No.675 土佐酒蔵交遊録13 投稿者:安藤@H  投稿日:2010年11月09日 (火) 22時37分 [ 返信] |
結構長い書き込みです。 ☞No.671の冬の懇親会の案内を思いっきり下げてしまい、ご迷惑をおかけします。
<カマスと40回生の先輩方>
先週、土佐酒蔵で食した旬の「カマスの塩焼き(表メニュー)」と、大将がこっそり出してくれた「カマスの姿鮨(裏メニュー)」の味が忘れられなくて、もう一度食べたいと思い、昨日、土佐酒蔵へ突撃したのでした。
昨日の土佐酒蔵は、まだ、早い時間だったので、テーブル席が一組、と小上がりが全部空いていました。
普通なら、人の居ない小上がりに座るのですが、その日は、何故か、引き寄せられるように、知らないお客さんの隣のテーブルに座ったのでした。
さて、念願の、「カマスの姿鮨」は、メニューには無いので、本来注文することができません。 そこは大胆に、「カマスの姿鮨」はありますか、と聞いてみました。
しか〜し!
残念なことに、もう無いとのことorz
仕込むのに、結構時間と労力がかかり、少量しかできないので、大将の気が向いたときに作っているようです。 何かのきっかけで、こっそり出していただけるのを待つしかないようです。 大将曰く、「鯖の姿鮨」より、「カマスの姿鮨」の方が、好きとのこと。
そんな絶品の「カマスの姿鮨」を次に食せるのはいつになる事やら。
と、落胆しつつも、定番の品を注文して、とりあえずのビールを飲んでると、なにやら、隣から、
「おんしゃー」
とか言い合いながら、バリバリの土佐弁で会話している2人の年輩の方が、いらっしゃいました。
土佐酒蔵なら、よくある風景なので、ひょっとしたら、土佐校OBかなぁ、ぐらいに思いながら聞き流していました。
すると突然、その会話の端々に、
「...間谷...教師...どうしゆう...」
とかいう言葉が断片的に聞こえてきました。
も、もしや、間谷先生の同級生?
そう思うと居ても立ってもいられず、思わず、お声掛けしてしまいました。
案の定、土佐の卒業生で、40回生の、寺尾さんと竹村さんという方々でした。
そして、まさに、間谷先生の同級生ということで、びっくり!
その後は、土佐校や、高知にまつわる、いろんな愉快なお話を聞かせていただきました。
いろいろ有り過ぎて、酔ってもいたので、記憶違いや、忘れたことも多いのですが、概ね以下の様な感じです。
ちなみに、竹村さんは、既にかなり酔っていらしたので、帰りの階段の足取りもおぼつかない感じでしたが、無事おかえりになられましたでしょうか。
『間谷先生と電話編』
寺尾さんが、
「間谷に電話したら、安藤君の事分かる?」 と聞いてこられました。
「いやー、担任でお世話になったのが高一の一年間だけですし、話したこともほとんど無かったので、絶対覚えていないと思います。」 と私。
ということで、寺尾さんは、一度、間谷先生に電話するのを諦めたのですが、その後、いろいろ話をしているうちに、結局、間谷先生に電話なさりました。 そして、その携帯が私に手渡されることに。
電話の向こうの声の主は、まさに、昔の間谷先生そのものでした。 世界史を、歴史小説の様に語っていらっしゃった、昔の雰囲気が蘇りました。 当然、「安藤@H」の記憶は、無かったようですが、近況をいろいろ聞かせていただきました。
去年Oホームの会に呼んでもらって嬉しかったとのこと、また、集まりがあったら呼んで欲しいと仰ってました。 ソフトボールはもう出来なくなったので、最近ゴルフを始めたとのことです。 ゴルフに心得のある方は、お誘いしてみてはいかがでしょうか。
54回生の掲示板は時々見ていらっしゃると言うことで、最近の小林君とか濱松君がよく書いているのは認識していたようです。 私も書いてますんで読んでみて下さいと思わず言ってしまいましたw
『同期編』
・キャッスル&ゲイツ
みなさん、キャッスル&ゲイツというフォークソンググループを知ってますか?
