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[23511] 題名:追悼水木しげる ゲゲゲの人生展 名前:礼院坊 投稿日:2017年04月02日 (日) 20時47分


だいぶ遅くなってしまいましたが、先月19日に見てきた「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」のリポートさせていただきます。


場所は東京の松屋銀座。一昨年の暮れに93歳で亡くなられた水木しげるさんの人生をその膨大な数の作品と遺品で語る展覧会でした。

7階の展示場は二つに分けられていて、もう一方では昨年ヒットしたアニメ映画「君の名は」の展覧会が催されていました。
そちらのほうが人出が多く、しかも若い人がほとんどの様子でした。

対するゲゲゲの人生展は、人出こそ及ばない様子でしたが、お年寄りから子供まで様々な年齢層の人たちの姿がありました。


展示会場には、生まれたときに保管された臍の緒に始まって小学校の通知表、少年時代に描いた絵、徴兵され出征したときの手記や手紙、
復員後の画業(紙芝居⇒貸本漫画家⇒少年誌漫画家)で創作された作品や描かれた絵の数々が時系列に展示されていて、その展示品をたどって
水木さんの歩まれた人生が紹介されていました。


まず驚いたのが少年時代に描かれた絵です、どれも素晴らしく上手いんですよ。描写、色彩、陰影の加減、その他諸々・・・どれをとっても
私の目には非の打ちどころ見つかりませんでした。

特に私が目を見張ったのは13歳の時に油彩で描かれた壺と湯呑茶碗の静物画でした。有名どころの画家の絵と並べても遜色ないと思いました。
それと14~16歳頃の、自宅周辺の田園風景や大阪港の波止場を描いた風景画も実際の風景が伝わってくるようでした。

メルヘンの世界にも造詣深く、大阪の美術学校時代の17、18歳頃に絵本の自作に取り組んでいたというのも初めて知りました。
たくさんの絵が展示されていましたが、印象深かったのは妖精のように擬人化された昆虫たちが木の枝で楽器を演奏している水彩画でした。


小学校時代の通知表は10段階評価で図画は全て10でした。意外だったのは体操(体育)が8~10だったこと。少年時代はケンカが強くて
ガキ大将だったということでした。算術(算数)だけは苦手だったようで、3~5の数字が目立ちました。

それにしてもよく小学校の通知表を保管していたものです。私の場合、通知表なんてとっくに処分してしまったものと思われます!(≧∇≦)

水木さんの通知表からこの時代の学校教育のあり方の一片をうかがい知ることができました。国語教育に力を入れていたようですね。
国語は「読み方」「綴り方」「書き方」の3つに分けられていました。この3科目、水木さんは6と7が多かったです。

そして通知表の筆頭科目は「修身」でした。最も重要視されていたのは道徳教育だったのだなあと、あらためて感じました。
水木さんは修身も6~8でした。水木ガキ大将はただケンカに強いだけでなく、地域の子供たちの良き指導者だったとのことでした。

[23512] 題名: 名前:礼院坊 投稿日:2017年04月02日 (日) 20時48分


水木さんは昭和18年(1943年)、21歳のとき招集され兵役に就きます。この頃の遺品は手記や手紙くらいでしたが、後にこの当時のことを
描かれた戦記漫画の原稿はたくさん展示されていました。

私が最も関心持っていたのは水木さんがどのようにして左腕を失ったかということでした。私はてっきり戦闘中に失ったのだと思っていたのですが、
それは違っていました。南方戦線でマラリアに倒れ、40℃以上の高熱で寝込んでいたところ陣営が爆撃され左腕をもぎ取られたということでした。
そのときのことを描いた戦記漫画の原稿が展示されていました。

これはよく生きていられたなあ・・・というのが正直な感想でした。私も40度の高熱を出して寝込んだことがありますが、それは栄養のある食べ物と
十分な医療が受けられた環境でのことです。それでもものすごく苦しかったです。水木さんは栄養も医療も不十分な戦地で、そしてそんな状態で片腕を
もぎ取られてしまったわけで・・・原稿を読んで想像して背筋が寒くなりました。

