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素食について - ^_^仏教徒が素食を実践しようとする理由について、考えてみました。
心が清らかな状態を保つためには、常に観察することが必要だと理解しています。調理プロセスが多く複雑な料理より、新鮮な食材にできるだけ手を加えず、そのまま食べる方がシンプルで、観察すべき要素が少なく実践が簡単だからでしょうか?
2020年01月26日 (日) 12時41分 No.4551
Re.素食について - ひろどうもこんばんは。
素食が何を指しているのかは分からないのですが、出家者は食べる事は生命活動を維持し、空腹の倦怠感を鎮め出家修行を進めるためと考えています。
新鮮な食材にできるだけ手を加えず、そのまま食べる方がシンプルだからとか、観察すべき要素が少なく実践が簡単だといった、怠惰で放逸な理由で食べているわけではありません。
例えば、生の人参にかぶりついた場合と、ぐつぐつ煮込まれた深みとコクがあるカレーを食べた場合とでは、生の人参の方がシンプルだからと、味や食感などの観察した内容を言葉で説明しやすいのでしょうか。
頭の中で観念化や概念化しやすいのでしょうか。
舌で感じる事が出来る機能には上限があります。
しかし、シンプルな食材だから感じる機能の働きをサボるとか、複雑な料理だから感じる機能の働きをサボらない、などは判断していません。
また観察すべき要素が、料理によって多い少ないがあるのでしょうか。
もっとたくさん観察をしてください。
答えが見つかると思います。
出家者に向けたブッダの説話を書きます。
「きみたちは托鉢食を、ただ牛車の車軸に油をさすことと同じようにして食すのです。あるいは、砂漠の中で道に迷い、そこで死んでしまった子供の死肉を、己の命を維持するためにやむなく食べるその子供の親と同じようにして食すのです」
このように行うことが、在家的な「食」を止め、余すことなくそれから離れる事なのです。
参照:
・テーラワーダ仏教の出家作法(タイサンガの受具足戒・比丘マニュアル)
・四具の観察~食事の観察~(日本テーラワーダ仏教協会)2020年01月27日 (月) 11時58分 No.4557