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[92] はじめまして。質問ですが
たくママ - 2007年10月10日 (水) 20時17分

はじめまして。
いつもとても参考になる内容で楽しみにしています。

質問なのですが…
ネットで見かけたのですが、
LDについての文部科学省による判断基準についての内容で、

【全般的な知的発達の遅れがない……(中略)
知的障害との境界付近の値を示すとともに,聞く,話す,読む,書く,計算する又は推論するの
いずれかの学習の基礎的能力に特に著しい困難を示す場合は、
その知的発達の遅れの程度や社会的適応性を考慮し,
知的障害としての教育的対応が適当か,学習障害としての教育的対応が適当か判断する。】

とあったのですが、

この中の、知的境界付近の場合に、LDとして対応するのでなく、
【知的障害としての教育的対応が適当】
と判断するのは、具体的にはどのような場合・状態でしょうか??

また、「知的障害としての教育的対応」とはどのようなもので、「学習障害としての教育的対応」とどのような違いをいうのでしょうか?

息子は広汎性発達障碍、知的には境界域です。
現在は普通級ですが、できることとできないことの差が激しく、いつもどう対応してあげることが、よりベターなのかと悩みます…。
今は付きっきりで勉強をフォローしてますが、
積んでも積んでも積みあがらない、
あっという間に忘れてしまう。
それでもこの子なりの進歩もあり、頑張っているのですが…。

よろしくおねがい致します。

[94] 「学習障害への教育的対応」と「知的障害への教育的対応」
サンタ - 2007年10月13日 (土) 15時37分

 たくママさん、書き込みをありがとうございます。
文部科学省のHPにあった内容で、「知的障害としての教育的対応」と「学習障害としての教育的対応」の違いについてのご質問ですが、私なりに回答に挑戦しますね。
とはいえ、文部科学省の方々が考えているのと違う可能性もありますから、個人の意見として受け止めてください。

 学習障害については、様々なところで定義付けされていますが、基本的には「知的発達の遅れがないけれど、読む、書く、計算する、推論する、など、特定の学習について著しい困難がある」ことだと言えます。
 一方、知的発達の遅れは、全般的なものです。しかし、そうした全般的な遅れがある中にも、子どもによっては発達の歪みがあって、得手不得手の差が大きい場合もあります。
 知的発達の遅れが重いのであれば、学習障害との違いは歴然なのですが、知的発達の遅れが軽度で、いわゆる「境界線」の子たちにとっては、学習障害か知的発達の遅れなのかは、すごく微妙です。
 「境界線」の子たちにも当然、得手不得手がありますので、「学習障害」と判断し、「学習障害としての教育的対応」が効果的な子もいます。
 逆に「学習障害」のこの中でも知的に「境界線」の子たちの中には、1つの分野の苦手のみに対応した教育配慮よりも、全体的な知的発達の遅れに配慮する「知的障害としての教育配慮」が効果的と思われる場合があるということです。

 さて「学習障害としての教育的対応」ですが、この場合は、その子の不得意分野に限定しての対応が主になると考えられます。
 読むこと、書くこと、計算すること、など、その子の苦手な分野に限定して、丁寧な支援をつなげます。
 逆に言うならば、そうした特定の分野以外は通常の教育と同じようにします。ただし、特定の分野といえども、例えば「書くこと」「読むこと」などは、学習全体に影響がありますので、学習全体への配慮は当然、必要になります。
 一方、「知的障害としての教育配慮」は、その子の学習活動全体に及びます。例えば、一つの教科だけでなく、全てを下学年適用(1年か、2年下の学習を行う)するのもそうですし、教科の枠を払って、生活の場に生きる学習の方法を取り入れます。(生活の場に生きる学習……算数の授業として計算をさせるのではなく、買い物学習と関連させて、計算練習をする。単に漢字を教えるのではなく、自分の名前、住所など、生活に使う漢字から教えていく、など)
 知的発達の遅れがある子の特徴として、抽象的な学習が難しく、むしろ生活の場面で行かせるように具体的に学習した方が良いということがありますので、「知的障害としての教育配慮」は、教育課程全体に及ぶことが多くなります。

 本当に簡単で申し訳ないですが、概略はこんなところで理解頂けるのではないかと考えました。わからないことがありましたら、さらに質問してください。また、上のことは私の個人的な認識で書いていますので、そのことを御理解下さいね。

[95] 私の勝手な考えですが・・・
サンタ - 2007年10月13日 (土) 15時57分

 たくママさんのお子さんについてのことなんですが、僭越ながら私なりに考えたことを書きますね。

 広汎性発達障害で、知的には境界域。できることとできないことの差が激しい、なかなか積み上がらない、とのこと。

 想像するに、まだ小学校低学年でしょうか??