やはり体の丈夫な人だったのでしょう。それと精神力も。そのどちらも足りない礼院坊だったら、絶対にその時点で妖怪の世界に旅立っていたでしょう。

水木さんは入隊後数か月してラッパ卒(軍隊ラッパを吹いて号令をかける役割)を命じられましたが、いくら練習しても上手に吹けるようにならないので
自ら辞退を申し出、そして南方戦線に送られたとのことでした。

だまってラッパを吹いていたらずっと内地勤務だったという話を終戦後に知ったそうです。
そのときは何を思われたことでしょうか。


終戦後の昭和21年、水木さんは戦地から復員を果たします。このとき乗った復員船の船名が「雪風」だったそうです。
松本零士さんはこの船のことを知っていたのでしょうか。

失った左腕は傷口から上腕骨がはみ出ていたので再手術が必要とのことでした。でも終戦後の混乱で医療不足。なかなか手術が受けられなくて
苦労されたそうです。こういった話も初めて知りました、本当に大変な状況だったようです。

[23513] 題名: 名前:礼院坊 投稿日:2017年04月02日 (日) 20時49分


復員後しばらくは生活のために東京で魚屋や輪タク(自転車タクシー)などをされたということでした。もちろん画業で生計を立てることを
望んでおられたわけですが、戦後の混乱期でそれは大変困難なことだったようです。

それが帰省の途中で泊まった神戸の安宿で、女将から「この建物を買わないか?」と持ち掛けられ、月賦で購入してそれをアパートとして
経営することになりました。アパートの名前は『水木荘』。アパートの前の道が水木通りだったので名付けたとのことですが、それが生涯の
ペンネームになったということでした。

その水木荘に入居してきた住民の一人に紙芝居作家がいて、水木さんはその人から紙芝居づくりのノウハウを学び、紙芝居作家として画業人生の
スタートを切ったとのことでした。

このへんのいきさつはパネルの解説文などで初めて知りました。いやはや、人生ってどんな偶然が左右するかわからないものです。
朝ドラ「ゲゲゲの女房」にもこのエピソードが描かれていたのかもしれませんが、私は断片的に録画で見ただけでした。

当時描かれた紙芝居の絵が展示されていました。「ダイラ」というタイトルで、妖怪のような宇宙人のような(カネゴンっぽい!)姿した
生き物とシリアスタッチの男たちが描かれていました。ストーリーは不明ということでした。描いた水木さんも憶えていなかったということは、
当時は相当な激務に追われていたのでしょうか。

きちんと仕上がったものは紙芝居会社が買い取って残っていないので、展示品はすべて失敗作ということでした。

子供の頃に紙芝居「ダイラ」を見て、よく憶えているという方はどこかにいないかな。

紙芝居の仕事は毎日10枚くらい描かなくてはならなかったそうです。人気がなければ即打ち切り。収入は少なく貧乏暮らしだったとのことでした。
墓場鬼太郎も河童の三平もこの紙芝居で誕生したそうです。鬼太郎が昭和29年(水木さん32歳)、三平が同30年(同33歳)とのことです。

[23514] 題名: 名前:礼院坊 投稿日:2017年04月02日 (日) 20時49分


昭和30年代に入りテレビの普及で紙芝居が先細りになって、水木さんの仕事は貸本漫画にシフトされていきました。この頃描かれた漫画の原稿は
たくさん展示されていました。まずは墓場鬼太郎の原稿(昭和35年)が目を惹きました。2008年(もう9年前になるのか、早いなあ)に
アニメで見たあのかわいげのない鬼太郎がいました。

