどんどん考えていくと、戦争は嫌ですが「意味を持って生きる」
ってなんだろう。と思います。
しかし、何よりも自分を律して厳しく生きる人の姿というのは余人が胸をうつような
気高さがあります。戦争は本当に嫌ですが、彼らを素直にかっこいいと思います。
恋心や、本当にやりたかったこと、誰かに告げたかったこと、色々な気持ちを封印して
多くの人が回天に搭乗して海に出て行かれたのですね。
それが何だか、やるせないほど美しいように感じるのです。

変な流れになってしまいました。忘れてください。



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