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輪廻転生について - 池田輪廻転生とは一体、何がどのようにして移る現象なのでしょうか?
私たちの身体や脳を構成する物質は、日々の新陳代謝で入れ替わり、排泄され、他の生命や自然に取り込まれていきます。意識そのものは死とともに消えるにしても、それを支えていた脳の構造や情報的な状態は、死後しばらくの間はまだ体内に残っています。しかし現代社会では、死後すぐに火葬され、千度近い高温によって脳もろとも徹底的に破壊されます。そのような状況でも、「輪廻する何か」は完全に保持されると本気で考えているのでしょうか? それが物質でも情報でもないのであれば、一体何なのですか?物理的痕跡がすべて消滅したあとに、どのようなメカニズムで「次の生命」が成立すると言うのですか?
仏教ではしばしば「カルマが次の生を条件づける」と言われますが、それは要するに、物理現象に対して人間が意味づけを行うことで構築された“倫理的な物語”ではないのですか?
人が「善因には善果を、悪因には悪果を」と感じるのは、社会的秩序や心理的欲求に基づく認知的反応にすぎず、自然界の客観的法則ではありません。つまり、カルマとは人間の脳内では成立するけれど、現実の物理世界には独立して存在していないのではありませんか?そしてそれが善因か悪因かを、複雑な国際社会まで考慮して判断するのは一体誰なのですか(皮肉です)。
仏教の言う「意識の流れ」や「カルマの因果」は、物理法則とも神経科学とも無関係に、独自に成立するというのなら、それはもはや検証も観察もできない、観念的な世界観にすぎないのではないですか?
私は、輪廻転生という教えは、釈迦が当時の宗教観を前提とする人々に対し、苦しみからの解脱を伝えるために用いた方便だったのではないかと思っています。本来の仏教は、観察と経験に根ざした合理的な思想だったのではないでしょうか。
この問いに対しては、たとえ宗教的立場からでも、あいまいな比喩ではなく、具体的かつ論理的にお答えいただきたいと思います。2025年07月09日 (水) 14時56分 No.6590
もっと単純です - なみ輪廻転生とは突き詰めれば変化するという当たり前のことを言ってます。
長老の受け売りですが、この宇宙では変化以外の反応はありません。
消滅するということは素粒子論から見ても自然現象ではないことになっているようです。
物質の消滅がないというなら、心だけ消滅すると考えている人間の科学はかなり怪しく思われます。
つまり、心というものが死んだ肉体から離れて消えるということは人間の妄想の可能性が高いのではという前提を抑えたいです。
これを輪廻転生という言葉で油断するなと戒めたのがこの問題の本質的な意義だと私は捉えます。
輪廻転生と聞くと一般人は自分という変わらない何かが続くと考えます。
しかし自分というものの心を観察すればただ五感と心に感情を入れている機械のようなものです。
ただ、そこに執着して生きているだけの存在だと私は思います。
その働きを切るとどこにも自分などありませんから死んだら当然心という感じることに執着している何かが感じたいというものに向かっていくということです。
それが輪廻転生だと理解しています。
だから輪廻転生をあり得ないと言うのは自由なのですが、他の生命をよく観察すると皆、なにかに執着して動き回ってます。
蜂に生まれたら巣というコロニーに執着しながら飛び回っているし、ハエに生まれたらいつもエサを探してかなり早い心で執着している。
植物でさえ、刺激に反応して成長している。
生き続けることに何か疑いを持ちながらという性格は彼らにはほとんどない。
いつか壊れて死ぬとしても自分が1秒でも長く生き残ることを目指してます。
そういう無知、混乱、見えてくると生命の心が皆なにかに執着しながら変化しながら流れる世界が見えると思います。
それで、その外側の視点を持つというのは本来生命には不可能なことです。
だから私の話を聞いても分からないかもしれません。
証明できないだろと言われれば証明できません。
しかし、変化するのだから続いてるでしょうということは出来ると思います。
木を燃やして炭になったから、これが転生です。といってもアホくさく見えるでしょう。
心が今、この人犬に生まれ変わりました、といったら「はあ?」となるかもしれませんね。
でも心の働き、執着が同じ働きなら決して違うとは言い切れないと私は思います。
だから、油断しないで人間の道を探っていきましょう。
その程度の理解で十分輪廻転生という言葉は人の役に立つと思います。
いかがでしょうか。2025年07月15日 (火) 04時01分 No.6591
因果論は妄想だった? - 青い蓮華>善因善果は・・・認知的反応にすぎない
おっしゃる通りです。
実際、眼を開いたそのとき、それがそのように映っているだけなんですね。
善もなければ悪もない。因もなければ果もない。
因果論は壮大なへ理屈です。(笑)
認知のファーストインプレッションからすれば、妄想です。
2025年07月15日 (火) 04時01分 No.6592