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ここでちょっぴり趣を変えて仏教的な茶飲み話でも - 一般居士日本テーラワーダ仏教協会の皆さまにおかれましては「本地垂迹説」をどう思われますか?
ブッダが本地(真理の根源)で神は民衆を教化するために垂迹(形となって諸方にあらわれること)するという思想です。
神はブッダが「権(かり)に現れ」るものという権現思想もこの本地垂迹説を基調として成立しています。
「神はブッダが世の人を救うために姿を変えてこの世に現われた」
「ブッダ・阿羅漢果が人々を救うために、さまざまな神の姿を借りて現われる」
ティータイムがてら、ほのぼのとした茶飲み話がてら皆さまのご教示・ご意見やご見解をいただけましたら幸いです。2011年01月23日 (日) 18時33分 No.977
一般居士さんの話と、多少ずれるかもしれませんが、なぜ、厳しい修行を積んで執着を断てば、解脱するのか。そういう仕組みが、なぜ世界に存在したのか。最近、問題意識を持ちました。お釈迦様は真理を発見しただけであり、真理自体はこの世に存在していたわけです。どういう偶然によって、そういうメカニズムが存在するのか。私は、神が創ったとかいうことは、ないと思うのですが、まるで、貝が美しい真珠を育むように、空にオーロラのカーテンがかかるように、涅槃は神秘的だと思います。2011年01月25日 (火) 17時21分 No.985
ぱんさんへのお返事です - 一般居士ぱんさん、素敵なお話をありがとうございます。
そして遅れてのお返事となってしまいましたことを深くお詫び申し上げます。
ぱんさんの詩的情緒あふれるお話にはしみじみと想いを致してしまいました。おっしゃる通り「まるで、貝が美しい真珠を育むように、空にオーロラのカーテンがかかるように、涅槃は神秘的だ」と私も思います。
個人的には仏教ほど「非宗教的」な「宗教」はないのではないかと思っております。どちらかといえば「人はいかに生きるべきか」を説いた至高の人間哲学であって、「宗教」とは別次元の存在ではないかと思えてなりません。
透徹の知恵をもって生命や生死の実相を見つめ切り、ついにその極理を証得し、永遠に崩れない無上の涅槃を得る・・・もはや知恵浅き我ら凡夫がいかに力むとも、想像と思考の域を超えてしまう内容なのかもしれませんね。まさに「仏のみぞ知る」ですね。
因縁因果を説かれたゴータマ・ブッダの教えを考えますと、真理を真理たらしめる因縁因果もあるはずで・・・仏法は本当に深いですね。2011年02月14日 (月) 16時44分 No.1081