日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

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死ぬ事を考えるとホッとします。 - おなか
いつも為になる説法、心より感謝します。

最近、死ぬ事を考えると気持ちが楽になる自分がいます。これまで50年近く生きてきて、主に仕事で人に裏切られたり、他人の事を全く考えない心無い対応をされたりして心を病み、退職、入院して今もメンタルクリニックに通っています。

今は2つの、新しい派遣の仕事についていますが、
そこでも近日、同じようなことがありました。(指示されてない事を指示した、としらばっくれて上司の前で怒られる)(コロナの給付金を誤魔化されるなど)…

生きていくのは本当に大変な事だと思います。
しかし私には小4の息子がおり、まだまだ仕事を辞めるわけにはいかず、苦しみを堪えながら働かなければなりません。
なので息子が成人して親の責任が無くなればすぐにでも死にたいと思ってしまいます。
多分自殺はしないと思うのですが、責任から開放されて楽になれば、もう死んでも生きてもどうでもいい、
生活費や教育費の事をなんにも考えなくて済むと
ホッとして明るい気持ちになれるのです。

息子は愛してますし、出来る限りのことをしてあげたいと願っています。だから息子が成長し、゛他人゛として人生を歩める様になれば早く苦しみから開放され、
死にたいです。
この考え方は間違っていますか?
長文申し訳ございません。
2020年06月30日 (火) 11時24分 No.4800
Re.死ぬ事を考えるとホッとします。 - ひろ
どうもこんにちは。

死に期待することを希死念慮と言います。
なぜ死に期待するかと言うと、書かれている通り「責任から開放されて楽になれば」や「生活費や教育費の事をなんにも考えなくて済む」、「苦しみから開放されたい」という、『今の現状を変えたい』と言う存在欲があるからです。

これを仏教では「涅槃(完全なる死)に入る」とは言いません。
例えば、身体からは悪臭が漂い、痛みや苦しみにのたうち回っり、更に死ぬときは息を長く止めたときの様な痛みや苦しみや閉塞感による恐怖に襲われて死ぬとしたら、どうでしょうか?
また、ご子息はニートになり死ぬ直前までおなかさんに暴力をふるい金品をたかり続けたり、ご子息が事故に逢い植物状態でおなかさんが看病しなくてはいけない状況でジワジワと死ななければならないとしたらどうでしょうか。

その時に、「やっと苦しみから解放される」ではなく、「死にたくない」でもなく、『人生そんなもんだよね』と原因と結果を見てご納得(期待や悲観とは別の境地)して心落ち着けるのであれば、それは仏教で言うところの「死ぬ事を考えるとホッとします」に近いのかもしれません。

そこには次を望む心や次を望まない心、現状維持したい心は生じていません。
2020年07月02日 (木) 02時10分 No.4806
死にたいという気持ちは本当ですか? - masahito
 こんにちは
おなかさんは大変苦労なされてるなと文面からお察しします。生きるとは大変ですよね。

 同じような質問をスマナサーラ長老にされた方がいましてその時のお答えがたしか

 「嫌だからといって死んだ(自殺)としても、輪廻転生して、また苦しむ、解決しない」、「どうせ死ぬんだから、死のうとしなくてもいい」

 とおっしゃられたと思います。
また死んだときの心の状態が大事で、暗い心で死んでしまったら、暗い結果が出てしまいます。

せっかく人間に生まれたのに、もったいないです。

 またその「死にたい」という気持ちは本心でしょうか?

 本心ならばテレビ見てる時も、ケーキ食べてるときも、小4の息子さんと遊んでるときも「死にたい」と思ってるはずですがどうでしょうか?

