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【記念合宿《勉強企画》に向けて】内田樹『最終講義―生き延びるための六講』技術評論社の要約
No:4595 投稿者:安藤陽介(25期) 投稿日:2013/11/20 Wed 12:19:18

皆さんこんにちは。
三戸ゼミ25期の安藤陽介です。
25周年記念まであと3日となってきましたね。
寒くなってきたので合宿までに風邪を引かないようにしておきたいものです。

そこで、今回の記念合宿での勉強企画テキストである、
内田樹『最終講義―生き延びるための六講―』技術評論社の第X章の要約を掲示板にのせたいと思います。
まだテキストを読めていない方、読んだけど振り返ってみたい方は、こちらの要約に目を通してみてください。


―――――――――――――――――――以下――――――――――――――――――
三戸ゼミナール 二十五周年記念合宿《勉強企画》テキスト
内田樹『最終講義―生き延びるための六講―』技術評論社,2011年
X.教育に等価交換はいらない(2008 年1月26日,守口市教職員組合における講演会)の要約



1.教育の危機
――はじめに――
教育というテーマは、社会を語るうえで必ずと言っていいほど出てくるテーマの一つである。現在の日本でも教育というテーマにとても多くの関心が寄せられている。ゆとり教育、英語教育の促進、いじめ、道徳教科化、日本の教育を語っていく中でもこのように種々雑多な問題、トピックがあげられる。それぞれの問題に対して様々な意見があるのだろうが、「今、日本の教育が危ない」という認識はおそらく多くの人が共有しているのではないだろうか。今回のテキスト『最終講義―生き延びるための六講―』生きる技術叢書の著者である内田樹氏は、『街場の教育論』(ミシマ社,2008)や『下流志向』(講談社、2007)などで、世間で叫ばれている「教育の危機」の根本にあるものを明らかにしている。内田氏が問題の根本として挙げているのは、教育のビジネス化である。市場原理的な政策が教育の根本である「教師と子供」の師弟関係を揺るがし、機能不全に陥れていると氏は述べている。以下に、本テキストの要約を挙げた。主題である「教育の等価交換」とは何なのか、現在の教育がどのような問題を抱えており、これからの社会であるべき教育とは何なのか、それらのことについて、本テキストを通じて解き明かしていきたい。

教育の危機
 教育は学級崩壊、学力停滞などの様々な現実に直面している。世論はその犯人探しに終始している。
しかしそれは教育論とは言えない。現在の教育問題はもはや個別的なエラーではなく、制度そのものの
劣化が足元で起きている。つまり「学び」「師弟関係」というものの本質を我々が捉えそこなっている。
⇒「『学びとは何か、学校という制度は何のために存在するのか、師弟関係はどのように構造化されているのか』といった
  教育の根幹にある一連の問いについて、私たちの社会では原則的な合意がない。社会的な合意が解体している」(テキストP.194,LL2-3)
 しかし、日本人には教育問題に関しては根強い関心と危機感があり、それが単一の原因さえ排除すれば
解決できる問題ではないという認識がある


2.危機の本質―教育の等価交換とは何か―
(1) 教育における市場原理の侵入
 近年、いつでもどこでもインターネットを使って教育を受けることができるという「サイバー大学」が
ソフトバンクによって設立された。これは商品としての教育サービスの典型例であり、お金さえ出せば
誰でも教育サービスを受けられる。市場を介することで、教育を等価交換可能な商品として扱っているといえる。
サイバー大学には教育を受ける人はただの「消費者」でしかない。
 また、アメリカでは「学位工場」というものも登場している。学位工場とは一定の金額を支払うだけで
博士号などの学位がもらえる形だけの大学のことであり、これもまた教育、単位が市場を介して交換されて
いる例といえる。この市場原理主義の流れは、日本の教育においても急激に強くなってきている。

