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[203] 不登校になって(初めて書き込みしてます)
ゆう - 2008年05月28日 (水) 22時12分

不登校を考える会掲示板からこのページを紹介していただきました。
 ADHDの息子が不登校になったのは、中1の10月、現在高1になりました。声かけさえあれば嫌々ながらも登校したりしていましたので、私が学校に望んだことは、繋がっている実感を持たせてほしいということでした。一日のうち5分でも10分でも電話で関わりを持ってほしい。それが、唯一の願いでした。
 1年の担任は熱心に関わってくださり、部活の副顧問ということもあり、息子は部活や関連のクラブチームの活動には参加していました。それから3年の引退試合まで、参加できたのは、そのスポーツの楽しさを教えてくださったからだと、感謝しています。
 しかし、2年の担任は、節目に要領よく顔を出したり、呼び出して『今後の話』を饒舌に語ったりするのみでした。『不登校対策チームを作ったのでガッチリとサポートしていきます!』と5〜6人の教師が並んだこともありました。が、実行されることはなかったのです。
 3年になり、担任は落ち着きのない方に代わりましたが、息子は少しがんばろうと言う気持ちが出てきたのか、始業式に出かけていきました。この機会を繋げたい一心で私は毎朝学校に電話をかける様にしました。内容は『担任の先生が忙しければ、どなたでもっけっこうですから、学校に出て来いと声かけをしてやってください』と・・毎日かけました。結果午後から行くようになり、修学旅行にも参加できました。しかし、同室の子とトラブルがあり・・・以来学校に行くことをやめました。その子は息子に「養護」と言ったそうです。担任からのフォローもなく、担任は、その後は夏休み中に1度顔を出したくらいで、また来るからといった日にも現れることはなく、息子は所在を失ってゲームと漫画、おたく小説に走っていました。唯一の救いは週末に遊びに来てくれる友人がいる事としばらく休んでいた格闘技の先生がいつでも練習に来いと言って下さったこと。
 しかしこれではいけないと思い、中学の校長に直にこれまでのいきさつを話し、学校側は一体どういう考えなのか問いました。
以降は、人が変わったようになり、受験までのフォローをして下さいましたが、今でもなんだったのか・・・。と納得はできていません。
 大騒ぎして入った高校ですが、2日間登校しただけです。
今は小2からお世話になっている児童精神科の先生のカウンセリングを受けています。

[204]
ななつぼし - 2008年05月29日 (木) 16時47分

はじめまして
高機能自閉症の診断をもらった中三の娘を持つ母です。
転勤族で以前の学校では声かけで、娘は生き生きと学校にいけました。
でも去年転校した学校では声かけをお願いして、1年以上経ったいまでもなしです。

校長先生に直に話したそうですが
その後の担任や学校は具体的にどう態度がかわりましたか?
参考までに教えてほしいです。
うちも担任が頼りなく、コーディネーターともうまく連携していない疑いがあります。
校長や教頭に話しにいこうか悩んでます。
が、クラスでの娘の立場が心配で。
どうぞよろしくお願いします。

[205] ななつぼしさん、っ画交際でお察しします
ゆう - 2008年05月30日 (金) 00時12分

やはり学校によって対応は違うんですね・・中3は次へのステップを踏み出す大事な時期、心情はいかばかりかお察しします。
私が校長にあって話そうとした理由は、受験が近くてあせっていたからではありません。ストレートに言えば苦情と失望を伝え、学校と決別しようと思っての事でした。
話を聞いた校長は、これまでの事を謝罪し受験が近いということもあり、生徒指導の先生に声をかけ受験までの手引きをして下さいました。担任をシャットアウトしたので、卒業するまで何のかかわりもありませんでした。
とにかく学校側としては無難に収めたといった感じでした。

[206]
ななつぼし - 2008年05月30日 (金) 08時09分

もう少しお聞きしたいことがあります。

修学旅行後も学校は電話をかけてくれましたか?
それと担任をシャットアウトとはどのようなことですか?
校長に直訴の後は登校されてたのでしょうか?
クラスに戻られたのでしょうか?

しつこくすいません。
これからうちも校長に直に行こうと思ってるとこで
参考にしたいのです。

[208] こんばんは
ゆう - 2008年05月30日 (金) 21時42分

前回は深夜の書き込みで、わけのわからないタイトルでしたね(苦笑)
修学旅行後、担任は一度『何か心配なことはないか?』と電話してきただけでした。
息子が教室に入ることはありませんでした。私も『養護』といわれた息子の気持ちを考えると、もう行けとは言えませんでした。校長に話に言ったときはもう学校に行かないと決めていたので、受験にあたっても担任には二度と関わって欲しくないと伝えました。その後は教室に入ることはなく、相談室に夜受験のための小論文や面接の練習に行ってました。

[215] 大きな課題
サンタ - 2008年06月08日 (日) 19時09分

 ゆうさんとななつぼしさんが書いてくださったのを読みながら、ああ、やっぱり大きな問題なのだと、改めて思いました。

 これって「特別支援教育」導入の一つの目的なんですが、それがやはりうまくいかない現状があります。

 その大きな問題とは、「学年、学校を越えた支援の継続性」というものです。

 自分自身が子どもだった頃から、担任の影響って大きいと感じていました。また学校が変わると、全て1からのスタートにリセットされるのだと感じていました。

 このシステムって、発達障碍の子はもちろん、子どもにとって大きなストレスでありリスクであると思います。
 だからそこをつなげるために「個別の教育支援計画」の作成を柱として、支援の継続を「特別支援教育」の柱としたのですが、それがやっぱり難しくていろいろな問題を相変わらず起こしているのだと思います。

 子どもの成長が何よりも重要であるというのに、教員が妙なプライドをぶら下げて、勝手な判断を振りかざし、教員にとって過ごしやすい学校を作り上げているような感じがして哀しいです。
 私はこういう仕事をしていますので、少しずつ変化の兆しが見られたと思っていましたが、やはりこれまでの土壌があるわけで、やはり難しいところがあるんです。

 校長先生に直談判ということですが、私もこれはどんどんやってくださっていいと思います。
 賛否両論がありますが、校長のリーダーシップ、権限は強くする方向にあります。なので、校長に頑張ってもらって、そうした子どもの支援の一貫性を持ってもらう、これが一番の早道かもしれません。

 現在、まさに過渡期にあります。本当に申し訳ないですが、ここはどんどん声をあげて頂き、より良い支援を引き出して頂ければと願います。
 もちろん私もこれからも戦っていきたいと思っています。

[220] ありがとうございます
ゆう - 2008年06月11日 (水) 22時03分

サンタ先生のような先生ばかりだと、よかったんですけどね・・・。『教師の技はいくらでもある』と校長が言っていた事を思い出しました・・・。そうではなくて人間としての深さや関わりが欲しかった。最終的にはこちらの意向など無視され、一人だけの卒業式が執り行なわれました。半ば強引に・・、壇上に上がる息子を見ながら学校という所への怒りの涙があふれてとまらない私をみた校長は自分に酔いしれ何度もうなづいていました・・・。結局はきれいに形作られて終わりました。



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