 そして本心ならば、2~3か月くらいたっても変わらないと思うのですが、1度ヴィッパサナー瞑想で自分のお心を寝てるとき以外観察してみてもいいと思います。

 もしかしたらおなかさんの「死にたい」という気持ちは、今の環境や現状によって現れた一時的な感情かもしれません。

 ぜひヴィッパサナー瞑想を実践して確認してほしいです。スマナサーラ長老のご法話をyoutubeで
拝見するのもなにかのヒントになるのではないでしょうか。

 以上です。
 おなかさんと息子さんの幸福をお祈りします。

P.s 私も「死にたいなー」と以前思いましたが、歩く瞑想をしつづけたら「すこしでも悟りに近づきたいな」に変わりました。歩く瞑想いいですよ。
 
2020年07月02日 (木) 02時10分 No.4807
ひろさま - おなか
お答え心より感謝致します。長老の教えを学び2年ほどの若輩者ですが、どうしても解らないので恐縮ですが再度質問させて頂きます。

息を止める様なのたうち回る死にかた…とにかく早く終わって欲しい、苦しい

息子が暴力をふるい、ジワジワと死ぬ…息子(大切な人)は私が死んだあとどうなるのか、気になる、死にたくない

と思いますし……これはどなたも思うことなのではないかと思いますが、どうでしょうか?…
上の様な気持ちを持たずに、人生そんなものだよね、と思い心安らかに死ねる方というのはどのようなかたですか?
全てのしがらみを捨てて、今、だけを生きる、という教えは学んでおります。しかし、今、が辛いことがこれまでも非常に多く、どうしてもこれがずっと続くのかなと絶望的になつてしまいます。
明日事故で死ぬかもしれないし、それは仕方のない事だと自分自身では思いますが、息子が悲しむ事や責任を思うと絶望的でも死にたくないと思う、だから息子が成人したら死にたいと思うのです。
これはやはり、私の修行が足りないせいでしょうか?…

お忙しい所誠に申し訳ございません。これで質問は最後になりますので宜しくお願い致します。
2020年07月05日 (日) 08時55分 No.4814
Re.ひろさま - ひろ
どうもこんばんは。

>息を止める様なのたうち回る死にかた…とにかく早く終わって欲しい、苦しい
息子が暴力をふるい、ジワジワと死ぬ…息子(大切な人)は私が死んだあとどうなるのか、気になる、死にたくない
と思いますし……これはどなたも思うことなのではないかと思いますが、どうでしょうか?

どなたでも思うでしょう。
それはとても人間的だとも思います。
だからとても苦しみます。


>上の様な気持ちを持たずに、人生そんなものだよね、と思い心安らかに死ねる方というのはどのようなかたですか?

原因と結果を見て納得した人です。


>明日事故で死ぬかもしれないし、それは仕方のない事だと自分自身では思いますが、

その「明日」はいつ来るのでしょうか。
生まれてから今日まで「明日」を経てきましたが、未だに「明日」が来ていないのであれば、その明日と言う産物はいったい「いつ」なのでしょうか。
そもそも「明日」と言うものはあるのでしょうか。

「いつかは」や「明日は」は確定した未来なのでしょうか。
最初の質問では「息子が成長し、゛他人゛として人生を歩める様になれば」とあり、次の質問では「息子が成人したら」に変化しています。
何故未来を設定しておいて、条件が変化するのでしょうか。


>主に仕事で人に裏切られたり、他人の事を全く考えない心無い対応をされたり

その方々も家に帰ったら良き両親なのかもしれません。
一生懸命働いて、小さな子供を育てているのかもしれません。
だからどうこうというわけでは無く、その時の積み重なった条件によっておなかさんに意地悪をしたり、裏切ったりしたのかもしれません。
おなかさんの条件が変化した様に。
今までは訳も分からず攻撃されるはずがないのに攻撃されていたのが、
『条件によって変わる。そしてそれに振り回される。人生とはそういうもの』だと理解したときに、原因が分かって心は幾分か落ち着くでしょう。

同じように、条件によってご子息がニートになり暴力をふるい金品をたかり続けたり、植物人間になりその看病につきっきりのさなかにジワジワと死に行くという事も条件によってはありえます。
あり得るのに、あり得ないと思っているから心が振り回され、「とにかく早く終わって欲しい、苦しい」、「息子(大切な人)は私が死んだあとどうなるのか、気になる、死にたくない」と言う気持ちが現れさらに振り回されます。
みんなそれに気付かず振り回されるから、人間的でありいつも苦しんでいます。

ですので、ずっと続くのではなく、条件によって現象が生じてそれに心が振り回されているだけと知ることが必要です。

>これはやはり、私の修行が足りないせいでしょうか?