 できることとできないことの差が激しいのは、学習障害的だと言えますね。それから広汎性発達障害の子たちは、元々、認知面での得手不得手がはっきりしていまして、学習障害を併せ持つ確率は50%以上と言われていますので、その点からも学習障害的な部分があると言えるのかもしれないです。

 今の御様子だと、たくママさんが一生懸命、お子さんの勉強を見ていてくださっているようですが、何か、専門家からのアドバイスはいただいているでしょうか?

 万能ではないですが、WISCVやK-ABC等の検査をすることで、具体的にどのような部分が苦手で、どのような部分が得意なのか、わかってきます。そして、その上でどのような支援が必要なのかも明らかになります。もしかしたら、ある一定の分野については、目標をぐっと下げなければならないかもしれないですが、無理をさせるよりずっと良いのではないかと思います。

 知的に境界域とのことですが、ということは、いわゆる平均の発達から考えて、8割くらいできていれば、それが御本人にとっての100%頑張った成果であると考えてやることがいいですね。
 怖いのは、「ボクってだめ」と本人が自信をなくすことです。「ボクはボクなりに頑張っている」「少しずつ良くなっている」と親子で実感していくことが、将来につながります。

 たくママさんが書いてくださっているように、「この子なりの進歩があって、頑張っている」のは事実でしょう。それをママさんが認めてあげられるのが一番いいと思います。それこそが、早期発見、早期支援の最も重要な部分だと思っています。

 本人にとって不得意なところは、学習が積み上がりにくいし、やるのも大変だし、で、なかなか結果が出ないので、親子でがっくりしてしまうことがよくあります。
 なので、こうした部分は、専門家のアドバイスをもらいつつ、できることをゆっくりやるのが一番です。

 逆に、本人が大好きで、やりたがる学習、本人なりに積み上がって成功体験が味わえるところを、親子で取り組むのがいいんじゃないかと思います。

 「がんばった」「やった!」「ほめてもらえた」「ほめてあげられた」という体験は、親子でニコニコできますよね。我が子の良さを再確認して、意欲を育てて欲しいと思います。

 本当に勝手な考えですが、少しでも参考になればと思い、書き込みました。失礼しました。

[97]
たくママ - 2007年10月14日 (日) 00時36分

お忙しい中、丁寧なお返事をいただきありがとうございます。

>いわゆる「境界線」の子たちにとっては、学習障害か知的発達の遅れなのかは、すごく微妙です。

そうなんです…。息子は特に「聞く、話す、書く」ことに困難があって、学年があがるにつれて、全般的な遅れに繋がる可能性が、おそらく高くなるのではないか、と感じています…。
現時点(小3)ではギリギリついていけるけれど、どこまで頑張らせていいものか…と絶えず頭をよぎります。

個性と障碍の中間のような、微妙な違和感を感じ、丁寧な子育てをしなければいけない子だという確信がありながらも、診断を決心した時にはすでに、学校へ行きしぶり、ボロボロな自尊感情を抱えた息子がいました…。

今は学校にも診断名を伝え、配慮いただくようになり、息子への要求のハードルを、親である私たちが低くしていったこともあり、だんだんと安定してきています。
小さいのに、辛い思いをさせてしまったと後悔ばかりですが…。

実は相談機関などで「将来の自立を視野に入れて」「学校自体を見直してみたら(特別支援学級がない学校なのでそういわれたのだと思います)」と言われたこともあり、「知的障害としての教育的対応が適当」というスタンスから、おそらく言われていることも頭では理解できるのですが…。
なかなか納得できずにいます。

親のエゴと言われても、どうしても、どうしても、あきらめきれずにいます。
算数など、学年相応についていける能力があるだけに、学習障害じゃないの??とこだわってしまう自分がいます…。

>今の御様子だと、たくママさんが一生懸命、お子さんの勉強を見ていてくださっているようですが、何か、専門家からのアドバイスはいただいているでしょうか?

