No.944 親孝考について 投稿者:N (旧)松本 投稿日:2011年10月15日 (土) 13時41分 [ 返信] |
今、ひょんな流れで私の手元に「親孝考」があります。(買わなくてごめんなさい。でも書店では見つけられなかったのです。)著者の村田君とは同期生ですが、面識が無いので(たぶん)このホームページで知った程度ですが、まさに高知の老人医療の真っただ中にいてとても興味深く読ませていただきました。本の中に出てきたリハビリという言葉の意味をみんなにも考えてもらいたくて初メールしてみました。親に元気で長生きしてもらいたいとはみんな思うところですが、リハビリって何を目的にどこまでやりますか?
|
No.945 投稿者:津野@N 投稿日:2011年10月15日 (土) 22時08分 |
ごぶさたです
リハビリの目的は?どこまで?・・うーん、本人の誇りとか楽しみとか家族の負担減とか 自主トレ出来るかとかリハに携わった人が安心できる状況かとか・・色々思い浮ぶけど 本職の衣代さんはどう考えてるのかな?
中2か3のころ、衣代さんのことを「ビッケそっくり!}と喜んでいました。小泉君と 僕の二人だけですが。アニメの「小さな海賊ビッケ」です。賢くてかわいいよ
|
|
No.946 ありがとうごぜえますだ2。 投稿者:T村田 投稿日:2011年10月16日 (日) 23時22分 |
松本さん、拙著(ひょんな流れで?)読んでいただきありがとうございます。 リハビリについてはこの本では脳梗塞や在宅に帰る目的のみを想定した書き方になり、不適切と思われるようであれば、それはすべてわたしの経験と表現力と髪の毛の少なさのせいです。どうぞ修正してください。 ちなみにあとがきに出てくる「この世に生まれてくることが簡単じゃないように、この世を去るのも簡単じゃないんだよ」と言った先輩はリハビリ病院の院長をされているかたです。
|
|
No.947 投稿者:安藤@H 投稿日:2011年10月17日 (月) 01時18分 |
現役のお医者さんの中に、素人の私が出てくるのもお恥ずかしいですが、なんとなく感じたことを。
松本さんの質問の意図には、「延命治療は、何を目的にどこまでやるのか」という意味に近いものを感じました。
延命治療は、何を目的にと問われると、少しでも命を永らえて回復の可能性を追求するためとか言えるかも知れません。 しかし、安楽死を望む人や、極度の苦痛から逃れたい人は、状況によっては確かに存在して、延命治療を望まないこともあるのではないでしょうか。 そのような領域では、「何を目的にどこまで」延命治療をやるのか、大問題ですよね。
かように、医療の目的と、患者の希望とが、ちょうど相反する領域には、一言で割り切れない問題が存在するような気がします。 リハビリにも同じ問題が存在するということを仰りたいのでは?
まだ若く、当然余命が十分ある人には、何らかのダメージを受ける以前の健全な状態に復帰させるのを目的に、あきらめずに、十分な時間をかけてでも取り組むと思います。 なぜなら、時間をかければ、復帰できる可能性が高いからです。
しかし、高年齢の場合、機能回復するためといえば、聞こえはいいですが、リハビリ自体に、何らかの限界がありはしないでしょうか。
恐らく、医師は、リハビリをするに当たって、患者さんには、「その目的と、どこまでやるのか」という、コンセンサスを得てから取り組むのかと思います。 そのコンセンサスを患者さんとどのように向き合って決めてゆくのか、難しい問題だということは想像ができます。
でも素人の私には、荷が重いので、問題意識としては、やがて来るそういう事態に、皆さんの意見を参考に備えたいと思います。
しゃしゃり出てきて失礼いたしました。
|
|
No.948 投稿者:N (旧)松本 投稿日:2011年10月17日 (月) 12時51分 |
ひょんな流れでというのはおそらく村田君のお母さま(?)が直接持ってきてくださったからに他ならないのですが、P149からうちの病院のことが少し出ているのでわざわざお持ちいただいたのだと思います。良く書いていただいてありがとうございます。 できれば近森病院の別館ではなく近森リハビリテーション病院と実名を入れて欲しかったです。(ただで宣伝するため(笑))
最初の投げかけには深い意味があるようなないようなですが、頑張ってリハビリした挙句、家に帰れないお年寄りのリハビリの目的って何?と思うことが多いので、お年寄りは家族に迷惑をかけないように頑張っているけど自分の立場に置き換えると目標(自宅復帰とか)のない努力はできないなと思ってるんです。
|
|
No.949 ええええ〜(驚)! 投稿者:T村田 投稿日:2011年10月19日 (水) 21時17分 |
ええええ〜!驚きです。 近森リハビリテーション病院での、おばあちゃんの主治医は和田先生でした。たしかに母は「和田先生にはこの本届けなければ」と言っていました。 松本さんの問いかけ、内科で言うと「高齢者をどこまで治療するのか」「口から食べられなくなった時どうするか」と同じで、簡単に答えは出ないですね。最終章「老いの意味」に書いたとおりです。石元君(わたしの父の最期を看てくれました)が今、高齢者医療の最前線にいると思うのですが、最終章読んでくれただろうか。
|
|
No.951 投稿者:安藤@H 投稿日:2011年10月21日 (金) 00時52分 |
・仮定 あなたは、高齢者である リハビリが必要な、何らかの医学的状況に陥った
・制約条件 リハビリが終わっても、帰宅できない何らかの理由が存在する
・設問 あなたは、リハビリの努力をするか?