目玉親父の誕生シーンの原稿もありました。鬼太郎のお父さんの死体から目玉が腐り落ちて、地面の上でピクピクと動き出して・・・
いや、すごい迫力でした。

ねずみ男初登場の原稿もありました。そこに描かれていたネズミ男は口と鼻が目よりも大きく前にせり出していて、本当にネズミのような顔してました。


この頃の水木さんはいろいろなジャンルの漫画を描かれたそうです。SF漫画と少女漫画の原稿が展示されていて驚きました。

SF漫画は「ベビーZ」というタイトルで、超能力(空を飛んでいました)を持った3頭身のかわいい少年が主人公でした。
怪獣が暴れてるシーンがありました。

少女漫画は「枯葉」というタイトルでした。舞台の事故で負傷し踊れなくなってしまったバレリーナの少女を描いたお話だったそうです。
このバレリーナの少女、眼が大きくてきれいでとても可憐です。完全に少女漫画タッチで私が知ってる水木漫画の絵とは全然違いました。
言われなければ、きっとどなたも水木さんの漫画だとは気付かないと思います。

もしこれらのマンガがヒットしていたら・・・

水木さんはSF漫画か少女漫画をたくさん描いて世を風靡して、鬼太郎や悪魔くんが日の目を見ることはなかっただろうか・・・
なんてことを考えてしまいました。

[23515] 題名: 名前:礼院坊 投稿日:2017年04月02日 (日) 20時50分


水木さんは貸本漫画時代もなかなか人気が出ずに貧乏生活が続いていました。この時代を「貧乏神に憑りつかれていた時代」とご自身は呼んでいたそうです。
しかし昭和40年、少年マガジンに掲載した「テレビくん」が児童漫画賞を受賞し、ついに福の神が訪れました。それをきっかけに仕事の依頼が急増し、
貧乏神との決別できたとのことでした。

その「テレビくん」の原稿もありました。テレビに映ったケーキを食べるために画面に飛び込むテレビくんとその足を引っ張る友達(?)の少年が
コミカルに描かれていました。線が柔らかく、私が知ってる水木漫画のスタンダードなタッチの絵でした。それまでの貸本漫画や紙芝居の絵は
線が鋭い感じで劇画っぽさもありました。少年誌ということで水木さんは子供が親しみやすい絵にされたそうです。

昭和39年生まれの私は物心ついたときから鬼太郎や河童の三平に親しんできました。しかし水木さんの出世作「テレビくん」が昭和40年の作品と
いうことですから、私が生まれた時点ではまだ水木さんの名は世間では知られていなかったのだということを実感して不思議な気持ちになりました。

テレビくんをきっかけに仕事が急増し、妖怪ブームも起こって水木さんはたくさんの収入を得られるようになりました。この頃描かれた「墓場鬼太郎」の
原稿はたくさん展示されていました。貸本時代に描かれた不気味で可愛げのない“元祖”鬼太郎とは正反対の、私がよく知っている野沢雅子さん声の
鬼太郎がそこには描かれていました。「悪魔くん」や「河童の三平」の原稿もいろいろ見ることができました。カラーの単行本の扉絵もたくさん展示されて
いて、これもよかったです。


昭和40年代の水木さんは仕事が増えて貧乏神を退散できたのはよかったのですが、あまりにも忙しくなりすぎて今度は「妖怪いそがし」に憑りつかれて
しまったとのことでした。昭和47年、水木さんは50歳を境に健康を考えて仕事を減らしていかれたということでした。

それを知って思ったことは・・・

水木さんが漫画家で出世したのは昭和40年、43歳のとき。手塚治虫さんや石ノ森章太郎さんや藤子不二雄さん・・・トキワ荘漫画家の人たちと比べると
倍くらいの遅咲きでした。もし若い頃に出世作を描いていたら、体力あったでしょうからもっと長期間「妖怪いそがし」に憑りつかれたままバリバリ仕事を
されていたかもしれません。そうなると・・・

手塚さん60歳、石ノ森さん60歳、藤本弘(藤子・F・不二雄)さん62歳・・・日本マンガ界の創成期を支えてこられた代表的な漫画家が「まだまだ」
と思える歳で旅立たれてしまいました。皆さん若い頃から長期にわたり、睡眠時間も満足に取らずに漫画を描き続けてくれました。