WISCVはうけていますが、K-ABC等のバッテリーテストは受けていません。医療機関でうけたのですが、IQや群指数、下位検査の評価点などの数字ははっきりと結果をいただきましたが、個別の指導案につながるような綿密な指針はいただけませんでした。なので自分でWISCVの読み取りについての勉強をセミナーや大量の本などでしました。それを元に、実際の息子の困っている部分をまとめて、サポートブックは独自で作り、学校にお渡ししたりもしました。

通級申し込み、個別取り出し授業のお願いなどもしましたが、断られたり、枠がいっぱいで今年度は入れなかったり、
たくさん、たくさんSOSを伝えてきたのですが…
専門的教育支援は何もうけることができていません。
民間の専門家へ通うことも検討しましたが、経済的に無理でした。

現在、苦手な部分の学習(国語)については、1学年下げて、家庭で少しずつやっています。特に漢字は、学年相応に読めるけれど、まったく書けない、再現できないのです。フラッシュカードにしてみたり、なぞり書きプリントを作ったり、色分け漢字カードで覚えさせたり、漢字カルタで遊んでみたり…色々試していますが…なかなか難しいです。
だんだんと、
しんどいな…
もう諦めちゃおうかな…
そうすればこの子も楽なのかな…
そんな風に思ったりもするのですが、
やっぱり諦めきれないのです。

愚痴になってしまいすみません。

>「がんばった」「やった!」「ほめてもらえた」「ほめてあげられた」という体験は、親子でニコニコできますよね。我が子の良さを再確認して、意欲を育てて欲しいと思います。

そうですよね!
息子は料理や洗濯のお手伝いがとても上手なので、そういうことをたくさんして、家庭で楽しく生活していきます。

よし!!
まだまだ!
がんばれるぞ!!

[98] あきらめるんじゃない選択
サンタ - 2007年10月15日 (月) 21時06分

 たくママさん、書き込みをありがとうございました。
 ゆっくり読ませて頂きました。

>息子は特に「聞く、話す、書く」ことに困難があって、学年があがるにつれて、全般的な遅れに繋がる可能性が、おそらく高くなるのではないか、と感じています…。現時点(小3)ではギリギリついていけるけれど、どこまで頑張らせていいものか…と絶えず頭をよぎります。

 この部分からも、それからその後の部分からも、たくママさんって、本当に息子さんのこと、ご自分のことを客観的にとらえていらっしゃるんだと頭が下がりました。
 知的発達の遅れ、とまではいかなくても、境界域の場合、確かに学年があがってくるとついていくのが難しくなっていくんです。このことは、そのうちまとめてブログの記事にしたいと思っていますが、知能というものは、発達を促すエンジンみたいなもので、知的な遅れがあると、発達が遅かったり限界が早く来たりするんです。そこをどうやって客観的に捉えるかが、苦しいですけど、重要だと思います。

 後半部分に、「あきらめちゃおうか」という独白がありましたが、それって「あきらめ」じゃありません。
 新しい選択、という風に捉えて欲しいです。

 だって、そうじゃないですか。
 通常発達だと思っている私たちだって、どこかで自分の夢を現実的に捉え直してきたものです。
 ほら、「サッカー選手」になりたいと言っていた子どもが、どこかで「体育の先生」みたいにもう少し現実的で身近なものに変えていきますよね?

