No.683 裏高尾ハイキング倶楽部1 投稿者:安藤@H  投稿日:2010年11月15日 (月) 19時17分 [ 返信] |
知命のダイエット作戦交友録2(☞No.423)でも書いたが、京王高尾山口から高尾山に登るコースが表高尾だとすれば、その反対の城山方面からの上るコースを裏高尾という。 今回その裏高尾から、ある男とは初めて、高尾山を目指す運びとなった。(☞No.679)
ある男は、某高級ブランドの黒いリュックの背に、さらに、弁当を入れたケースやら、小物のケースやら、ジャンパーやらをぶら下げ、腰回りをウェストポーチで固めた出で立ちだった。 すなわち、背中方向に、異常に装備が張り出した格好であった。
後々、この出で立ちがある事件を惹起するとも知らず...思い出しただけで、笑える (o^^o)
JR中央線高尾駅北口で、待ち合わせたのだが、小仏行きバスの時間まで少しあったので、わたしが待とうとすると、バブル謳歌組のある男が、タクろうと...
(゚ロ゚;)エェッ!?
小市民なわたしは、ちょっと抵抗があったのだが、時間を買おうと、ある男に説得され、タクシーで1700円程度の距離の小仏バス停へ。 そこから更に、舗装路を30分程度歩いて、登山口へ向かうのだ。
登山口からは、登山道を歩き、小仏峠を経由して、城山へと。 途中すれ違う登山客も、普段よりは多いかなぁと思っていたが、城山の茶屋に到着すると、そこはもともと広い休憩エリアを構えているのだが、いつもより沢山の人出だった。 みな、紅葉目当てで来ているのだろう。
ただ、肝心の紅葉は、多少色づいている個所もあったが、カエデなんかは、
緑->赤色->落葉 となるはずなのに、 緑->茶色->枯れ葉
と言う感じで、酷暑の影響を受けてか、紅葉というステップが無くなったかのような焼けた状態であった。
木作りのテーブル席がたくさんあるので、1席確保。 早速、氷水で冷やされた、瓶ビールを購入し、持参したThermosのタンブラーで、乾杯。 Thermosのタンブラーに冷たいビールを入れとくと、かなりの時間、温度が上がらず、冷たいまま飲めるのだ。 結局1人当り中瓶2本(1リットル)を飲んだことになる。
http://gallery.me.com/neumann77#100107
この時期は、おでんなんかも売っていたりして、山で食べるこの手のものは、たいそう美味く感じるのである。 どの登山客も、まったりとした一時を過ごしているようで、平和な雰囲気が漂っていた。 一方、ある男は、この峠の茶屋のビジネスモデルに興味が湧いた模様。 登山客も多いし、売り上げも相当なものであろうと、あれこれ現実的な事を話し始めた。 さすが、身に着いた性だなぁと。
ある男が、BBSで、「裏高尾ハイキング倶楽部(仮名)」の参加者を募ってみないかという話をしていたが、果たして、実際、参加してみようという人は居るのかなぁ。 希望される方は、手を挙げてください (^o^)ノ
さて、1時間ちょっとの大休止の後、酔いも覚めてきたところで、次は、下山後の飲み屋へ向かうわけです。 気圧が低いのが原因なのか、酔いが冷めるのが早い様な気がする。
一旦、紅葉台を経て、高尾山へ。 高尾山に着くと、もうそこは別世界で、人の海。 ただし、その日は、曇天だったのだが、空気が澄んでいたせいか、珍しく、冠雪した富士山が見えた。
ある男は、下りで膝の関節を痛めたようで、リフトを使って最後下山する事になったのだが、ここも人が大杉。 50分待ちということで、整理券まで配っていたが、そんなに待たされたと言う印象も無く、男2人でリフトにのって、京王高尾山口まで降りたのであった。
さて、立川まで行って飲もうという話になったのだが、ある男が、フグ鍋を食べたいと。
(゚ロ゚;)エェッ!?
小市民な私は、居酒屋程度で、よく行っている場所を想定していたのだが...
立川駅の南口から、携帯ナビを頼りに店を探すも、今一良く分からない。 二手に分かれて探したが、わたしは見つけられず、ある男が探してそうな場所に戻ると、な、なんと!!!
(◎Д◎:)
この顛末は↓
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No.684 警察に所持品検査を受けた私。 投稿者:T組西岡 投稿日:2010年11月15日 (月) 21時08分 |
そう、それは各々の携帯のGPSを頼りに、安藤と二手に分かれた後の事。。
携帯からふと目を上げると、パトカーがすーっと寄ってくるではないか。
【私の心の叫び】 )゜O゜( おぉ、ここは動かない方がいいかな。 APEC会場からは、離れすぎてるぞ〜い!