修行が足りないというよりは、他人の家の卵を産むめんどりを一生懸命数えて「卵を産むめんどりを数える術をこんなにも長老から教えてもらっているのに、なぜ我が家には卵がないんだ!」と嘆かれているような感じです。

長老の教えが答えなのではなく、おなかさんの生きた中に苦しんだ原因と結果の答えが隠されています。
長老の話やブッダの教えはその答えを見つけるためのヒントです。
仏道を学ぶのではなく、仏道を歩んでみられてはいかがでしょうか。
2020年07月07日 (火) 16時05分 No.4816
非生存への渇愛 - tamotsu
3つある渇愛の1つである非生存への渇愛が強く出ていますね。

渇愛は、感覚で気持ちいいことやものをまた得たいという五欲への渇愛と、生きていたいという生存への渇愛、そして非生存への渇愛の3種類があります。

非生存への渇愛は、スマナサーラ長老もちょっとよく分からないと7,8年、もしかすると10年くらい前に
文字に起こされた法話のなかで言っているのを読んだことがあります。

いまでは、こんな環境は嫌だ、変えたい、無くしたいという怒りで出てくるとスマナサーラ長老は、説法しておられます。

https://j-theravada.net/dhamma/q&a/qahp73b/

若い頃は、
こんな風あんな風な生活をしたい(五欲への渇愛)

そのうち、
贅沢は言わないからこの生活(人生)を続けたい(生存への渇愛)

そして最後に、一生懸命、生きる辛さに耐えて問題を解決しても全然楽にならない、もうやめたい。ゲームでいうならリセットボタンを押す(非生存への渇愛)

と、ずっとこんな風に人生が続きます。
小さな出来事でも、
やったるでー→しんどい→もうやめたー
そんな繰り返しではないでしょうか。

死ぬときも、もうこんな老いた体を認識するのやだと
意識が一瞬止まるのですが、すぐ五欲への渇愛が生じて何か違う対象を認識し始めて新しい生が始まります。

死は、今ある体と心の集まりをパッとやめて、
次の心と体の集まりを1から始めることなので、
死ねば楽になるかどうかは、約束されていません。

次の瞬間が楽になるかどうかは以前に生じ(させ)た善心に
よります。(善因善果)

渇愛によって苦しみは生じます(四聖諦の集諦)
非生存への渇愛よって起こす死は苦しみを生じさせるでしょうし、
いまの辛さも生存への渇愛が元です。
渇愛を無くすことが一番望みの状態になれることでしょう。

渇愛をなくすことはできます(四聖諦の滅諦)
それがヴィパッサナー瞑想を含む八正道です(四聖諦の道諦)

これが、わたし、わたしのもの、わたしの魂という見解をやめ(正見)
全ては、無常であり、虚しく苦であり、無我であると考えて、悪意をもたず(正思惟)
柔和な言葉で話すようにし(正語)
分け与えることなどの善い行いをし(正業)
命をつなぐ(生活をつづける)のも、
高く売れるからとお酒や麻薬、他の生命を殺すなどを商売とせず、盗みももちろんしない(正命)
八正道を失敗しても続けようと努力して(正精進)
気付き(サティ)を絶やさず(正念)
ヴィパッサナー瞑想と40の対象とするサマタ瞑想をして
(正定)
過ごすとつらささ苦しみがなくなります。

というよりも、それ以外抜け出す方法がありません。

こうなってほしいと望みがもしかなっても、
渇愛を無くしてないと
すぐ
大丈夫かな?このままでは破滅だとか考え始めて
不安が増えていきます。

苦しみがずっと続くと思うのも、
無常でなく常の思いが強くなってしまっています。

バブル崩壊世代は、
気付きを入れない状態(放逸)で
五欲が満たされた状態を経験して育ち、
五欲への渇愛を育て切って一気に落とされたので、
かなり人生が辛いのですが、
いまの20、30代から見ると、かなり恵まれていました。
過去形ですが。
過去形だからつらいというところです。
渇愛によっていじめ抜かれているんですね。