 このことって、それと同じです。
 国語や漢字の勉強の末にどのような未来があるのかわかりませんが、それが難しいのであれば、もっと現実的で身近な選択をして、新たな一歩を踏み出すのは、とても勇気がいることで、しかも素晴らしいことではないかと思います。

 いつも書いたり言ったりしているんですが、「子どもが子どもでいてくれるのは、本当に短くて貴重な時間」ですから、その時間をどのように使うのがよいのか、是非、ご夫婦、親子、家族で考えてみて欲しいと思います。

 どんな選択もありです。
 国語、漢字を頑張るのも、そうではない方向を取るのも、もっと別の考えを取り入れるのも、全くの自由です。
 あと私としては、そうした選択を親子で納得することと、親子の時間を楽しむことに是非、重きをおいて欲しいと思っています。

 たくママさん、頑張りすぎない程度のに頑張ってください。応援してますよ〜〜!
 

[102] ☆特別じゃない特別支援☆
たくママ - 2007年10月18日 (木) 15時36分

心のこもった、暖かいお言葉ありがとうございます。

>どんな選択もありです。…全くの自由です。

思わず、そうか〜そうだよな〜なぁんて
そうしたら、なんだか心が軽くなりました(^^)


ここの地方は、固定の支援級は、知的障碍級しかありません。
あとは情緒と言葉の通級教室があります。
息子の学校には、どの学級も設置されていません。

他校の固定級はどちらかと言えば、障碍の重い子が多く、通っている保護者の方にご相談すると、みなさんから
「○○君が通うの??ちょっと違うんじゃない?何で??」
と言われ…。
けれど実際には普通級でもはみ出してしまう…。
この子にあった居場所が見つからないのです。
そして現実に、
校内にフラフラと居場所探しをしている子どもたちは、
息子だけではなく、実は何人もいる。

基本は普通級に在籍して、その子によって難しい時間は支援級へ。
それが国語の子、音楽の子、また季節によって難しさが違う子、それぞれなのだから、困り感にあった支援を受け、
伸ばせる部分は普通級で交流しながら勉強できる、
そんな支援級があったらいいのになぁといつも思います。

「普通」か「そうじゃない」か、ではなくて、
「違うこと」それが当たり前で、
色々な学び方があっていいんだと知り、
本人も、周りの子どもたちも、
「違う学びかた」を受け入れる心を
小学校のうちから育んで欲しいなぁと思うのです。

でもそんな風に思うのは、私自身の心の根底にこそ、
「障碍」と認めたくない
「普通」にこだわっている
そんな差別意識があるような気がして
自分が許せなかったりもします…。

一番困っているのは、苦しいのは
子どもなんですよね。

[103] 〜ゼロトレランス〜
たくママ - 2007年10月20日 (土) 01時56分

連載していましたゼロトレランスのお話を読んで、以前読んだ、

「あたりまえだけど、とても大切なこと」
著者:ロン・クラーク  訳:亀井よし子

という本の内容を思い出しました。
ご存知かもしれませんが、教室で守る、ごくごく当たり前なことと言えば、当たり前のことを「50のルール」(ほんとは55らしいですが)として明確にして、子どもたちに、具体的でわかりやすく提示し、教師の情熱と子どもへの愛情、相互の信頼感を根底にして、きっちりと守らせることで、子どもたちは変わっていくという内容です。

基本的には校則のようなルールではないので、なんとなく違う気がしますが、「明確なルールの提示」と、それを「厳格に守らせる」という方法は、同じなのかなと思いました。

『ルール8
人に何かをもらった時は、必ず「ありがとう」と言おう。君たちが私から何かを受け取り、3秒以内に「ありがとう」と言わない時には、私はその何かを取り返す。感謝の気持ちを見せないことに言い訳は許されない』
『ルール39
全員で廊下を歩く時には一列で、前の人の五、六十センチから一メートルほど後ろ、両手を体の脇につけて歩こう。まっすぐに前を向いて歩くこと。絶対におしゃべりをしてはいけない。』

などのルールがあるけれど、そんな中にも

『ルール10
思いがけないときに人に親切にして、その人をびっくりさせてみよう。少なくともひと月に一度はだれかに驚くほど親切でやさしいことをしよう』
『ルール48
どんな事情があろうと、いつも正直でいよう。たとえ悪いことをした時でも私には正直に打ち明けるのがいちばんだ。なぜならわたしはきみたちの正直さを尊重するし、正直さに関心するあまりお仕置きを忘れることが多いから。』

なんていうルールまでありました(^^)