パトカーが私の横でピタっと止まり、助手席から警官が降りてきた。 警官 「すいません、競輪の帰りですか?」 【私の心の叫び】 )゜O゜( 競輪、競艇、オートレースはした事ないけど、何か? 私「城山、いや高尾山の帰りです。」 【私の心の叫び】 )゜O゜( 職業聞かれたら、どうしよう。無職とか答えると、余計に怪しまれるかなぁ。 自営業と答えるかね。
警官 「荷物、多いですね。中を見せて貰っていいですか。」 【私の心の叫び】 )゜O゜( 確かに背中のプラダのリュックだけが、浮いてるかもしれんが、 盗品ではないぞ〜い!
リュックの中を一通り見た後、今度は私の腹回りに、 まわしのように巻きついているポーチへ関心が! 警官 「そのポーチの中で角ばっているのは、何ですか?」 【私の心の叫び】 )゜O゜( Z会の英単語帳と答えたら、秘密結社と間違えられそうなネーミングだぁああ。 私「英語の本です。開けて頂いて結構です。」
警官は疑問の表情を浮かべつつ、本をパラパラめくりながら、 今度は、ポーチの裏側にあるファスナーの外側ポケットを差して、 警官 「この内側から尖がっているものはなんですか。」 私「そ、そ、それは。。」 警官 「開けて下さい。」
警官が疑惑を感じていた、ポケットの内側で尖っていたものとは!
この夏に、帯屋町の100円ショップで購入した、 “スライド型に伸縮する孫の手” だったがじゃぁああ。
突っ込み所を失った警官は、やや気まずそうであった。 ( ̄ー ̄?).....??ありゃ??
今度はきびすを返して、‘とらふぐ亭’という河豚屋への道順を 教えて貰い、山豚である我々はなんとか無事に辿りついたのであった。。
┐(-。ー;)┌ヤレヤレ
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No.685 山登り、いいね〜 投稿者:T 山本(明) 投稿日:2010年11月16日 (火) 14時59分 |
先日、たまたまTVで高尾山に登る番組で、登山家の田部井さんがガイド役やってて、おもしろくてガン見しました(笑)
ここ数年は日曜日の夕方の中央線の上りの電車の中はトレッキング帰りの中年の人たちでごった返してますから、その盛り上がりに少し引き気味でしたが(平均年齢、高い高い!そしてみんな元気で、五月蝿い!) 最近では『山ガール』とかも流行ってるそうな。
山登りの醍醐味はなんといっても頂上へ着いた時の達成感なのだそうで、一度味わってみたいな、と。もともと歩くのは好きだし。 なんといっても田部井さんの話がとても魅力的でしたね。やっぱり誰と行くかがポイント?(笑)
じゃがくんが職務質問されてる図、ぜひ見たかったな〜(笑)
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No.686 昨年は、土佐高登山部インターハイ優勝。 投稿者:T組西岡 投稿日:2010年11月23日 (火) 03時38分 |
現時点で、やむ気配のなさそうな雨が降ってる。
安藤は本日、家族と一緒に城山(高尾山)へ登ると 言っていたが、決行するのであろうか。
彼が土佐高の山岳部。というのを最近、知った。 まぁぶっちゃけ、‘ぬるい部’という先入観だったのだが、 山へ入った安藤は早い、早い。
S先生に正座させられ、顔面にボールをぶつけられた‘きつい’部の私から、 (その現場を安藤社長だけでなく、久武教授も見ていたらしい。) どんどん先行していった、先日の山道であった。
ケバから聞いた話だと、昨年は土佐高の登山部は、 インターハイで優勝したとの事。 知られざる強豪である。(私だけ?知らないのは。)
登山の反動か、警察による所持品検査のショックか、 結構な風邪を引いてしまい、昼間寝すぎて、眠れましぇ〜ん。
(┐ ̄  ̄┌)ゲソ〜〜
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No.687 安藤、どうやった、じゃがは風邪なおったかえ 投稿者:濱松 投稿日:2010年11月29日 (月) 20時15分 |
23日はこっちは5時起きで、野球大会開始時刻の変更の連絡無く鶴ヶ島市に出発。結局雨は9時過ぎには上がったけれど、11時過ぎまで整備の手伝いやら何やらで疲れてしまった。子ども達も試合どころではなくあっさりと負けてしまいました。雨が焼くまでも駐車場で待つだけで、遠方からの参加者に全くの配慮なしという大会でした。
安藤、どうやった?行けたのかえ? そしてじゃが、風邪治ったかえ? 11月ももう明日でおしまい。明後日からは師走。早いもんだ。 ところで皆さん、忘年会で来月は忙しい?
