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生きとし生けるものが幸せでありますように。
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怒ってしまった時、その前の平穏な心はもうない。今は怒っている自分がいる。
怒っている自分になっているから、今自分が怒っていることに気づきにくい。
前の自分が、今の自分を見れば、怒っているのは分かる。
怒っている自分が、怒っている自分のことに気づけるはずがない。
常に怒りや、欲で汚染されていると思ったほうがよいと思う。
それは自分の周りの人たちも同じである。
しかし誰もそのことに、気づけない。
気づけなくても、常に怒りや、欲があると思って謙虚になるしかない。
怒ってしまったら、もう怒った自分からしか、自分が見えないのだから。
と感想文です。読んでいただけたら幸いです。
もうすでに、怒りや欲で、慈悲喜捨の素直な純粋な心を捨ててきている。
冥想で、そのことに気づかされることがある。
友達と純粋に楽しんだり、純粋に大丈夫だろうかと心配したり、純粋にがんばっている人を応援したり、純粋に自分が悪いことをしたと感じたり、した時の、感情がおきるときがある。
いろいろとこれまで、仏陀の実践方法や、仏陀の憐れみから出る慈しんでくださる言葉、お聞かせくださり感謝の念がつきません。
出家比丘の方々、協会の方々、お世話になりました。
自分が置かれている今の状況は、初期仏教を知らずとも同じ状態だったかもしれませんが、僕の心は仏陀の教えを知り、実践方法を知り、大いに、喜び、大きくなり、喜んでいます。
法と実践方法は、同時だと感じます。
両方をバランスよく成長させ、今後の自分が自分で楽しみです。
育ててくれた両親と、恩師と、そして協会の皆様出家比丘の方々が、幸せでありますように。
生きとし生けるものが、幸せでありますように。
2012年01月10日 (火) 13時53分 No.1594