日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

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意識について - イエモン MAIL
テーラワーダ仏教では、「意識」をどのように定義・説明しているのでしょうか?

やや概念的な説明になるのですが、ここでいう意識とは、絶え間ない思考や妄想(煩悩)、それに付随する感情の流れが展開されている「場」のことです。つまり、思考とは別の「(私という)存在がある」という気付きを伴う主体のことです。
絶え間ない思考の流れや妄想が人間の主体であれば、サティという行為自体が成り立たないと思います。「気付き」があるということは、意識から思考や妄想が切り離された状態あるいは意識と思考・妄想の同一化(identfy)が解かれた状態であると思います。思考や妄想・感情の流れが自分ではない(幻想)と気付き(無我)、瞑想を行った時に思考や妄想が一時的に消えた意識状態(今にある状態・心が落ち着き、清らかな状態)は、やはり仏教では「空」と表現するのでしょうか? それとも、「五取蘊から一時的に煩悩が消えた状態」のような表現になるのでしょうか?(以前のスマナサーラ長老の法話で煩悩の住処は五取蘊であると説明されていたため)

ご助言宜しくお願い致します。
2018年02月15日 (木) 13時13分 No.3896
識は、対象を認識する心です。 - tamotsu
(回答が難しいかなと思い、試しに分かりやすさを気にせず書いてみたら、意外と書けたので、読んでみてください。)

実際の物質や心の認識の仕方を、まず知ってもらう必要があります。

心は、パチンと指を弾いた時間の65分の1、これを1刹那として、3刹那で、生じ、存在維持し、滅します。
この3刹那を1心刹那と言います。
その心が17回、生まれて存続し滅する間、
物質は存在しています。

通常の心は、有分心といって、寝ているもしくは死ぬときの心と同じ心で、何も認識してません。
物や、思い出などの心的対象が生じると
有分心が滅し、動揺した有分動揺心があらわれます。この心が2つ、2心刹那現れて、その後、有分心を遮断する有分遮断心が現れます。
次に対象が物質でしたら五門(眼鼻舌身の5つの門)引転心という心が現れて、物質に引き付けられます。
その後、五識という各五感を認識する心が生じます。

ここで対象が、心的なものでしたら、五門引転心は、生じないで、いきなり意識が現れます。

その後も対象が物質ならば、領受心、推度心、確定心、が現れ、その次に速行心がいくつか現れ、最後に被所縁異熟心が2つ、2心刹那現れたり現れなかったりして、何も認識しない有分心が現れます。
これが、物質を認識するときの行程(心の生滅)です。

対象が心的なものなら、領受心などは現れず、
速行心がいくつか現れ、被所縁異熟心が2つ、2心刹那現れて、また有分心が現れ、認識のない状態になります。
こちらが、記憶や印象などの心的な対象を認識する行程です。

この行程の中で出てきた
対象(物質と心的なもの)に触れ認識した心を識と言い、
目で光を認識したら眼識、耳で音を認識したら耳識、
鼻で香りを認識したら鼻識、舌で味なら舌識、身(体)なら身識、
心で心的な対象なら意(=心)識といいます。

仏教の意識とは、ほんの1心刹那現れる
心を認識した心のことです。

イエモンさんの言っている「意識」は、
2つ物質があると生じる空間(虚空)の概念を心にも適用して
意識を空間としての場として考察していますが、
心と心の間には、空間が存在しません。

なおかつ、心は、ある作用をもつ各心が現れては消え現れては消え対象を認識していきます。

物質の素粒子が、生じては消え、生じては消えして存在しているように、
心も、生じては消え、生じては消えを繰り返しています。
それも物質よりも早く生滅を繰り返します。

このように物心両方が短い時間に生滅を繰り返しているので、
無常とよばれます。

この生滅を続ける物質と心の組み合わせが合成され、
錯覚がおき生命や世界が成り立っていきます。
しかし、それは、ただの集合体であって、
確たる実体がないので、空といわれ、無我といわれるのです。

気づきを入れると、心は同時に1つしか存在しないので、
妄想や偏見が生じることができずに対象を認識することができます。
すると上述の行程で気づきをいれないで認識すると
貪りや怒りの心になってしまう速行心の生滅の行程が、
貪や怒りのない速行心の生滅ににすることができます。
貪りや怒りがないので、対象を正確に認識できるようになります。

