日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

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「充実感」を意味する仏教上の語は? - 匿名
何かを達成した時の「充実感」を意味する仏教上の語はありますか?
また、その心理学的な仕組みはどういうものになりますか?
2019年12月30日 (月) 16時49分 No.4507
悟り そのものではないでしょうか? - 匿名さん
何か出来ないと思っていたことが、達成できた時、充実感を感じますよね。心理を線分図にしてみると、出来ないが-4あったとします。それが達成できたということは、真逆の+4になりますね。その時初めて-4+4=0となり、0が現れます。0の概念の発見体験こそが、充実感の正体であり、悟りであり、空であると理解しますが、いかがでしょうか?
2020年01月26日 (日) 12時41分 No.4554
渇愛踊り - ひろ
どうもこんばんは。

とてもおいしい料理を食べるとします。
料理を
1.見たとき
2.香りをかいだとき
3.料理をすくったとき
4.口に運んでいるとき
5.口に入れたとき
6.舌の上に乗せたとき
7.噛んだ時
8.噛んで舌の上に乗せたとき
9.舌の上で味わっているとき
10.唾液と混ざったとき
11.飲み込もうとしているとき
12.飲み込んだとき
13.一回で呑み込めず口の中に残った料理を飲み込んでいるとき
14.口の中に残った料理も飲み込んだとき
15........
どこに充実感を感じているでしょうか。
また充実感を感じる前と後の動作では何を感じていましたか。

それが充実感の仕組みと答えです。
充実感は別の宗教の悟りかもしれませんが、仏教で言う悟り(解脱)とは程遠いものです。
仏教で言うと、タイトルにある通り、渇愛に踊らされているだけです。
2020年01月27日 (月) 11時58分 No.4555
RE:「充実感」を意味する仏教上の語は? - naagita(admin) MAIL MAIL
スマナサーラ長老の著作『充実感こそ最高の財産』では以下のように説明されています。

https://www.amazon.co.jp/dp/B01AUTBSNS

*****************

(Q)仏教が言う「充実感」と、私たちが知っている日本語の「充実感」とは、少し意味が違うように感じたのですが……。

(A)「充実」という言葉は、パーリ語でsantuṭṭhi(サントゥッティ)と言います。これは『メッタ・スッタ』(慈悲経)や『マンガラ・スッタ』(吉祥経)など、いくつかの経典に出てきます。
 サンスクリット語に、喜びや快楽を意味するsantusという語があります。お釈迦さまはこのsantusという語を使って、「充実感」という仏教用語にしました。充実感は、人間が育てるべき性格の一つです。日本語でも「充実」という言葉がありますが、その意味はお釈迦さまがおっしゃったものと違います。
 お釈迦さまがおっしゃる「充実」とは、超越した智慧のことです。私たちはいかにもわかっているような顔をして、「なんだ、お釈迦さまはそんなことしか言わないのか」と思うかもしれません。でもそれは誤解です。「充実」とは単純な教えではなく、超越した智慧なのです。
 では、仏教が教える「充実」とはどういうものなのでしょうか?
 ものごとは瞬間瞬間、変化しています。一つひとつの瞬間は二度と繰り返されることがありません。永久に戻ってこないのです。輪廻の中で、無始なる過去から、ずっと変化し続けているのですが、ある一つの瞬間が戻ったということは一度もないのです。
 ところが私たちは、「明日がある」と思って今の瞬間を怠けて過ごしているのです。「明日がある」と考えてしまうのは無常の論理を知らないからですが、実際のところ「明日」という日はないのです。明日の自分はまったくの別人ですからね。すべての現象は瞬間瞬間変わっているのです。変わらないものは何一つありません。ですから「あるのは今の瞬間だけ」という真理をよく理解して、生きていなくてはならないのです。今の瞬間を最高に生きることが何よりも大切なことなのです。
 たとえば賞味期限が切れたものを食べている人がいるとします。その人は、その時その人にできる一番いいものを食べているんですよ。ですから周りの人の目を気にしたり、腹を壊したらどうしよう、などと頭の中でゴチャゴチャ考えないで、「自分は今の瞬間で最高のものを食べている」と思って、堂々と生きていればいいのです。
 たとえば足を捻挫したとします。そうすると通常のようにスムーズに歩くことはできませんね。だからとその人が「へんな歩き方」をしていると言えますか? へんな歩き方をしていないのです。その時その人ができる精一杯の歩き方をしているのです。ですから「人に笑われるのではないか」とか「恰好悪いなあ」と心配する必要はないのです。ぎっくり腰になってぎこちない歩き方をしていても、その人はその条件の中でできる、ギリギリの正しい歩き方をしているのです。
このことを理解するには、ちょっとした智慧が必要です。俗世間の知識レベルではなかなかわからないよと思いますよ。でも理解できれば人生は楽しくなりますし、充実感も生まれてきます。 
 そこで充実感を得るために、瞬間瞬間の現象をしっかり確認してみてください。一瞬も無駄にすることがないように。
 お釈迦さまはこうおっしゃっています。「自分でやってみなさい。試してみなさい」と。仏教は信仰するものではなく、自分で確かめてみるものです。実際に自分でやってみれば、論理がどんどんわかってきて、幸せを実感できるようになります。これが、言い換えれば「悟り」というものなのです。
 このようなお釈迦さまの言葉があります。
 Santuṭṭhī(サントゥッティー) paramaṃ(パラマン) dhanaṃ(ダナン)「充実感こそ最高の財産である」――これ以上の言葉がほかにあるでしょうか!
2020年01月27日 (月) 12時03分 No.4560
ありがとうございます。 - 匿名
スマナサーラ長老の本を読み返してみたいと思います。
2020年02月24日 (月) 19時16分 No.4617


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