もしかしたら水木さんもその中の一人に・・・と思ってしまいした。

貧乏神や福の神やいそがしは、憑りつく人も憑りつかない人もいるでしょう。でも死神は最後必ずやってきます、逃れることはできません。ただ、時期を
遅らせることは可能です。水木さんが死神の到来を93歳まで遅らせることができたのは、貧乏神が長く憑りついて福の神の到来を遅らせたことによる
「怪我の功名」だったのかもしれません。

[23516] 題名: 名前:礼院坊 投稿日:2017年04月02日 (日) 20時51分


自ら仕事を減らされた後、昭和52年に描かれた「続ゲゲゲの鬼太郎」というマンガの原稿がありました。これには驚きました。鬼太郎が高校生になる
お話です。身体は成長して5頭身。Tシャツと長ズボン、もちろん下駄ではなく靴履きというごく普通の若者の出で立ちでした。美人の恋人までいました!

Tシャツは白黒の太い横縞柄で、これだけが辛うじてちゃんちゃんこの柄を彷彿させます。もしかしたら霊毛で編んであるのかもしれません。
恋人は鬼太郎より背が高かったです。(^_^ )

高校は「墓の下高校」、鬼太郎の名前は「田中ゲタ吉」。自分が鬼太郎であることは隠して通学しているという設定でした。


もう少しあるんですが、今日はとりあえずここまで。

[23517] 題名: 名前:管理人・うる妻 投稿日:2017年04月02日 (日) 22時02分


礼院坊さん

水木しげる展のレポ、ありがとうございました。

なんと「君の名は。」と同時開催でしたか。
アチラが若者ばかりなのは納得です。水木しげる先生の方は全年齢が対象なんですね。

メルヘン世界にも造詣深いというのは、一見すると意外なんですけど、
よくよく考えたら妖精も妖怪も似たようなものでした。

通知表は....私のものはどうだったかな。


40度の高熱で寝込んでいたところに爆撃で腕を飛ばされたとのこと、
本当によく生きてられましたね。どちらか片方だけでも大変なのに。
長生きされる方は運のよさももちろんですが、やはり体が頑丈だったのでしょうね。

[23518] 題名:礼院坊様へ 名前:豆はんてん 投稿日:2017年04月02日 (日) 22時16分

お疲れ様です!詳細なレポート、ありがとうございました!
書店で割引券をゲットしたものの行くには厳しい状況ですので、雰囲気を知ることができて助かりました。
「テレビくん」は「手塚マガジンレオ」という雑誌の再録で読みました。
事実上の主役は、テレビくんのクラスメイトだった記憶があります。
それにしてもあの飄々とした作風の根源には、筆舌に尽くしがたい壮絶な体験があるんですよね。恐れ入るしかありません。では、続きを楽しみにしております。

[23519] 題名: 名前:管理人・うる妻 投稿日:2017年04月02日 (日) 22時22分


朝ドラ「ゲゲゲの女房」は、私も途中から見ていました。
アパートを買う話や紙芝居は覚えていないです。漫画家として成功したあたりから見始めたのかもしれません。

水木美少女キャラで思い当たるのは、アニメ「墓場鬼太郎」に登場する寝子ちゃんです。(猫娘の原型)
アニメの彼女はすばらしい美少女でしたが、実は原作マンガに登場する寝子ちゃんは、それ以上に美しかったのです。
なのでバレリーナの少女が綺麗で可憐だというのも想像できます。


>手塚さん60歳、石ノ森さん60歳、藤本弘(藤子・F・不二雄)さん62歳・・・

(;_;)....
早すぎますよね....

人間が一生のうちで活動できる時間というものは決まっているのかもしれません。
そして、それを少しずつ使っていった水木先生は、結果、長生きできたのかも...