人間くらいしかこの渇愛を無くす修行ができません。
そして人間として生きていても、
この渇愛が苦しみの原因だ、無くす方法は八正道だと教えてくれる存在(正等覚者、仏陀)やその教えに触れることことができるのは稀です。

人間になる確率は、宝くじに当たるよりも
もっともっと低いので、
寿命が尽きるまでに、少しでも法話を聞き、
ヴィパッサナー瞑想をしてください。
着実に良い方向に進みます。
つらくてもやる
というよりも、つらいからやる。
堪えるでなく、つらい、悲しいという心にサティ(気付き)をいれる。
渇愛に押しつぶされないように、気を付けて。
2020年07月07日 (火) 16時05分 No.4818
masahitoさま - おなか
このような質問に親身になり応えて下さり、誠にありがとうございます。

輪廻転生で人間に産まれたのにもったいないと言うことなのですね。…しかし本当に生まれ変わりはあるのでしょうか?上のお話の様に証拠もありません。

なんとなくてすが
輪廻転生があるにしろないにしろ、人生とは苦しいものだと悟れという意味で
死ぬまで前向きに生きろ、とお釈迦様は言われてるのではないかと私は受け止めているのですが、どうでしょうか?…

1年ほど前は息子と話しているときや(甘いものやケーキは内臓疾患でほぼ食べられません)、TVを観ているときでも常に死にたいと思っていました。寝たきりなのであまり眠れず一人になる夜が毎日怖かったです。でも今は薬のお陰でボーッとしている時が増えて、あまり死にたいと考えなくなりました。
でも、辛いことが多いので息子が成人したらなるべく早く死にたいと思っている。(自死ではなく)
それを望み生きるのは、間違えておりますか?
ヴィッパサナー瞑想はここ2年ほど朝夜、必ず実践しております。
街を歩くときもいつも、歩く瞑想をしております。
体力がまだないので一時間~二時間とは出来ませんが…💧
私の考えが間違えているなら、ご指導頂ければと思います。もし、お時間あればお返事頂けますとうれしいですす。纏まらない文章で申し訳ございません。
2020年07月08日 (水) 11時08分 No.4821
ものにしてないのでぐちゃぐちゃな文章ですが。 - tamotsu
ここまでくるとおしゃべりになってしまうので、
やめときますね。

お釈迦様は、新しい仏弟子達が、ぺちゃくちゃ、わーわーおしゃべりしていたのを見て追放されようとしたことがあります。
十大弟子の方々が、まだ入って間もないのでととりなして事なきを得たのですが、
それから瞑想や悟りにつながらない無駄話を戒められました。

ウィセッタ・セヤドーもかなりおしゃべりについては、
だめですよーや
これ以上はおしゃべりになってしまいますと言って、
会話を遮る様子を見たことがあります。

これは、
おしゃべりや無駄話が
錯誤や妄想を強力に作り上げてしまうからだと、
ヴィパッサナー瞑想をしつづけているうちに
法話会のあとで協会の方などと何でもない普段の会話をしてる際に、
気が付きました。
普通の世間では、もっと激しく感情で会話していて
気づくことは無理だと思います。

今回は、そちらは崖になっているので危ないよー的に
非生存への渇愛が強くなってますねと答えました。

崖に続く道でないこちらの方はちゃんと目的地につきますよー的に
八正道やると渇愛をなせますよと対処法を示したのですが、
死にたいという考えが間違いかどうかという疑問が続いていたので困っていたところ、

これ渇愛によって執着(取)が強化され有(う)がどんどん作られてるんだなあと思いました。

十二因縁の渇愛→執着→有→誕生の部分は、難しいと思いますが、
タイの僧侶のアチャン・チャーが、
それも有だよ、あれも有だよ、
と弟子達に教えている説法を読んだことがあります。

