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私は、ポケットの中のビニール袋を優しくなぞった。 今日は高校の合格発表。もう試験は終わったんだから開き直れと言われても、最後の最後まで足掻いてしまうのが人間である。 ビニール袋の中には、去年拾った銀木犀が入っている。 もう夏実と銀木犀を拾うことはなかった。かといって1人で拾ったわけではなかった。
戸部くんと拾ったのだ。 やはり友達と呼べる友達は見当たらず、1人でもう一度銀木犀を拾おうとした中学2年生の秋。 戸部くんが、あの公園でサッカーボールを蹴っていた。 さらに身長が伸びた戸部くんはこちらを向くと、ニヤッと笑ってこちらにやってきた。 「お前、何してんだ?そんなとこ突っ立って。」 「別に。ちょっと、用事があってここにきただけ。」 片手に持ったビニール袋をさっと隠すと、戸部くんは興味津々にそのビニール袋の話題に触れてきた。 あまりにもしつこいので素直に『銀木犀を拾いにきた』と告げると、戸部くんは『俺も拾う』と言い出した。
「勝手にすれば。」 「じゃあ拾う。んで、拾って何にするんだ?」 「…石鹸とか、香水、それからポプリなんかも作るかな。」 「ぽぷり…?…まぁ、いいか。」 そう言って戸部くんは、黙々と銀木犀を集め始めた。 私もそれに釣られるように銀木犀を拾っていく。
私がなぜ銀木犀を拾おうと思ったのかはわからない。 ただ、あの星の花を拾えば、もう一度気持ちがスッキリするかもしれないと思ったのだ。 「うわ、めっちゃ落ちてくる。木、枯れないのかよ。」 「枯れてないみたいだね、今までは。」 いつの間にか片手いっぱいまで銀木犀を集めていた戸部くんは、私のビニール袋にそれを入れた。
「やる。拾いすぎた。なんか作るんだろ?いっぱいあったほうがいい。」 「ありがとう。」 この分じゃ、もう拾う必要はないな。 たくさん集まった銀木犀を眺めると、ふっと笑みが溢れてきた。
「…たくさん」 「は?」 「銀木犀がたくさん、あたかもしれない。」 戸部くんは驚いたように瞳孔を揺らすと、ふは、と微笑みこう言った。 「金木犀は?」 「なかたかもしれない!」
2人であたかもしれない、なかたかもしれない、と言い合って笑った。
その一年後、戸部くんが私の第一志望校と同じところを受けると知った。 そのことを聞いたのも、この銀木犀の下だった。受験勉強の息抜きでやってきた、この場所で。
今、私の目の前にある合格発表。 そして──
「お前、来てたのかよ。」 「当たり前でしょ。」 私のことを“お前”としか呼ばない戸部くんが、肩を叩く。 戸部くんが、目の前の合格発表に集中し始める。 私も、と番号を探す。
228番… 目を凝らしていると、探していた番号が見つかった。 「合格、した…」 「……俺も!」 戸部くんが、私の背中をバンバン叩く。 興奮していてわけがわからなくなっているようだが、不思議と痛くはなかった。 周りから、歓声が上がる。 他の受験者たちの、勝利の声。
隣の戸部くんを見る、ポケットに手を入れている。 そのポケットの中に何があるのか、私は知らない。 でも、私も自分のポケットの中に手を入れた。 あのビニール袋が、指先に触れる。
その銀木犀に向かって、私は精一杯のお礼を言った。 戸部くんと目が合う、笑顔がまた、弾けていく。 |