日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

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慈悲(?)に執着 八正道 - 思いやりと執着
今まで自分にできるだけ人に与える、ということについて、ひたすら考えてきました、与えることは素晴らしいと、たしかに、そうなのだろうなと

ただもう疲れ切ってしまいました、もうどうでもいい、見放す、この世のすべてを、宇宙を、というくらい

釈尊も、求められたなら少ないものから与えよとおっしゃっていたように思えます
なので与えることは素晴らしいと

しかし一度手放してみようと

そうしたときに、ふと全てが楽になって、なるほど、今までこれが苦しみの元だったのだな、とわかるくらいに、何もかもが安楽になりました、私はこのために苦しんでいたと、たとい、どんな大事なことを頼まれていたとしても。

グララタナ長老のエイトマインドフルステップスを開いたときに、智慧には二種類あると
気づきと、これが悟りのような感じである、という智慧と2つあると

私は、悟っているわけではありませんが、どうでもよくなるというか、何も執着する意味はなく、すべては渇愛が原因なのだな、妄想が回転しているというのは今までこのことだったのだな、回転してねじれて、苦しみをんでいた、というのがわかりました
なので全て捨てれば、全て過ぎ去っていく出来事でしかなく、まさになにもかも、どうでもいい、という感じ、だからといって悪いことをしようとは思いませんが


あとは気づきを深めて、全て観察していけばいいのか、集中力を込めて

まず、正見からやり直そうと思いました

ところで以前、八正道は、好きなところ、得意なところから伸ばすといいと、スマナサーラ長老はおっしゃっていたと思います
正見と、好きなもの同時進行でもいいでしょうか?
また、慈悲の瞑想、が偽善とならないように、しばらくやらなくてもいいでしょうか?人のために、の前に自分のために、あるいは休んでもいいでしょうか?何事でもあっても執着するべきではないのだな、と思います、慈悲の瞑想は好きですが、こんなこと言っていいのかわかりませんが、もう少し整理をつけたいです
いかがでしょうか?よろしくおねがいします。
2020年04月13日 (月) 15時33分 No.4675
火起こしのように - ひろ
どうもこんばんは。

宿題や仕事はやってもやっても終わりません。
いっそ止めてしまったらと思い、全て放棄したら楽になりました。
しかし、そのツケが来ました。
結局、楽になったと思ったのは、別の刺激に逃げただけの事でした。

以前、長老に叱られました。
せっかく智慧の筏に乗っているのに、また無知なる海に飛び込むのか? と。
その時、私はサボりたい口実が欲しかっただけなんだなと思いました。

智慧の開発は火起こしと一緒です。
木を擦って火を起こします。
休んだら火が起きますか?

疲れてしまった。それはそうでしょう。元々疲れるもの(一切行苦)なんですから。
それに気付かなかったのが、やっと気付いたと言うだけの話しです。

ただし、やればやるほど心が汚れるのなら辞めれば良いと思います。
その場合は疲れていると言うより、やり方が間違っているのでしょう。
2020年04月14日 (火) 13時17分 No.4679


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