執着が、物やこと、人間の世界を形作り、
そこに我々は、誕生してくるんです。

だからこの人生で出てくる物や現象は、全部
執着によって出てきた有ですよと
アチャン・チャーは、教えてくれてるんです。

執着(取)には、4つあって、
五欲などへの執着、欲取
見解などへの執着、見取
儀式、儀礼や習慣などへの執着、戒禁取
自分の見解はあってるという執着、我語取
があります。

いまやり取りをしていて、
「これが、渇愛から取が生じ、取から有が生じる
というところか」
と分かったので、
あとで自分の中でそれがどう生じてるか確かめて(ただヴィパッサナー瞑想して気づきを入れるだけ)から話そうかと思ったのですが、
やり取りが終らないと、
どうも次々に妄想や考えが浮かんでしまうので、
失礼ながらも、どこから思い付いたか書きますと、

「そうはいうけど、こうこうこうじゃないかな。」
(見取)
「あってるはずなんだけど」
(我語取)

「だって実際こうだったから」
(取から出てくる有)

という感じで、分かりました。

これは、間違ってるかなどうかなというより
おしゃべりして
非生存への渇愛から生じている見解への執着強化をして
執着による有(しんどい現象)の製造に
付き合ってきてしまってるな、

自分由来でない渇愛の流れにどっぷりと入り
きついな、つらいなという感情や見解(これも有)が
自分にも出てきてるなと
今日やってたヴィパッサナー瞑想で分かったわけです。

おしゃべりをすると、相手と自分の渇愛の流れにのって、色々なものが生まれてくるなあと感じたわけですが、
自分の渇愛を観察してこの仕組みを感じ取ってみて
もう少し智慧を開発してみます。

「そうは言うけど、お釈迦様、つらい現実は変わりません。」
と自分も思っていたのですが、
これで閉塞した感情に風穴を開けれるかもしれないなと
黙々とヴィパッサナー瞑想をしてみます。

渇愛をなくすことで、有も変わる、というかなくすことが
できる気がしてきました。
お釈迦様が言ってる通りだ、
と1人で盛り上がってしまっていて申し訳ないので、
ご挨拶がてら返信いたしました。
それでは、エンジョイ、ヒューマンライフ。
2020年07月11日 (土) 01時24分 No.4824
お役に立てば幸いです。 - さくら
どこまでお力になれるかわかりませんし、当初の文面だけではこちらの勝手な想像で状況を慮るだけなので、的外れな投稿かもしれないことをお詫びしてお断りした上での内容であることをご了承ください。

さて、現在の俗世間は競争社会なのはご存知の通りかと思います。
ですから、よってたかっていじめてきます。

ライオンがシマウマを襲うのが当然なのと同じです。
ライオンに道徳は通じません。

しかし、襲われる我々はシマウマではありません。
人間です。
仏道を実践する人間です。

ですから、理性的にこの問題に接していくことが可能です。

いじめてくる人も病んでます。
自分が可愛いのです。

でも、いじめてくる相手に「あなたは病んでますよ」と言ったところで聞く耳はないでしょう。
なので、例えば上司と部下との関係であれば、両者の会話の発生時には録音をする。

事実を記録して、派遣元の人事に相談する。
もちろん相談しても埒があかないかもしれません。
その場合は、次の手段を講じてみる。
例えば、労基署等に徐々に公にしていく。

これは理性的な行動ではないでしょうか。
どう理性的かといえば、客観的にいじめを捉えていく。
なにもいじめてくる相手を裁きたいということではありません。
裁きたいということだと怒りですから結果は良くないでしょう。
そうではなく、職場にいじめが無い方が、業務も生産的になり、会社のため、世の中のためになるのですからキチンと事実を明らかにしていく。

だれもいじめられるために職場に行っているわけではありません。
仕事をしにいっています。
ただ、それだけのことです。

比較対象は良くありませんし、適切ではありませんが、あえて分かりやすくするために申せば、仏道の実践のほうが俗世間の仕事よりは比較にならないほど高尚のはずです。

だとすれば、俗世間の仕事で悩んでいる場合ではありません。
ましてや死にたいなどと、せっかくの人間として生まれてきたチャンスを無駄にするのは、いかがなものかというのは、皆様が投稿している通りかと思います。

