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心は、体のどこのありますか?頭・脳・胸辺り…そもそも、心ってなんですか?気持ち・考え(方)・思い…のことですか?2019年02月14日 (木) 14時36分 No.4108
ちんぷんかんぷんかもしれませんが。 - tamotsu心はどこにあるかと言われれば、
心が触れた対象のところです。
指先が触れたところとか、イメージしてるときは脳みそとか。
心は間断なくかつ素早く生滅しているので、
ひとつの心がにあるように感じますが、
違う能力をもつこころが順々に作用して
いろいろな認識をしています。
心は、そもそもなんですか?という問いの答えは、
心は知る(認識する)能力のことです。
気持ちは、一瞬現れた心の風合いです。
怒りやもっとほしいという気持ちがない
風合いのない心もあります。
思いは、衝動に近いものなら業(カルマ)といわれるものです。
考えとは、心だけで空想実験してる行為といえるかもしれません。
心について理論的に書かれているお経がアビダルマといって
その簡潔にまとめたものがアビダンマッタサンガハといいます。
ヴィパッサナー瞑想をして、より無欲で怒りのない無我の心を発生させるように訓練すると
段々と理解できていくお経です。
お坊さんのお話を聞いたり瞑想会に参加して
段々と理解してはどうでしょうか?
2019年02月20日 (水) 15時19分 No.4115
tamotsu さま 回答頂きまして、ありがとうございます。
う~ん、私の理解力を越えた世界だなぁ…と、いうのが正直なところです。申し訳ありません。
ただ、心はひとつではないとか、心について書かれたお経があるというのは、新鮮で、とても興味をもちました。
今まで、一人で、考えてきましたが、道しるべを頂きまして、すっきりとした気分になりました。
気長に、取り組んでいきます。2019年02月21日 (木) 20時16分 No.4119
あやか 様
「心」とか「意識」とか、現代ではあいまいに使われている用語ですが、本来は同じような意味を示しているようです。
つまり、意識の意は心という意味があり、意識の識は「認識する」という機能的な意味合いを持っているみたいです。
すなわち、心(意識)は、「認識作用」と定義することができると思います。意外な答えかもしれませんが、この「意外」という言葉も「意(心)の外側」と考えると納得できるのではないでしょうか?
要するに「認識の外にある」から意外に感じたと考えてみたら解ると思います。
もう少し説明を加えるなら、認識作用には6つの種類があります。それは、視覚(眼識)、聴覚(耳識)、味覚(舌識)、嗅覚(鼻識)、触覚(身識)の五感と意識を合わせて六つとなります。
意識は五感と共に働き、それを統合する作用と妄想や空想、創造性を生み出す作用があるとされています。
意識(心)という言葉がピンとこないなら、脳機能と考えてもよいのかもしれませんが、この辺りは賛否両論あるようです。
脳機能学者等の唯物論者は、心や精神機能はすべて脳機能で説明できると考えている方が多いです。
それに対し、仏教学者や初期仏教のお坊様は、脳とは別の認識システム(五蘊)(または脳とシンクロしながら働くシステム)が働いていると考えています。
感情は、この純粋な認識システムに様々な種類の煩悩(欲・怒り・無知)が溶けたような感じとスマナサーラ長老はおっしゃっています。
2019年03月01日 (金) 14時24分 No.4123
イエモン様 回答頂きまして、ありがとうございます。
心って、認識作用なんですね。なるほど!
脳=心、と言われる脳科学者の方もいらっしゃいますものね。
でも、仏教の考え方は、違うんですね。
偶然、スマナサーラ長老の著書「心の中はどうなってるの?」に、出会え、只今、読み進めております。
なんとか、「共通心所」の章まで辿り着きましたが、苦戦しております。読み終えられるか心配です。
読み終えて、イエモンさんから頂いた回答を、もっと理解できる力が、私にできていたら嬉しいのですけれど…。
2019年03月05日 (火) 17時33分 No.4127