[23520] 題名: 名前:管理人・うる妻 投稿日:2017年04月02日 (日) 22時33分


「田中ゲタ吉」で検索したら画像が出てきました。
頭身が伸びて、普通の青年の格好した鬼太郎でした。
でも青年誌に掲載された関係で、かなりアレな内容だったとか...(^_^;)


レポの続きを楽しみにしています。
でも、ご無理はなさらないでくださいね。

[23529] 題名: 名前:メタ坊 投稿日:2017年04月04日 (火) 21時04分

礼院坊様

「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」の渾身のレポート、
まだ途中とのことですがお疲れ様です。行こう行こうと
思って忘れてしまったので参考にさせていただきます。

 まだ水木先生ご存命の頃に松屋で開催された 「ゲゲゲ展」
というのには行ったことがあります。その時のことも礼院坊
さんのレポートで思い出しています。

>このとき乗った復員船の船名が「雪風」だったそうです。

 このことはタイトルがわかりませんが、自伝漫画に描かれていた
と記憶しています。もうボロボロで、手すりとかをつかむと壊れて
しまい、手で壊せるんじゃないかこの船、みたいな内容だったような。

「ゲゲゲの女房」は全話見たはずですが、貧乏時代のエピソードは
覚えているのですが終盤の方の記憶が定かでありません。

 水木美少女キャラにはアシスタントだったつげ義春さんが描かれた
ものもあったように聞いたことがあります。寝子ちゃんがどうだったかは
わかりませんが。
 そういえば猫娘がすっかり萌え系キャラになった鬼太郎5期の続きは
もう作られないのでしょうか。中途半端なところで終わったままなのですが。
 田の中さんも水木先生もいなくなってしまいまいたが・・・

[23533] 題名: 名前:管理人・うる妻 投稿日:2017年04月05日 (水) 12時23分


メタ坊さん

ヨコレス失礼します。

11日に始まる「夏目友人帳・陸」(第6期)、とうとうシリーズ数は「鬼太郎」を抜いてしまうことになりますね。
本数ではとうていおよびませんが。

日本人は妖怪が好きなんだなあと思うのと同時に、理不尽な打ち切りされた第五期鬼太郎スタッフの無念を思います。
田の中さんも水木先生も無念だったかもです...

東映のほうでも第6期鬼太郎を考えているんでしょうけど、あんな中途半端では、かえってやりにくそうですね。

[23559] 題名: 名前:礼院坊 投稿日:2017年04月11日 (火) 18時59分


皆様、たくさんのレスをありがとうございます!

うる妻さん。

>水木しげる先生の方は全年齢が対象

モノクロの第1期から第5期までアニメ放映が40年くらいの幅ありましたからね!

>よくよく考えたら妖精も妖怪も似たようなものでした

妖怪人間ベムに出てくる恐怖一辺倒の妖怪たちと違い、鬼太郎に出てくる妖怪は意味もなく人を襲ったりするものは少なかったように思います。
たいがいは人間のほうにも問題があって、本来なら妖精として人間と共存していたはずのものが人間に牙を剥き、鬼太郎とのバトルになって
しまうというパターンのお話が多かったと思います。

>長生きされる方は運のよさももちろんですが、やはり体が頑丈だったのでしょうね

水木さんはマラリア+左腕切断+栄養不足の折、ラバウル島の原住民部落の人たちと親しくなり、果物などをもらって栄養をつけ病と怪我から回復する
ことができたそうです。それがなければもしかしたら生還できなかったのかもしれません。水木さんの生前の言葉に、

「(原住民たちの)生き方全体が自然のリズムに合っているというノンキさが感じられて、まったく地上の楽園のようでした」

というのがありました。水木さんのその後の創作活動に大きな影響を与える出来事だったのは間違いないと思います。妖怪いそがしの存在とその
危険性にいち早く気付いて自ら仕事を減らし、長寿を全うされたことにもつながったと思います。

展覧会の帰りに立ち寄った書店で「水木しげるの戦場」という水木さんの短編マンガ集を買いました。その中に収録されていた「天国と地獄」
というマンガによると、

水木さんはラバウル島の原住民たちからとても好かれて歓待されていたそうです。軍では原住民部落との交流は軍規により禁止されていたそうで、
水木さんはそのことでしばしば上官から厳しく咎められました。でもその上官、どこかで水木さんの行動を大目に見ていたように感じました。
「彼らがいなかったらコイツ死んでたかもしれんからな」というのがあったのかもしれません。