そうするうちに、無我であることを、
はっきりと感得できるようになります。

この心の認識の行程は、路と呼ばれ、
アビダンマの注釈書、アビダンマッタサンガハに書いてあります。
スマナサーラ長老の講義集も出版されています。

読むだけでは、理解ができないので、
ヴィパッサナー瞑想を続けていくうちに、
少しずつ読み返していくと
智慧が現れ、段々と理解が進むと思います。

頑張ってください。
2018年02月26日 (月) 13時54分 No.3905
勉強(修行)方法 - イエモン MAIL
tamotsu 様

いつも丁寧なご回答ありがとうございます。

意(こころ)の識ですね。今までは勝手に意識と心(思考・煩悩)は別物のように考えていました。邪見ですね・・・。

今回の回答を読んでいる過程で、ちゃんとテーラワーダのもっと突っ込んだ(専門的な)勉強をしないといけないのかな。と考えています。しかし、最初に何から始めればよいかわかりません。

そこで質問なのですが、(素人が)ヴィパッサナー瞑想を毎日しているという前提で、どのようなテキスト類を、どのように活用していけばよいでしょうか?

一応、過去の質問者さん達の同様の質問にも目を通しましたが、tamotsu様の経験等も踏まえて参考にしたいと考えています。

とりあえず、アビダンマッタサンガハは必読書のようですね。


宜しくお願い致します。
2018年02月28日 (水) 13時39分 No.3909
好みもあるでしょうから、自分の読んでいった書籍を時系列で並べます。 - tamotsu
前提として、
毎日、瞑想していることにプラスして
お坊様の法話を聞く、瞑想会に参加してお坊様から指導を受ける
をしてください。

これで、自分の好みの思考や見解からくる勘違いのせいで、
道から外れてしまうのを防げます。

それを前提に本を紹介しますと、
まずはスマナサーラ長老の法話を書籍にしたものを
読み尽くしました。
あと法話の音声や動画も見たりしました。

これによって、
仏教用語の解釈の間違いを正せました。
今も法話を聞いて間違いがないかチェックをしています。

そのうち、理論的なものを知りたくなったので、
論蔵にあたるアビダンマの註釈書アビダンマッタサンガハを教科書にしてスマナサーラ長老が講義をしたものをまとめた
「ブッダの実践心理学」シリーズを読破しました。

これと並行して、
経蔵となるお釈迦様の法話を、そのまま読みたくなり
南伝仏教大蔵経(パーリ語の経典)の現代語訳である
「原始仏典Ⅰシリーズ、Ⅱシリーズ」を
読みました。
この時、
スマナサーラ長老の法話と瞑想会で
雑多な知識でしたが仏教の瞑想法や言葉を聞いていたので
言語学や歴史学から推測で書かれてい訳や註釈に、
引っ掛からずに読めたので助かりました。

今は、原始仏典Ⅲシリーズを読んでいます。

2年くらい前に、
平川彰著「二百五十戒の研究」シリーズを読みました。
お坊様に関わるときに、間違えた考えで、
戒律を破るようなことを要請しないようにするためと、
より悪因をつくらないようにするにはどうすればいいのかを
知るためです。

最近は、
アビダンマッタサンガハをより理解するため
ウ・ウェップーラ 戸田 忠訳註、水野弘元監修
「アビダンマッタサンガハ」中山書房仏書林
を読んでいます。
かなり雑多になっていた知識が整理されて、
瞑想とともに理解もすすみ、頭に自然と残るようになっています。

この流れの時々に、
アチャンチャー長老の法話集を読んだりしています。

それと、
ヴィパッサナー瞑想を習い初めの時に
マハーシ長老の「ミャンマーの瞑想 ヴィパッサナー観法」を
読み込んでいました。
いまも時々、読み返します。

このように最初は、
スマナサーラ長老の在家向けの法話をきいて、
下地を作り、
段々、パーリ語の三蔵を日本語訳で読んでいます。

原典を読んでも分からないので
長老達に教えていただいて、
瞑想もやりつづけて耳学問にしないで、
自分で体感、体得しようとした心構えでやっています。

あとは、聞いて分からないものは、
一旦置いて、分かるときまで宿題として
持っていることにしているのも特徴かもしれません。
今は、分からなくても、それを頭のすみに置いておくことで、
偶然、解説している本や法話に出会うことがあるので。
2018年03月12日 (月) 11時55分 No.3919
ありがとうございます。 - イエモン MAIL
tamotsu 様

今後、テキストを選択するにあたって、とても参考になります。ありがとうございました。

頭でっかちにならないように理論(仏教心理学など)をヴィパッサーナー実践に還元(智慧を育てる)することが重要なのですね。ライフワークとして地道にやっていけたらと思います。

とりあえず、スマナサーラ長老の書籍から興味のある本を片っ端から読みたいと考えています。私自身、弱視のために読書が負担でしたが、Kindleアプリと、iOSの読み上げ機能で対処できそうです(同様の悩みがある方はご参考までに)。
2018年03月14日 (水) 14時13分 No.3922


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