No.809 冷し中華はじめました。 投稿者:T組西岡 投稿日:2011年03月27日 (日) 18時26分 [ 返信] |
22日の雨の夜、安藤といつもの渋谷の串揚げに行きました。
諸般のリスクを想定して、やや嫌がる安藤を説得し。 「僕の相場感は、アジアで50位以内には入るからと。」
よく日本人は自己主張しないとか、お人好しとか、 海外のメディアで喧伝されます。
先進国のみならず、BRICsを始めとする国々で、 過去400年の歴史の中で、日本が平和な期間を、 一番長く享受してきました。内乱・外乱問わず。
フランス革命や米独立戦争の時代は、 250年に渡る江戸の天下泰平の世の中でした。
近世に限らず、太古の昔より民族大移動とかもなく、 その日本が歩んできた歴史は、のどかな気質を育んできたのかなと。
ヨーロッパのある山村では、いまだに400年前に隣村に夜襲された歴史に 習ったリスク管理体制を引いている村さえあるそうです。 国は関係ない、守るべきは自分の家族と仲間だと。
今般の件で各メディアを通じて喧伝される「安全」・「問題ない」とは、 〝リスクとして発生する確率が低い〟と翻訳されると思います。
私が25年携わっていた業界での〝リスク〟という定義は、 「思い通りにならない確率」という意味を指し、 金銭欲で煮えたぎっている闇鍋を食している感覚です。 必ず誰かが損をするという現実を併せもっております。
ただその損失は、金銭に置き換える事が出来るので、 当事者が許容できるかどうかという水準の問題だけです。
今般の問題は、金銭に置き換える事が出来ないものが、 そのかなりを占めておりますので、 当事者が許容出来るかどうかという、 事象の定量的な部分のみならず、 当事者個々の人生観等、定性的な領域へ拡大してゆきます。
母乳を与える母親からすれば、あらゆるリスクを排除したいはずです。 あとは現実を受け入れる精神的なストレスとの兼合いの領域です。
確率として低い側の事象を真剣に研究・検討している人々も 世の中には沢山いたし、現在もいるとは思いますが、 その大部分が広く世に出ることのないまま、 途中で終わっているものがかなりあるのではと思います。
ソクラテスやガリレオでさえ、不遇だったのですから。
週末には、とある男とモツ鍋を食します。 ニラとごぼうを、別途大盛りにして。
冷し中華はじめましたhttp http://www.youtube.com/watch?v=Th0KF4Q0Z5U
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No.810 土佐酒蔵交遊録15 投稿者:安藤@H  投稿日:2011年03月27日 (日) 18時34分 |
<春は、のれそれ>
25日(金)に、東日本大震災発生後、初めて土佐酒蔵に行ってまいりました。 ちょうど、2週間前に震災が発生していたわけです。
いつもの店先に置いてある掲示板に、初鰹入荷とありました。 あれ?春(初鰹)と秋(戻鰹)に来る鰹入荷の案内状が、今回来てないなぁと思いつつ、店内に。
10人程度の宴会グループを除いて、私1人。 知り合いの飲兵衛が合流するまで、大将と話しました。
地震当日、大将は仕込みをしていたらしく、揺れ始めて、そのあまりの凄さに、直ぐ地上へ逃げたそうです。 (土佐酒蔵は地下一階)
すると、土佐酒蔵の入っているビルの上から、ガラスの破片が降り注ぎ、周りのビルも目に見えて揺れていたそうです。 店の被害や大将の怪我は、幸いなことに全く無かったそうです。
地下のせいか、壁に置いてあるお酒のボトルやグラスの類も、揺れの割には、全く落下しなかったそうです。 高層ビルの上階とは揺れの質が全く違うのでしょうね。 これも、長周期振動の効果でしょうか。(☞No.743)
そう言えば、英保君のFacetimeの写真に、倒壊した本棚の写真がありましたが、私の事務所と似たような状況ですね。 使ってるラックも同じだしw 恐らくCoolRack。
震災のあった晩は、交通機関が全てストップしたので、当然のことながら、大将も帰宅難民化。 土佐酒蔵の小上がりの畳の一角で寝たそうです。
予約の類も全てキャンセルとなったものの、最近落ち着きを取り戻しているとのこと。 大将曰く、商売を長くやってるとこんな事もあるよと、実に達観した感じでした。
初鰹入荷の案内が、来ていない旨を伝えると、今回は、震災もあり、発送を自粛したとのこと。 皆さん、営業支援のために、初鰹を食しに、是非土佐酒蔵へ!
さりげなく、旬の「のれそれ」がメニューに追加されてました。 季節だけは、確実に春です。
被災された方々にも、希望の春が来ますように。
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No.812 冷し中華はじめました。Ⅱ 投稿者:T組西岡 投稿日:2011年03月28日 (月) 03時01分 |
節電モードの夜の街角は、なんか好きです。 薄暗い感じが、ヨーロピアン・テイストっぽい感じで。
しか~し! ライブカメラで真夜中現在の六本木と上海を見比べると、 二十年前の人が見たら、上海の映像を日本と見間違うんじゃないだろうか。 (上海の映像は、すり替えられるリスクあるけど。)
浪費が新たなる需要を生み出すメガロポリスの消費構造が、 六本木のライブカメラの映像のように、暗く沈んで行こうとしている。
海外の機関投資家等は、日本人の国民気質や、 復興需要を期待している側面がかなりあるけれども、 (原発リスクを除けば) 夏の本格的な計画停電による東京の〝浪費力〟の衰退予兆を きちんと把握しているのだろうか。
昭和の終わりかけの頃に、前いた会社の当時の副社長が引率して、 営業成績優秀者連中を関電の美浜にある原発見学ツアーに連れて行き、 放熱利用の養殖ヒラメを食し、お酌を頂き、 意気に感じて関電の株を売り捌いた事がありました。 (トリプルメリット相場で、東電に大きく水をあけられていた背景。)
龍馬が脱藩してから、大きな仕事を成し遂げたように、 体制側にいると、知らずのうちに染まって行くのかもしれません。
そういえば、もんじゅの事故も解決の進展具合の報道さえないなぁ。
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