このマンガの最後のコマで、

「この地球に生きるには、あの野生に満ちた土人の生活こそがマトモな生活ではなかろうかと言うことだ。文明社会は病んでいる・・・」

という水木さんの言葉がありました。


>人間が一生のうちで活動できる時間というものは決まっているのかもしれません。

それは私もよく思います。短眠の方は寿命も短い傾向ありますからね。ストレスが大きくて体を痛めやすいのでしょう。

そういう話を聞くと昼寝好きののび太君が「ほら見ろ、たくさん寝たほうが長生きできるんだーい!」と枕抱えて喜びそうです。

そしたら「言っとくけど人間は一生のうちで寝られる時間も決まっているんだよ」と言ってやるかな。根拠はないけれど。

[23560] 題名: 名前:礼院坊 投稿日:2017年04月11日 (火) 18時59分


豆はんてんさん。

「テレビくん」のお話ありがとうございます。このマンガを読んでみたくなりました。


メタ坊さん。

「雪風」はそんなに傷んだ船だったのですか、今だったら使用を差し止められそうですね。
当時の日本は本当にギリギリの状況だったということが伝わってきます。

>水木美少女キャラにはアシスタントだったつげ義春さんが描かれた
>ものもあったように聞いたことがあります。寝子ちゃんがどうだったかは
>わかりませんが。

そういえばつげ義春さんの名前も見かけました。そのあたりのことを留意して見てくればよかったなあ。
なにかわかったかもしれないのに、残念。

水木さんが描く女性はドングリ眼&瓜顔の「ただの女性」か、綺麗な目をした美女かの両極端ですね。
その二者が同じ漫画の中で共存しているというのは本当に不思議な感覚です。

鬼太郎5期の続きは・・・「これから」という盛り上がり見せていたのに突然の打ち切り、あれからもう8年(早い!)になります。
作るとしたら刷新して第6期になるんじゃないでしょうか。

目玉親父の声はどなたが演じるのかなあ。

妖怪四十七士だけは完結させてほしいです。

[23561] 題名: 名前:礼院坊 投稿日:2017年04月11日 (火) 19時00分


人気を博した第2期鬼太郎のアニメは、後半になると原作が底を尽き、水木さんの妖怪短編漫画などからネタを借りてきたということでした。
その一例としてその短編漫画の原稿が展示されていたのですが、なんとそれが「足跡の怪」でした!

アニメでは目や鼻がなくなるのは並の顔した山田サンでしたが、原作では眼鏡出っ歯の中村でした。喫茶店のような場所で二人が話をしている最中、
山田サンの目の前で中村の目や鼻、そしてついには首が「ボコッ」と、次々になくなっていくのです。

展示されていた原稿はその部分だけでしたが、この先どうなるのかなあ・・・アニメとどっちが怖いか見比べてみたい気も。(^_^;)


水木さんは幼少期(4、5歳頃)近所に住む「のんのん婆」というお婆さんから妖怪の話をいっぱい聞かされたということでした。
「のんのん婆」という名前は何かで聞いた憶えがありましたが、幼少期の水木さんに妖怪の「英才教育」を施したという具体的なお話は
初めて知りました。

幼少期に体験したことって本当に重要なんですね、三つ子の魂百まで。人気漫画家で長寿を全うされる方は少ないですが、水木さんは
それを体現してくれたんだなあと思いました。

[23562] 題名: 名前:礼院坊 投稿日:2017年04月11日 (火) 19時03分


水木さんの死を悼んで各界著名人が、あちらの世界へ移られた水木さんへのメッセージを綴った絵馬のコーナーがありました。
しんみりさせられたもの、思わず笑ってしまったもの、いろいろありました。印象深かったものをいくつか紹介させていただきます。


「水木先生、妖怪の国でお元気にしてらっしゃいますか?またお会いできること楽しみにしております!」 内田春菊さん(漫画家)

「きっと妖怪の世界にはストレスなんかありませんね」 香山リカさん(精神科医)