40回生で、成城大学出身の町田義人さんと、東京大学出身の田村守さんが結成したフォークデュオだそです。 '60年代後半に活躍されたそうです。
グループ名の由来は、成城の城=キャッスル、東大の赤門=ゲイツなのだと、寺尾さんに教えていただきました。 Wikiにも出ていないネタですね。
小林君の書き込み(☞No.668)に有った、土佐高OB、田村和郎さんは、もしかしたら、田村守さんの弟で、キャッスル&ゲイツの第二期メンバーではないのかぁ?
ちなみに、第一期解散後、町田さんは、40回生の上地健一さんと共に、R&Bバンドのズー・ニー・ヴーを結成し、「白いサンゴ礁」のヒット曲があったとのこと。
「え、白いサンゴ礁? 青いサンゴ礁なら知ってますけど...」
と、やはり、一回り以上の年齢差は、世代ギャップを感じさせるのであったw
・塩田 潮(満彦)さん
40回生の社会派小説家とのことです。 この方の作品を読まれたか方は、多いのではないでしょうか。 実は、私、潮匡人と勘違いしてしまって、変な方向で話を合わせてしまいましたorz どうりで、寺尾さんとの間で微妙な雰囲気が流れていたのでした。
寺尾さん失礼しました。
『先生編』
・直四郎先生のこと
授業で、直四郎先生から質問が出され、座席の順に当てられるも、誰も答える事が出来ず、2、3列全滅後、寺尾さんに順番が回ってきた時のこと。
寺尾さんも、 「わかりません」 と答えたところ、急に、直四郎先生が、寺尾さんに対して、
「何でこんなことも、解からんがじゃぁ!」
と烈火のごとく怒りだしたとのこと。
他にも解らない生徒が沢山立っているのに、なんで自分だけが怒られなければならないのか釈然としないでいたら、
「元四郎という名前が、直四郎と似ちゅうのう」
みたいな事を言われ、それが理由で、特別に血祭りにあげられたらしいです。
笑いました。
・高崎先生のこと
寺尾さんが、高知城に友人達と言った時、お城周辺の白壁の、亀裂とか汚れをあーだこーだ話してたら、偶然、高崎先生に呼び止められ、 「君たちは、絵が解かるがやねぇ」 みたいなことを言われて驚いたとのこと。 高崎先生にとっては、白壁の亀裂や汚れの様が、現代的な絵画の様に感じているのだなぁと感心したとのこと。
思わず得心してしまいました。
・吉本先生(カマス)/都筑先生(アパッチ)のこと
吉本先生のあだ名も、都筑先生のあだ名も、40回生の頃も同じだったようで、伝統が引き継がれていたようです。 何故に、カマスとか、アパッチとか言うあだ名がついたのか、お二人とも知らないとのことでした。
改めて、ググって見たところ、どうも34回生の頃、既に、吉本先生は、カマスと呼ばれていたらしいというのは解りました。 <http://daichanzeyo.cocolog-nifty.com/0403/2006/08/post_b234.html> どなたか、由来をご存知でしたら教えてください。
『飲み屋編』
・日本橋本陣房の支店 竹泉 西新橋
寺尾さんが、美味い蕎麦屋の話をし始めた時、新橋にある本陣房と仰った瞬間、その系列で、竹泉という店に行ったことが有ると申しますと、お二人も竹泉によく行かれているとのこと。
竹泉は、西新橋交差点の日石三菱ビルに近くにあるのですが、私が15年以上前に出向していた某銀行本店が近くにあり、寺尾さんの会社のビルも、目と鼻の先に有ったのでした。
特に、変わり蕎麦とも言える「ゆず切り」、おつまみでは、「鴨のあぶり焼き」が絶品である事等、評価が一致して、たいそう盛り上がりました。
また、本陣房独自の「升酒」が、何故か、非常に美味しくて、他にも、名立たる銘酒が置いてあるのに、この「升酒」だけは、何の銘柄の升酒なのか解らないのです。
店の人に聞いても、絶対に教えてくれないのです。寺尾さんも、教えてくれなかったと仰ってました。
寺尾さんと私は、今日初めてお会いしたのですが、竹泉の「升酒」について全く同じ事を考えていて、共通点に驚いたところでした。