・答えの例 松本さんは、「自分がその立場だと、目標(自宅復帰とか)のない努力はできない」
という理解でよろしいでしょうか?
・私の考え もしこの設定に誤解がないなら、僕だったら、リハビリ自体を目標にしそう。 「とにかく、元に戻すんだ!話はそれからだ」みたいな、という努力をするかな。
|
|
No.952 そろそろでようかな 投稿者:濱松 投稿日:2011年10月21日 (金) 23時36分 |
最初の問いかけに対してどうしようかなと思っていたところ、皆がそれぞれ書き込んでますね。 安藤君、これには素人云々は関係ないと思うよ。率直に意見言えば一番良いと思うし。
最初に自分も考えた。これは医療従事者として答えるか、それとも1家族として答えるか。村田君の著書にもあるように。
同じリハと行っても循環器領域、ことに心臓系と脳循環系の場合とは目標設定、目的が違って来る。
神経系の変性疾患となればまたしかり、色々な手術後に対するものそうであるし、年齢、性によっても違うだろう。それをつらつら考えながら、今になってしまった。
学生時代の耳鼻咽喉科の教授からの問いかけ、君が上顎洞がんで手術を受けなければならない状況になった、顔の半分を失ってしまう可能性が大、しかし受けなければ間違いなく助からない、受ければ助かる確率が上がるとなった場合どうするかと言うものを思い出した。
たぶん私は安藤君と同じ行動をとるだろう。とにかく一歩踏み出す、出来ることを増やして、またそれから次のことを考えると言う行動をとるだろうな。
勤務している監察医務院の隣の大塚病院には、尊敬する多田富雄先生が脳血管障害後のリハビリにおいでていたけれども、国の方針で一時期そのリハ期間の制限が出来ると言うことで、物議を醸したことがあったけれど、彼の最期の生き様見てもたぶん同じような行動を自分はとるだろうな。
答えにはならんかもしれんけれど、こういったところかな。
今、病院に行けなくなった状態の人たちを見ることがしばしば、介護認定を受けるための受診すら出来ない人、どうしたらそのようなサービスを受けられるか、知るすべもない人、終末期でありながら、台病緒院から切り捨てられた人、近所に紹介しようともしない(考えない)大病院の状態など見ていると、どっかで物を書きたくなると思うこともしばしば。筆無精なので、なかなか進まない、思い切れない、自分、気力が少し落ちてきている自分を感じながら、鬱々としてます。 とっかかりに老年医学会の看取りの医療分野ででもちょっとまとめて発表してみるか。
|
|
No.956 投稿者:O 岩松 投稿日:2011年10月22日 (土) 01時24分 |
松本さん、お久しぶりです。 メッセージを読んでから、いろいろ考えていました。
私はもう28年、脳血管障害のリハビリテーションに理学療法士として携わってきました。今も、回復期のリハビリテーションと在宅リハビリテーションの渦中に居ます。 濱松君の尊敬される多田富雄先生は、本当に素晴らしい方でした。リハビリテーション訓練期間の撤廃や延長についての署名活動やマスコミへの働きかけなど、精力的にこなされていました。
リハビリテーションは、直訳すると「再び適した状態になること」です。 病院に入院していると誰でも「患者さん」になりますが、お家に帰ると、お父さんだったり、夫だったりします。また職場に戻ると部長さんだったり。その人の役割がありますよね。 病気によって後遺症は負ってしまったけれど、役割は忘れないでもらいたい。そう思っています。食卓を囲む時、お父さんの定位置、あるでしょう?そこに、座っているだけで存在感があるんです。 リハビリテーションの目的は、それぞれ違うと思います。 その人が、どう生きたいか、どういう風に生活していきたいか。 またご家族が、どう生活していきたいか、関わっていきたいか。 それは、訓練を進めていく上でも、退院し在宅生活を送るようになっても変化してくると思います。 それにはまだ、介護保険のサービスや公的な援助は不足しています。 国の制度を整えていくには、多田先生のように現場からの強い意見も必要ですし、医療職からの働きかけも重要です。
ご家族を介護し、一家族として痛感したことを、是非、病院や公的機関に伝えてください。 私も微力ながら、もう少しリハビリテーションの現場で頑張りますから。
|
|