「下界の亡者どもが見えますか、そちらで大笑いしていてください。私も間もなく移住します、またよろしくお願いします」 呉智英さん(評論家)

「僕、先生の教えの通りこれからも悪い奴を退治していきます。父さんの茶碗風呂も毎日忘れずに! - ゲゲゲの鬼太郎 - 」 野沢雅子さん(声優)

「子供の頃、大好きだった鬼太郎。大人になって、まさかの第三作目で鬼太郎を演じられて光栄至極でした。ありがとうございました」 戸田恵子さん(声優)

「遠く時の環の接する処でまたお会いしましょう」 松本零士さん(漫画家)


野沢雅子さんは鬼太郎からのメッセージとして書かれていました。私もつい頭の中で鬼太郎の声で読んでしまいました。

「またお会いしましょう」というようなメッセージが多かったです。考えてみたらだれもが皆、遅かれ早かれ水木さんと同じ所へ行くんですね。

内田春菊さんの絵馬にはかわいい美人のろくろっ首が描かれていました。松本零士さんの絵馬には鬼太郎となぜかメーテル。
漫画家の方は皆それぞれに楽しい絵を添えられていました。

私が気に入ったのはねずみ男に変装したルパン3世を描いたモンキー・パンチさんの絵馬。傍に立つ鬼太郎が変装衣を破いてルパンの顔を暴いてます。
コメントはなく、躍動感あふれる絵だけのメッセージでした。

[23568] 題名: 名前:管理人・うる妻 投稿日:2017年04月12日 (水) 16時11分


礼院坊さん

第1期以前の貸し本マンガの読者まで入れると、ファンの最年長クラスは、もう鬼籍に入ってますね。
ホントにすごい怪物マンガです。(いや、妖怪だって!)
アニメ第5期の四十七士、あの打ち切りはむごかったです。
これが決着しないまま旅立って、成仏しきれない方もいらっしゃったりして...(^_^;)

第6期をやるとしたら、打ち切りになった部分から始めるのかどうかの前に、
声優さんをどうするかの問題がありますね。
目玉おやじを出来る人が、はたして見つけられるかどうか。
「サザエさん」でも声優さんの交代はありましたけど、なじめないまま離れて行ったファンも多いと聞いていますから、難しいです...。

[23569] 題名: 名前:管理人・うる妻 投稿日:2017年04月12日 (水) 16時49分


>(ラバウル島が)地上の楽園

そういえば、鬼太郎のツリーハウスって、ジャングル地帯の原住民の住居みたいですよね。
妖怪の家と言うより...


>文明社会は病んでいる

今の日本の都会に住む人にはラバウルの野生生活は厳しいでしょう。
でも過労死や自殺者の多さを思うと、文明ってかなり野蛮です。

[23575] 題名: 名前:管理人・うる妻 投稿日:2017年04月12日 (水) 21時36分


水木先生の訃報がニュースになった時、「亡くなられた」のではなく「妖怪の世界の住民になられた」ととらえた方々が
とても多かったと記憶しています。

ご紹介の絵馬も、そんな感じですね。
野沢雅子さんのメッセージが心に染みます。


>ねずみ男に変装したルパン3世

おもしろそう!見てみたいです。


>考えてみたらだれもが皆、遅かれ早かれ水木さんと同じ所へ行くんですね。

妖怪の世界ならいいけど、地獄に落ちないよう気をつけたいと思います。
(そんなだいそれた悪いことは出来ないと思うけど)

[23588] 題名: 名前:礼院坊 投稿日:2017年04月14日 (金) 20時02分


第5期鬼太郎の打ち切りは私も血の気が引きましたよ。

>これが決着しないまま旅立って、成仏しきれない方もいらっしゃったりして...(^_^;)

その人たちの霊魂がやがて平成の世の新たな妖怪になったりして。「テレビくん」のようにテレビにまつわる妖怪でしょうけど、
しかしテレビくんと違ってオソロシイ妖怪になりそうです。