寺尾さんに、今度、竹泉に行ったら、おかみさんに、寺尾の後輩だと言えば、まけて貰えるかもよ、と教えていただきました。 チャレンジしてみたいと思います。
・割烹居酒屋 酒菜 浪漫亭 赤坂店
高知に本店、新橋に支店があるようですが、赤坂のお店を薦めていただきました。 土佐料理を美味しく食べれるそうなので、今度行ってみたいと思います。
『野球編』
寺尾さん自身は、土佐中学で野球部員でいらして、伊野中との完全アウェーの中で勝利した話とか面白かったです。 昭和39年、春の選抜甲子園準決勝戦で、徳島海南高校の尾崎投手(ジャンボ尾崎)と激闘を繰り広げたのが、40回生の方々だそうです。
その日、土佐酒蔵のカウンターに、42回生の元野球部の方がいらっしゃっていたことを、大将が教えてくれました。
『土佐弁編』
冒頭の、「おんしゃー」という土佐弁は、「おぬし」という公家言葉が、訛ったとのこと。 土佐弁には、公家言葉がたくさん残っていると、教えていただきました。 みんなぁ。知ってた? 僕は、知りませんでしたorz あまりにも当たり前に使っていたので。
『ホーム名編』
40回生の時代、ホームは、「T,H,O,K,S」までで、「Nホーム」存在しなかったとのこと。 今、Nホームがあるなら、Nは、何の略かと聞かれたのですが、私も知りませんでした。 Wikiによると、ホームを新設した時の、そのホームの担任の先生の頭文字だそうですが、それはどなたなのでしょうか。 永野先生? どなたか教えてください。
T 土佐 H 報 O 恩 K 感 S 謝 N ?
『奇遇』
と言うわけで、昨日、
・もし、私が、カマスを食べたくならなければ、 ・もし、寺尾さんと竹村さんが、土佐酒蔵に行こうと思わなければ、 ・もし、私が、座る場所として、寺尾さんと竹村さんの隣のテーブルを選択していなければ、 ・もし、寺尾さんと竹村さんが、間谷先生を話題にしていなかったら、
今回の様な邂逅は無かったでしょう。 まさに、奇遇。
こんなことってあるんですね。
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No.676 「おんしゃ〜」の由来は違うような。 投稿者:T組西岡 投稿日:2010年11月10日 (水) 01時42分 |
明美さんには、土佐弁をしゃべらん!と つめられた私ですが、
遠州地方(山内一豊の掛川城のあたり)の方言で、 「おまえ」のことを、おんし・おんしゃと表現するそうです。 http://www3.tokai.or.jp/nah_papa3/hougen.html
土佐入りした頃の山内家や家臣一族は、 バリバリの遠州弁や尾張弁、三河弁をしゃべっていた事でしょう。
郷士は、上士より上から目線で、 「おんしゃ〜」呼ばわりされていた事は、想像に難くありません。
思うに、「おんしゃ〜」の後には、「にゃ〜!」 がくっ付いて来るのが、しっくりしますが、
この「にゃ〜」って、語感的には、 名古屋弁の「みゃ〜、みゃ〜」や、 古くは細腕繁盛記(伊豆・熱川)の定番セリフ?である、 「おみゃ〜の自由にゃ〜、させにゃ〜ずら!」と、 シンクロするような印象を受けます。
上士の言葉が、土着したような感じを受けるのですが、 本当のところはどうなんでしょうか?
ちなみに、鰹のたたきの起源は、 山内一豊が、領民に鰹を刺身で食するのを禁じたので、 (食中毒回避の為) 領民が鰹の表面を炙って、刺身ではないと称して、 食べ続けたという、いごっそう的な話だそうです。
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No.677 投稿者:津野@N 投稿日:2010年11月10日 (水) 20時31分 |
町田義人といえば「戦士の休息」だねー さっきユーチューブで聞きました。込み上げるものがありました 黒鉄ヒロシと町田義人は間谷先生のマブダチだった?っけ?