ここはひとつ、降りかかってきた一つの火の粉として、毅然とした態度で臨もうではありませんか。

確かに、今はご自身に不快な思いが生じていることでしょう。
でも、多くの人も同様にいじめられて苦しんでいます。
なので、自分に限った問題ではなく、社会問題のひとつとして解決にどう尽力するか。

要は、私というのを脱して、状況を観察してみる。

このような視点に立って、ご自身に降りかかっている、このいじめの問題への解決をトライしてみる。
もちろん、上手くいくとか、いかないとかは判りません。
エスカレートして派遣先からお断りが来るかもしれませんし、逆にいじめてきた相手に心境の変化が生じるかもしません。
でも、本質はピンチに見舞われたとき、どう行動するのが、私を脱して、人としてあるべき姿なのか。
できるだけのことをして差し上げたいご子息様に背中をお見せするチャンスにもつながるのではないでしょうか。

もし、おなか様にプレッシャーになるような内容であればご容赦いただき、どうぞ無視していただいて構いません。
また、間違っている、考え違いしている点があれば、ぜひ、皆様からのご指摘をいただければ幸いです。
学ばせていただきます。

本投稿で参考にした図書:くじけないこと(スマナサーラ長老のご著書)|P126あたりから特に参考になるかと思われます。
2020年07月14日 (火) 14時04分 No.4834
多分優等生の答えは - 仏弟子 MAIL
われは死を喜ばず。われは生を喜ばず。あたかも傭われた人が賃金をもらうのを待つように、われは死の時が来るのを待つ。

で~す(笑)
2020年07月21日 (火) 09時11分 No.4840
返信下さった皆様へ - おなか
この度は、質問に真剣にお答え頂き、誠に感謝致します。皆様からの言葉を考え、咀嚼するのに時間がかかってしまい お返事が遅くなりまして申し訳ございません。
自分では仏道、というかスマナッサーラ導師のお言葉を
学び、実践して参りました。今に目を向け、生きとし生けるものを愛して生きてゆくことに幸せも感じられます。しかしこれは、仏道を歩くのではなく仏道を学んでいるだけなのですね?愕然といたしました…。

産まれた命をどんなに苦しくても最後まで生ききる。
しかし生から開放されることを嬉しく思ってはいけない。私にはやはりこれが解りません。空腹の人を助ける為に火の中に飛び込むうさぎを私は尊いとは思いません。自分の命も他人の命も同じ尊いものだと思うからです。なかなか考えが纏まらず、申し訳ございません。


タモツ様
二度に渡り貴重なお話をありがとうございます。
喝愛、、非生存の執着が私にはあるのですね。
愚者の私には理解できないお話もありましたが、お言葉を読み返し読み返し、少しづつでも理解、勉強していこうと思います。本当にありがとうございました。

さくら様
勇気の出るお言葉をありがとうございます。私も一度は私なりに戦い、そして倒れて入院するという所までいき、
そこから少し回復して行った新しい職場でも同じような事が起きたので、PTSDの様になっているのだと思います。でも、戦わなくては駄目ですよね。お言葉の裏側にさくら様の優しさが見えました。少しずつ、出来ることからやってみます。

仏弟子様
なるほど、諸行無常、いつも無であり続けるという事ですね。そういういみでは、私の生から解放さらたいという感覚も変わっていくのでしょうね。気付きをありがとうございます。

お返事下さった皆様、お一人お一人に本当に感謝致します。拙い質問に真剣に応えてくださる方々にここで出会えて、私は幸せだなと感じました。それだけでもとても幸運だったと思います。

そして、このままですとまた際限なく質問してしまいそうなので… ここで一度閉めさせて頂きたいと思います。

本当にありがとうございました。

皆様の人生に多くの安らぎが訪れますように。
2020年07月31日 (金) 15時53分 No.4850


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