鬼太郎に替わって始まったのはワンピースだったかな?スポンサーやTV局の関係者で変死した人はいなかっただろうか。

>目玉おやじを出来る人が、はたして見つけられるかどうか。
>「サザエさん」でも声優さんの交代はありましたけど、なじめないまま離れて行ったファンも多いと

第3期以降は鬼太郎やねずみ男をはじめ作ごとに声優は代わりましたが、目玉親父だけは田の中さんの独擅場でしたね。

ホント、あの声だけは代わりが見つからなかったんだろうなあ。(^_^ )

でも次回はそんなことは言ってられません。

最初からその人がやるのであれば、田の中さんの声と開きがあっても大丈夫ではないかなと思います。今までの「鬼太郎」を知ってるオールドファンは
あれこれ言うかもしれませんが、少なくとも初めて「鬼太郎」を見る子供たちは馴染んでくれるでしょう。

第6期鬼太郎にて新しい目玉親父の声を聞いてみたいです。そのときは初めて鬼太郎を見るつもりになってTVに向かおうと思います。

[23589] 題名: 名前:礼院坊 投稿日:2017年04月14日 (金) 20時08分


>鬼太郎のツリーハウスって、ジャングル地帯の原住民の住居みたい

そういえば・・・!これは気がつきませんでした。

水木さんの漫画に描かれていたラバウル原住民の家は地上にありました。島には猛獣がいないからだと思います。でも猛獣がいるようなところでは
樹上に家を作って住んでいる原住民もいるみたいですね。水木さんの中にそのイメージがあったのかな。

>過労死や自殺者の多さを思うと、文明ってかなり野蛮です。

うーん、人間こそ地球史上最悪の猛獣かもしれません。特に文明を持つと人間は猛獣になる傾向がありそうです。

自然とともに暮らす人たちを野蛮人と呼んでる連中こそ実は野蛮なのであった・・・というのは、なんとも滑稽な話です。

[23605] 題名: 名前:管理人・うる妻 投稿日:2017年04月16日 (日) 22時43分


少し調べたところ、四十七士の途中でTVが終了した後に公開された劇場版が、
第五期の最終回を描いているようなのです。
だから第五期は、建前上は「打ち切り」ではないことになっているそうです。

...といっても、とうてい納得できませんけど。

第6期は四十七士は関係なく、キャストも変って何事も無かったように始まることになりそうです。
ターゲットを子供とするなら、それで問題ないでしょう。
昔からのファンがついてくるかどうかは別ですが。


第五期の後に始まった「ゲゲゲの女房」は大評判だったのに、アニメはその波に乗れませんでした。
今は「子供向けの妖怪モノ」って難しいのですね。

[23606] 題名: 名前:管理人・うる妻 投稿日:2017年04月16日 (日) 22時53分


>自然とともに暮らす人たちを野蛮人と呼んでる連中こそ実は野蛮

「野蛮人」たちが弓矢や斧で殺し合いしていても、それで人類が全滅することはありませんが、
高い科学技術を持つ文明人は、その気になれば簡単に人類絶滅させられますね。




こうしている間にも殺し合いが...
(日本が安全とは限らない。あのとっつぁん坊やを誰か止めてくれ。
今は失敗しているミサイルだけど、確実に経験積んでいるよ、あれ)

[23607] 題名: 名前:七色虹之助 投稿日:2017年04月16日 (日) 23時43分

<今は「子供向けの妖怪モノ」って難しいのですね。

「妖怪ウォッチ」って大ヒット作品もあったりしますが・・・

[23611] 題名: 名前:管理人・うる妻 投稿日:2017年04月17日 (月) 09時35分


七色虹之助さん

>「妖怪ウォッチ」

あーー!
これの存在を忘れてました!!

なんかポケモンの変化形みたいなイメージで「妖怪物」として認識していなかったんですよ。

じゃあ「最初からゲームやオモチャを売ることを前提にせずに作られた子供向けの妖怪アニメ」と言い換えておきましょう。
“正当派妖怪アニメ”と言い換えてもいいかもしれません。



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