日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

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最期の時何を思うか - りん
私は長老様やテーラワーダ協会の方のお陰で,最近悟りを開きたい,今世で無理なら次も仏教修行ができる環境に生まれ変わりたいと思うようになってきました。
一方,私は一度危篤状態になったことがあり,それ以降はあまり体調がよくなくて,病院にいっても一度危篤状態になったことがある方に○○の症状がでるのは仕方がないですね,,,などといわれてしまうありさまで,明日死んでもおかしくないなという思いが常にあります。
そこで質問なのですが,悟りを開かぬまま最期を迎えざるをえない時,どういうことを思っていれば(していれば)私の願いが叶いやすいですか?(もちろんカルマ次第とは思うのですが,願いが叶う可能性をより高めるためにという意味で)
皆さんお世話になりましたという気持ちで慈悲の瞑想をするといいですか?
それとも呼吸に集中して「ふくらみちぢみ」と実況中継しているといいですか?
ちなみに一度私が死にかけた時はあまりにも呼吸が苦しくて,サティを入れられず,「苦しい苦しい。もういいから死にたい」とうなされていました。
今でもあの苦しさの中冷静にサティを入れる自信はなく,苦しみや痛みに集中してサティを入れるより,慈悲の瞑想を呪文のように唱えてそこに心を集中させる方が心が乱れないのではないかと思ったりしています。
仏弟子としてあるべき最期の迎え方を教えて下さい。
2010年05月13日 (木) 21時02分 No.234
Re: - ぱん MAIL
何教を信じるかという問題ではありません。最期にとる態度のことは、普遍的な間題です。お釈迦様はとにかく、「落ち着きなさい、心を乱すことをするな」とおっしゃっているのです。

(4)死ぬ瞬間をどう生きるか
A・スマナサーラ長老
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi21.html
2010年05月17日 (月) 00時23分 No.243
ご意見ありがとうございました - りん
いつも,私の疑問にマッチするご説法を紹介していただき,本当にありがとうございます。
(本来自分で探すべきなのに,怠け者ですみません。)しっかり拝聴し,アドバイスの意味を考えてみたいと思います。
どうもありがとうございました。
2010年05月19日 (水) 18時50分 No.260
お経を聞く - B・マイルキー
具体的な経名な忘れましたが、臨終の際に、数人の比丘に来てもらって読経を上げてもらって、それを聞きながら亡くなる在家信者の話があったと思います。お経の内容に集中していることによって、心が清らかとなって、神々が迎えに来たりしますが、お経を聞く邪魔だから静かにしてくれと言って、最後には梵天界に転生したというような話です。

ご自分でサティしたり慈悲の瞑想の文句を唱えることが苦痛によって難しい場合は、好きな経典の内容(パーリ語よりも意味のわかる日本語の方がいいでしょう)をあらかじめご自分で録音するなどしておいてそれに集中して聞くということも考えられます。

結局、どのようなやり方をするにせよ、上でぱんさんのおっしゃっていること「できるだけ心を乱さずに落ち着ける」に尽きると思います。
2010年05月19日 (水) 18時50分 No.261
ブッダのファンであるならば - いづる
りんさん
ぱんさんやB・マイルキーさんのように親切な仏弟子に恵まれることはとても幸福なことですよね。やっぱり仏教って良いなぁと思います。ついでに僕も便乗します。
スマナサーラ長老のあるご説法から引用します。
「・・・ダンミカ大阿羅漢の勝利宣言。そこでポイントはダンマになってます。彼に解脱できたきっかけ、キーワード、引き金は、ブッダの教えに対して興味が現れたこと、好きになってしまったこと、ダンマを好きになってもうしょうがなくなっちゃったんですね。ただそれだけのことで解脱まで導かれてしまっちゃったんです。だからブッダの教えもその他の偉大なる教えと比較してブッダもそんなこと言ってるのかという調子ではないんです。何とかしてブッダにケチ付けようと思っている世界とは随分違います。日本でも仏教の本っていうのはいくらでもあるんですけど、読んでみると、どうもなんとか一言葉ケチつけたいんですね。ブッダの教えに。だらしないうちはそういうことにしか興味がないんです。だからブッダのファンじゃないんです。凄い残念なことに。ブッダの教えのファンになったらもう、それで安全なんです。心配することない。この何かのファンになるっていうことはそう簡単に変わらないでしょうに。すぐ気に入ってしまう。だからブッダの教え、これって大好きや私はという感じになったら、もう一欠けらも心配することないんです。それからあの法が、我々を幸福へ幸福へ導くんです。だからその最初のステップを私達はしなくちゃいけないんですけど。・・・実に法が法を実践する人を守ってくれるんだと。だからお守り要りません。呪文することも何も要りません。法が守ってくれます。だからといって法にお願いする必要もないんです。どうか私を守ってくださいとか。自分が法を実践している人であるならば、自分から法が抜けませんだからね。だから物凄い不可思議な力があるんです。絶大な力がダンマに真理にあるんです。それはどんな力よりも凄いんです。天国の全ての神々集めて守ったっても法に守られる力には叶わないんです。・・・法を実践する者は地獄などには行きませんよ。だからダンミカ長老が自分で身を持って知ってますからね。一生動物殺して狩で生活していたのに死んじゃったら天国にいるんです。地獄に落ちるの当たり前なんですけど。行ってないんです。では殺生した罪は??まぁ待っていたでしょうねぇいつかあなたをやっつけてやるぞと。それより先に悟ったんだからね。そういう風に守ってくれますよ。だからダンマのファンになっただけのことで、それで天国に行ってそれから生まれ変わったりしたっても良いところに生まれたりしてやっぱりダンマに引かれて引かれていくんですね。性格は悪かったんですよ。出家したっても。それでも教えに引かれていくんですね。で素直にお釈迦様の話を聞いたんです。聞いてガラッと性格を変えたんです。だからこの長老がやっぱりダンマを実践すると、教えを実践すると地獄などには落ちませんと自分の経験で語っています。・・・ですから、ダンマに対してファンになりましょう。意欲を持ちましょう。ファンになったらもう追っかけていくんだからね。・・・尊い帰依の頂点まで導びかれるんだと。誰に??ブッダに導かれます。仏法僧に帰依している人はお釈迦様は放って置きません。解脱に達するまで導くんです。だからそれぐらい力がありますよとただ単に最初の一歩でダンマのファンになるだけ。それからお釈迦様が責任を持って涅槃まで導くんです。・・・」
“ブッダの教え”のファンになろう
http://gotami.j-theravada.net/2007/01/dhammacast-48.html
かなり僕の身勝手な引用です。スマナサーラ長老の‘生きた’声でご説法をお聞きになると、強くこころに響きます。

ですから、死後の心配をする暇があったら、安心して精進しましょう!!明日朝目が覚めて、コーヒーをカップに注ごうとしたその瞬間、悟るかもしれませんよ。今生で悟れないと決まっている訳ではありませんよね。悟る瞬間は一瞬ですからいつ起こってもおかしくはない。それにブッダのファンであるならば、死後も問題ないと長老がご説法されています。
だから仏弟子らしく明るく楽しく、負けず嫌いで生きていきましょう!!
ご参考にしていただければ幸いです。
幸せでありますように。
2010年05月20日 (木) 16時47分 No.268


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