カマス(先生)の由来は頭の形と昔聞きました。何で?よくわかりませんが
カマス(肴)のでかいやつの姿寿司や生干しは堪えられませんなー
「おんしゃー」と言われたら「にゃー(胸ぐらつかまれ)」「何しゆうがな(ゆすられ)」 「何様ながや(ビンタ)」等々よくない事がありそうだ
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No.678 カマス 投稿者:濱松 投稿日:2010年11月10日 (水) 23時07分 |
私が昔聞いたようなところでは、カマスは土佐に来る前、丸におった頃からカマスと言われておったそうな。基本的には横顔含めてカマスににておったからという風に聞いてますが。 Nは永野先生ではなかったように思います。
町田義人さんも最近は聞かないけれど、ユーチューブにはあるがやね。
銀座にはなかなか向かうことがないので、2月が楽しみや。
ところで、じゃが。バツイチ倶楽部はどうやったぜ?
土佐の関東同窓会の忘年会のはがきがきちょったがみんなあ、どうするぜ?村木さんもおいでるようなですがね。
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No.679 M松君、早く帰りました。 投稿者:T組西岡 投稿日:2010年11月11日 (木) 12時51分 |
M松君、このところ双方共に、 いろいろ反省する余裕がありません。
眼前に迫り来る難解な問題の山々に、 たじろぐばかりです。
ですので、いつもなら1時、2時は当り前、 夜明けのコーヒーへ ヒロミ・郷!とは逝かず、
珍しく11時前に、お開きになりました。
安藤が誘ってくれたので、二人して週末に高尾山へ登り、 晩秋の空気を胸一杯、吸ってきます。
帰りに腹一杯、ビール飲むのが楽しみです。
(=^O^=)o□ プハァ
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No.680 Nホームの由来 投稿者:西本和男 投稿日:2010年11月11日 (木) 18時41分 |
なぜNと名付けられたかは、いろいろと説があるようです。 確かに40回生までは5クラスでしたが、41回生から6クラスになっています。 41回生のNホームの担任は永野亮三郎先生であったことも事実です。
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No.681 今更だけど気になって夜も眠れない 投稿者:安藤@H  投稿日:2010年11月12日 (金) 00時00分 |
土佐弁の語尾に良く使われる「にゃー」は、元々は、「ねぁ」という発音が、変化したものではなかろうか。
ググってみると、語尾を「ねぁ」と表記している人は、確かに存在する。
そうすると、「おんしゃー」というのは、以下の変化を辿って来たのではなかろうか。 ☞No.676
標準語 : お前ね〜、お前な〜
に対し、
土佐弁 : おぬし・ねぁ → おんし・にゃー → おんしゃー
それと、Nホームの由来だけど、ウィキペディアの「土佐中学校・高等学校」の項目にある、Nホームの由来が正しいとすれば、西本君の書き込みと符合するね。☞No.680
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E4%B8%AD%E5%AD %A6%E6%A0%A1%E3%83%BB%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1
でも、濱松くんの話も正しいとすれば、いったい何? ☞No.679
意外と、みんな、知らないで、高校時代すごしてたのかなw
また、黒鉄ヒロシさんは、41回生じゃなかったっけ? ☞No.677 40回生の間谷先生とマブダチだったということは、その接点は、どこにあったんでしょうね > 津野君
このBBSを見ている54回生以外の方で、真相を知っている方の書き込みを希望!
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No.682 そりゃ早かったね 投稿者:濱松 投稿日:2010年11月12日 (金) 22時15分 |
それくらいにかえる方が良いと思うぞ、じゃが。
結構週末は冷えるみたいやから、山では無理せんときよ。
こっちは明日朝もはよから、河川敷の清掃、練習につきあって午後からは埼玉南部大会秋季大会の別と4決定戦の応援で、日曜は野球教室の手伝いです。 来週土曜は試合もあるので、ちょっとバッティングくらいはしとかんと。
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