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[21] 告知について
ちえのすけ - 2007年07月04日 (水) 14時14分

我が家の場合は、1歳すぎから、「なんかおかしいぞ?」って思っていました。
こだわりが強くことばがでない、人まねをしないなど、
今考えれば「自閉的傾向が強かった」のです。

最初の告知?は2歳のときでした、
市でやっていた発達相談で、発達に詳しい医師が息子をみて、
「このお子さんは発達の筋道がちょっと違った道を進んでいるようだ、自閉的な傾向があるけれど、あまり重くはないようだからいずれ薄くなるだろうけれど、よかったら市の通園施設へ通ってみませんか?こういうタイプのお子さんをひとりで育てるのは大変です、抱え込まずにいろんな人の手を借りることを考えてください」
と。

その後1ヶ月は泣き明かしました。
薄々自分でもネットなどで見て理解してたし、
医師は優しく真摯な態度で言葉を尽くして説明してくれたから、医師への心の痛みは残りませんでしたが、
目の前につきつけられた現実の辛さが重たくのしかかってきました。
そのときそばにいつもお世話になっている保健婦さんがいてくれたのがなにより救いでした。

でも、正確に診断してもらうまではそれから3年かかりました。
都内の病院も紹介してもらったのですが、
「診断名がついたら、そこから逃れられなくなってしまうのでは」という恐怖感が強く、
なんとか「診断名がつかないようになってほしい!!」と
必死にあちらこちらと民間の療育に励んだのです。
通園施設へも最初は行きましたが、目の前の子どもたちと息子が同じであることがそのころは受け入れ難く、
4歳になるまでいけませんでした。

その後お世話になった個人指導の療育の先生の言葉が印象的でした。
「ここでは、「自閉傾向の○○くん」という考え方はしません。
あくまで「○○さんちの○○くん」です。
障害の名前にとらわれず、お子さんの出来ること、弱い部分、
一緒になって考えていきましょう」

そのころ、「自閉」という言葉から逃れられず、
息子のことも自閉というフィルターを通してしか見られなかった私でしたが、
この言葉で目が覚めた気持ちでした。
「障害があっても我が子は我が子」
そんな当たり前のことすら考えられなくなっていたのです。

その先生のみならず、いろんな優しい気持ちをもった方々にお世話になりながら
また自分もいろいろと勉強しながら息子を育てていくなかで、
結果的に障害がなくなることはなかったものの、親の私たちも自然に障害名をうけいれる決心がつき、
正式な診断をもらったのは年中のころ。
「高機能広汎性発達障害」

でもその名前をもらったからといって、
息子であることには変わりがない。
心からそう思えるようになってから頂いた診断名でした。
その後特殊学級へ前向きな気持ちで入学させることができました。

自分が恵まれていたのは、
支えてくださる方々に恵まれたことだと思います。
最初の診断をうけたとき・・・・療育に通っていたとき・・・・
常に愚痴でもなんでも受け止めてくださる方々に恵まれ、
時間はかかりましたがすこしずつ、
障害をうけいれることが出来たように思います。


告知については、ほんとうに難しいと思います。
ただ、自閉については、小さいころからの療育で本当に変化していくのを
息子を見ていて実感します。
小さいころはバリバリの自閉ちゃんだった息子、
今では会話が成り立ち、手帳がとれるかどうか?までになりました(そのぶん支援がなくなるからそれもまた親としては不安ですが)
だから「変わっていく可能性が大きい」ことを伝えてほしいです、
なにより、不安な親御さんの気持ちをどこまでも受け止めてくれる存在があれば、
親は前向きになれるのではと思います。

でも自閉系の障害の場合、原因のひとつに「遺伝」というのもあり、
私の周りでも「親がアスペで子供が自閉」というケースもあります。
そういう場合、父親や祖父母の理解を得るのが難しいと思います。
医者や専門家に父親や祖父母が同伴してくれるといいのだけれど、
理解がないほど同伴が難しいようなので、
祖父母など家族むけに障害を簡単に判りやすく説明する資料があったら嬉しいです。


[23] 診断名の重さ、告知の重さ
サンタ - 2007年07月05日 (木) 07時38分

 ちえのすけさん、書き込みをありがとうございました。

 なるほど、と思って読みました。
 やはり体験からくる言葉は説得力があります。

 ちえのすけさんが出会った医師にしろ、療育の先生にしろ、とても素晴らしい方々だと思いました。
 大切なのは、診断名、障がい名がレッテルにならないようにすることです。大事なのは、その子の存在そのものなのですからね。
 そのあたりのことを、保護者も周りもきちんと理解できていることが当たり前になるといいなあと思いました。

 保護者の理解だけでなく、その周りの家族に対して理解を求める方法については、実は二次的な課題になっている例をよく聞きます。ちょっと紹介したい本もあるので、これはBlogに書きますね。

[29] サンタ先生へ。
ちえのすけ - 2007年07月06日 (金) 11時41分

コメントありがとうございました。
確かに私の場合、
早期発見早期療育が確実に息子の発達の伸びに繋がっていったと実感できるところもあり、
また出逢った先生がたがみな優しく親の辛さに寄り添ってくれる人ばかりだったので、本当に救われたと思います。

私たち親の辛さは、
「子供に障害があること」ではないと思います。
「子供に障害があるがゆえに、親子ともに居場所がない、行き場がない、先の見通しが立たない、理解してもらえない辛さ」
なのだと思います。
たとえばメガネをかけている人は考えようによっては軽度の視覚障害。
私もそうです。
でも、メガネ店があり、偏見もないからなにも不便は感じません。
「メガネをかけるように必要な支援がうけられたら!」
と切に思ってしまいます。

[35] まさにメガネのような支援が必要です
サンタ - 2007年07月08日 (日) 17時22分

 おっしゃるとおり、メガネを用意するくらいに、簡単に、そして当たり前に支援が受けられる、というのが目標ですね。

 子どもに障がいがあること、よりも、そのために居場所がないところに困難性がある……。
 これこそ、環境、社会の問題です。

 時間が掛かることではありますが、1つずつ進んでいかなければならないことだと痛感してます。



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