「廊下は静かに歩きましょう」なんてよりもずっとずっとわかりやすいですよね。
息子なんかには、この「3秒」とか、列の間隔は「5、60センチから1メートルほど」なんて表現は、もう最高に好きだろうし、わかりやすいから、ストンと落ちる、絶妙〜な部分ですね。

発達障碍をもつ子どもにとって、集団の中で行動するのは、とても大変で難しいことで、しかもこの子たちは、世の中には様々な当たり前のルールがあることすら気づかなかったり、普通はなんとなく経験から習得できるルールが身に付きにくかったり…。改めて、何度も教えなければわかっていないことが多いですよね。けれどこんな風に「当たり前」の枠をきちっと決め、教えられれば、同じようにできることが増えるのではないかなと思いました。

[104] 〜質問〜
たくママ - 2007年10月22日 (月) 00時11分

ゼロトレランスについて

>発達障碍の子にはセイフティネットを設け、
>ゼロトレランスの校則とは離れたところで、個別の支援を行う

とありました。
質問なのですが…。

発達障碍のある子が、
どうしてもカームダウンしてからでないと、
教室へ向かえないなどの、困難があり、
校則に決められた指定時間には
教室にはいることができない子がいたとします。

それは許されないことになるのでしょうか??

また、個別支援として、許されたとしても、
他の子どもたちは非常に厳格に、指定時刻の規則を守っている…
そんな中で、遅れてくるその子に対して、
周りの子が受容できない空気になることはないのでしょうか?

またゼロトレランスの校則がなされている中で
そのような個別の支援を受けることによって、
さらに周りから浮いてしまったりはしないのでしょうか?

またその行為について「なぜ○○だけ許されるのか?」
と聞かれたとき
どのようにクラスの子どもたちに話すのでしょうか?

なんだか色々考えてしまいました…。
でも、よく考えるとこれって…
先生の対応次第では、どんな教室でもおこりますよね…

[105] 集団の中での個別支援
サンタ - 2007年10月22日 (月) 08時07分

 たくママさん、ご質問をありがとうございました。
 すごーく鋭い、良い質問です。

 実は、現場がこういうたくママさんが言うようなことで、混乱しています。
 集団の規範意識を高めるにはゼロトレランスが必要なんですが、一方で個別支援が必要な子どももいます。
 特別扱いをして欲しい子どもはたくさんいますし、逆に特別扱いされて傷つく子どももいる、そういう問題です。

 しかし、子どもたち一人一人のことを考えると、ゼロトレランスも必要ですし、個別の支援も必要です。両立させなければなりません。

 そのための第一としては、「一人一人が違っていて良いのだ」「目標が子どもによって違うことがあるのだ。違うことについて、文句を言ってはいけないのだ」という意識を育てなければなりません。
 この意識、子どもだけでなく、教員、保護者など、大人にこそ必要です。
 実は、教員の中でも、頑なに「みんな一緒」にこだわる方がいますが、この気持ちは子どもにうつります。とても危険です。
 そうした場合、私は、「算数で段階別指導をしますよね? あれと同じです」と説明します。
 その子の実態と目標を丁寧に説明して理解して頂きます。
 そして、その先生が子どもと保護者に自信を持って説明できるようにバックアップします。

 さて、教室内のことですが、教員がちゃんと個別支援とゼロトレランスの重要性とバランスを納得していれば大丈夫です。

 子どもは敏感です。
 対象となっている子が、確かに何らかの困難性を持っていることをちゃんと理解しています。
 その子の困難性について、単に受け入れたり甘やかしたりしているのではなく、その子なりの目標設定がされていて、その子なりのギリギリの線で頑張っているのが見えれば、他の子たちは黙ります。(この個別の支援には、いわゆる『頑張り表』など、子どもに見える支援ツールがあったり、『個別の教育支援計画』で保護者と連携できていたりするとより説得力が増します)