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No.688 土佐高登山部とな 投稿者:安藤@H  投稿日:2010年11月29日 (月) 20時29分 |
濱松君。 結局、今回は、高尾山へは行かなかった。 子供を連れて、雨後の足場の悪い山道は危なそうだったので。 野球がお手すきの時は、今度一緒に行こう。
さて、土佐高登山部の話が出たので、思い出に浸ってみようかな。 多少記憶違いがあるかもしれないけど。
高校になってから、小学校からの友人である尾木君(Sホーム)が、登山部に入部したのを見て、当時クラブに属していなかったので入った記憶がある。 入部したた直後は、部員が結構いたような気がするのだが、常時部室に顔を出して、練習や登山に参加していたのは、土佐中の生徒も含めて、4〜5人だった気がする。
当時は、部室の中は荒れ放題、装備は老朽化、予算は殆ど無しという状況だった。 その後、立花君(Kホーム)が入部し、やっと、大会に参加可能な最低人数の4人が確保できる格好になった。
吉良さん(53回生)、尾木君(S)、立花君(K)、安藤@H というパーティーである。 ちなみに、顧問は、当時のHホーム担任の三浦先生、今の三浦教頭先生であった。
高2の時、このパーティーで、初めて参加した県大会で、優勝候補の西高を抑えて、なんと優勝してしまったのだ。
もともと参加校が少ないのであるが、西高は、女子登山部もあり、かなり、クラブ活動として、熱心に取り組んでいてレベルの高い感じだった。
一方我々は、テントの装備も予算不足で一部欠落していたり、そもそも、優勝を狙うなんて思いは毛頭無く、参加することに意義があるくらいの感じだった。
ゆえに、優勝は、全くのタナボタ、いや、青天の霹靂だったわけだ。
審査員の講評で、記憶に残っているのが、以下の二点かな。
・当日雨が予想される気象で、登山道も、人の背丈以上のブッシュが多いという条件を考慮すると、雨具として、ポンチョという選択は不適である。 その点、土佐高登山部は、全員、ヤッケ(合羽)であり、ポンチョを選択していた他のパーティと比較して、状況判断が事前に出来ていたのが評価できる。
→実は、ポンチョなるものを、我々は持って行こうにも、低予算のため、持っていなかったのである。 全員、自転車通学だったので、雨天時に使用する雨合羽(ヤッケ)を持ってきていただけなのであった。
・チームワークが非常に良い。体力勝負の区間で、最速でゴールした。
→日々の練習と言えば、馬鹿の一つ覚えみたいに、筆山に走って登り、頂上付近にある階段を何往復かする等の、基礎体力を鍛えることしかしてなかったのだけれど、いつの間にか、最強の体力を身に着けていたらしい。 先行スタートしたバテバテの西高パーティを、我々が途中で軽々とぶっちぎって行ったのだ。 審査員に土佐高恐るべしという印象が強烈に残ったようだ。 チームワークが良いと言われたが、結構、テントの中では、内輪もめが多かったと思うw
というわけで、
県大会での優勝=インターハイ出場権獲得
なので、インターハイにも出場してしまったのである。 もしかしたら、登山部創部以来、初出場だったかもしれない。(違ったらごめんなさい)
さすがに、インターハイは、全国から、真の強豪が集まっているので、敵わないと思った。 また、筆記試験が有るとは知らなかったので、準備不足で、ぼろぼろだった。 これも、何回か出場してノウハウが蓄積すれば、傾向と対策が打てると感じた。 単なる僥倖では、優勝はできない。
ネットで調べると、土佐高登山部は、過去15回もインターハイに出場しているようだ。 少なくとも、我々の後、数年間は、部員不足で、大会自体に出場できない時期があったはずにもかかわらず、大したものだ。
そして、去年インターハイで優勝という快挙を成し遂げたのである。 去年の同窓会で、真新しい校舎に「土佐高登山部、インターハイ優勝」の文字を見た時の感動は、忘れない。 素晴らしい後輩たちを、誇りに思う今日この頃、みなさん、いかがお過ごしですか。
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No.689 ラジャー 投稿者:濱松 投稿日:2010年11月30日 (火) 19時38分 |
安藤君 あの雨やったらそれが無難やろうね。 あまり暑くもなく、寒くもない時期にお誘いおば、お願いします。 明美さんあたりものってきたりして。 うちのに確か登山用の靴もあったような気がする。大学の時は四国内の山は大学の同期やら、遊んでいた基礎医学教室の面々と行く言ったもんだ。三嶺も好きやったね。三嶺と言えば高校の頃かに旧姓岡崎さんもきれいやったと何かで書いていた気がする。
両親の若い頃はよく山に入っていたようで、うちでも時々話が出ていたな。
高2の時は確か1年上が結構県体で勝っていたので目だたんかったね。 俺らが3年の時は県体ではあまり勝った競技がなかったので、私らの弓道部は運がよかった。
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