(2) 教育現場を覆う消費者マインド
@教育投資という考え方
 教育=ビジネスという教育観が教育現場を襲っている。費用対効果や顧客など、ビジネス用語とともに
用いられるようになったのもそのためだ。その典型例として「教育投資」という言葉がある。教育投資とは
教育そのものを投資と考え、そこに元本+利潤を求めるという考え方である。教育投資における利潤とは
子供の生涯賃金であり、子供に高い教育を受けさせ、その投資額よりも将来子供が多く稼ぐことができれば
投資は成功というのである。しかし、この考え方は間違っている。この考え方の根本にあるのは、
教育の効果が子供の生涯賃金という形で還付されねばならないという思想である。しかし本来、
教育のアウトカムというものは計量できない。教育の価値、アウトカムというのは教育を受けた本人が
新たな経験をするたびに変わり、書き換えられてゆく。したがって、「教育を『投資と利益の回収』という
スキームで論じるのは、はじめからお門違い」なのである。
A消費者としての子供
「教育=ビジネス」という教育観は教育そのものを商品、子供を消費者として扱う。そのため、現在の
子供には「消費者マインド」が定着している。一般の商取引の場合、消費者はその商品の価値、有用性を理解し、
目の前の商品の中から最も費用対効果の高いものを選ぶ。だが本来、これから教育を受ける子供は、
自分が受ける教育の意味や有用性が理解できていない。消費者として目の前の教育商品の中から費用対効果の
高いものを選ぶとなると、子供がまじめに勉強するはずがない。実際、このような消費者マインドが実際の教育に定着している。
 子供は授業を受ける際、これから受ける教育を商品として見立てる。その教育が「価値あるもの」と判断すると、
対価として授業をまじめに聞く。まじめに受ける際の「苦痛」を教育サービスの対価として支払うのだ。
したがってその授業が「受けるに値しない」と判断すると、私語をしたり、立ち歩いたりするのだ。
これは、子供がさぼっているわけではなく、まじめに「教育サービス」と「苦痛」の等価交換に励んでいる結果なのである。


3.教育とは
 以上のような商取引としての教育に悪影響をもたらす。消費者としての子供はこれから差し出される教育の価値、
有用性を知ろうとする。消費者としての子供が「ひらがなを学ぶとなんの役に立つんですか」と質問すれば、
サービス供給者である教師は、その説明責任を果たさなければならない。しかし「それは間違いである」と教えるのが教育である。

 「六歳の子どもが手を挙げて『先生、それを学ぶと何の役に立つんですか?』と言うとき、子どもは子どもなりの
 『有用性のモノサシ』を持っているわけです。でも、問題なのは、その六歳児のモノサシで世界中の価値がすべて計れると
 思っていることです。だから、そういうときは、『バカモン、子供は黙って勉強しろ!』と言うのでいいんです。」(P.215,LL.14-17)

 現在の社会は、子供に対してこれから登場する未知のもの(教育)に対して、一覧性を要求することを奨励している。
つまり、子供が学ぶ前にどういうものを学ぶのかを開示する義務が教師にあるという考え方が存在している。
それは市場の考え方からすれば当たり前で、商品を供給するものはその商品の価値や有用性を説明せねばならないし、
消費者もその商品の価値を熟知してこそ賢い消費者といえる。しかし、「子供たちにはこれから学ぶことの価値も
意味もわかっていないという根源的な事実を教えるのが、教育の存在理由」であり、そのような市場原理的な考え
からは教育からは程遠いのである。


4.まとめ
 教育に市場取引、すなわち等価交換(貨幣と教育の交換,苦痛と教育の交換)は不要であり、
教育に似つかわしいものではない。教育に市場取引を取り入れる考え方は、子供たちの消費者マインドを呼び起こし、
教育を機能不能なものに貶めてしまっている。教育委の役割とは「これから与える教育の価値が子供には
わかっていないという事実を教えること」であり、「黙って勉強させる」ことで子供を狭い「自我の檻」から
あらたな広い価値観へと広げることで豊かな人間として育ててゆくのである。
 また、教育の効果は数値化できず、その有用性というものは教育を受けた者が人生を振り返ったときに
自己決定するものである。教育の効果は決して生涯の賃金などではなく、そのような「教育投資」という
思想のもとに、子供を製品として扱う功利的な教育観は否定しなければいけない。そして、日本の教育を
蝕む市場原理主義的な価値観から子供たちを守らなければならない。

―――――――――――――――――――――以上――――――――――――――――――――――――――

また、この原稿であるpdfファイルをWeb上にアップしています。
閲覧できる方はご覧ください。

内田樹『最終講義―生き延びるための六講―』生きる技術叢書の要約.pdf


~~~~~~わかりにくい箇所があれば以下にご質問を!!!!~~~~~~~~~~~~


○日々野(15期)
安藤くん、要約の作成ありがとうございます!
時間のない中、大変だったのではないかと思います。
さっそくプリントアウトして、読ませてもらって、
「ああ、これが勉強だよなあ」と感じつい嬉しい気持ちになりました。
(日頃いかに勉強できていないかがバレてしまうのですが(^_^;))
読み進めながら、このテキストのどこにひっかかりを覚えるのか見えてきたように思います。
おかげで、当日の討論会が白熱しそうです。
ありがとう!

◯安藤(25期)
日比野さん、早速の返信ありがとうございます。
内田樹という日本屈指の書き手の文章を要約するというのは、恐れ多く難しいものでしたが
そういっていただけるとありがたいです。
少しでも議論に役立つレジュメになれば幸いです。

さらに追加、訂正しました。
内田樹『最終講義―生き延びるための六講―』生きる技術叢書の要約.pdf(訂正ver.)




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