 うらやましい、という子どもがいるのならば、その子に「個別の支援が本当に必要なのか」を問い掛けます。必要ならば、淡々とその個別の支援をやってやればいいわけで、だいたいの場合、「うらやましい」の言葉の裏側には、先生達の支援の意味がよくわからない、という疑問があるのではないかと思うのです。
 先生がきっぱりと、しかし誠意を持って、ゼロトレランスが全員の子どもの規範意識を高め、社会に出て行くために必要であることと、一方で個別の支援が必要な子どもがいることを説明するならば、子どもは「自分の先生は、みんなのことをちゃんと考えてくれるんだ」と納得します。

 ということで、この辺は確かに教員の側の理解、指導力に掛かってくるのは事実ですね。でも、こういうところこそ、頑張りどころということで、私も一生懸命、巡回相談などで先生方を支えたり具体的方法を提案させて頂いたりしているところです。

 ところで、たくママさんが紹介して下さった本ですが、私は読んだことないですけど、パラパラッと見た記憶があります。
 何だか、面白そうだし、役に立ちそうですよね!
 この掲示板、どのくらいの方が見てくださっているのか、ちょっとよくわからないので、その本のこと、それから質問のこと、ブログの方で紹介させてください。
 よろしくお願いします。

[106]
たくママ - 2007年10月22日 (月) 14時22分

さっそくのお返事ありがとうございます。

>一人一人が違っていて良いのだ
>この意識、子どもだけでなく、教員、保護者など、
>大人にこそ必要です。

本当に、そういう意識を育んでいけたらいいですよね。
でもこれって、頭では理解できていても、なかなか難しいから、きっと混乱してしまうのですよね。

「みんな一緒です」という言葉。
発達障碍を持つ子の親には、とってもとっても辛い言葉です。
私がお願いしていることって、ただのわがままなの?
じゃあ、みんな一緒なら、なぜ息子は診断されているの…?
なあんてひがみっぽく^^;思ってしまいます…。

>「うらやましい」の言葉の裏側には、
>先生達の支援の意味がよくわからない、
>という疑問があるのではないかと思うのです。

実は
どうしてもカームダウンしてからでないと、教室へ向かえない子は息子です。
今まさに、どうやって皆に説明していけばいいのか?
を問われています…。

「先生の対応を見て周りの子は理解していくと思うのです。
あえて説明されると、なんだか壁ができてしまいそうで…。
どうしていいか私もわかりません…」

先生に聞かれてそう答えてしまいました…。
それからず〜っと考えてばかりいました。

>自分の先生は、みんなのことをちゃんと考えてくれるんだ

サンタ先生からのこの言葉で
こういう意識をクラスの子どもたちが持っていることが
大事だということがわかりました。
一緒に悩んで、一緒に考えてくださる先生です。
私も先生を少しでも助けていければいいなぁと思っています。

>本のこと、質問のこと、ブログの方で紹介させてください。

迷って悩んでばかりなのではずかしいですが、
こんな質問でもお役にたつならばどうぞ(^^)

[107] 本の紹介のところ、転載させて頂きました!
サンタ - 2007年10月24日 (水) 06時57分

 たくママさんへ

 まずはお礼ですが、本の紹介の部分、ブログ記事の方に転載させて頂きました。
 はじめは、少しだけたくママさんの文章をお借りし、あとは自分で、と思ったのですが、ママさんの書いてくださったことが、本当に分かりやすくて、当事者の保護者ならではの感性、理解でとても良かったのでカットすることが難しく、結局、そのまま転載させて頂く形になってしまいました。
 御了解頂けると思いますが、本当にありがとうございました。

 それから、お子さんの件・・・。
 「個別の支援」と「集団指導」のバランスで悩む先生、我が子と集団の相互作用を心配する保護者、というのは、実のところ、私も現場で遭遇することの多い悩みです。
 たくママさんのお子さんの担任は、「一緒に悩んで一緒に考えて」くださる先生とのこと。
 そこが何よりも良かったです。
 あとは先生の側の指導技術の問題ですね。
 ちょっとした工夫で、集団の規範意識が高まったり、個を支えることができたりするものです。
 私もできる限りそういう情報をブログで提供したいと思っていますが、その担任の先生には、是非、力を抜いて、大きな視野を持って、頑張っていただけるといいなあと思いました。

 たくママさん、こっちの「個別」と「集団」のバランスの方も、ネタにさせていただきます。
 本当にありがとうございました。



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