日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

日本テーラワーダ仏教協会の質問&議論用の掲示板です。
投稿は個人情報を削除した上で編集しHPや協会機関誌等に転載する場合があります。
YouTube「日本テーラワーダ仏教協会事務局」チャンネルのQ&A動画で取り上げる場合もあります。

画面左上の検索フォームで過去の書き込みをキーワード検索できます。
投稿は管理人が内容を確認後に掲載します。不掲載の理由問合せにはお答えできません。

質問や相談にコメントする場合は"真理を守る"謙虚な姿勢を心がけましょう。
お問合せは、info@j-theravada.net まで。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

掲示板一覧に戻る

こちらの関連記事へ返信する場合は下のフォームに書いてください。

とま > ひろ - とま - ひろ - 
「性別」を理由に差別される場面になるとどうしても気分が悪くなってしまう - とま
私は、普段あまり細かいことは気にならないのですが
こと「女性である」ということを理由に差別をされたときにどうしても不愉快だなぁという気持ちを抱いてしまいます。
具体的には、何か欠点を指摘させるときに「あなたは◯◯が苦手ですね」と言われれば「その通りです、頑張って克服します」と素直に受け入れられますが「あなたは"女性だから"◯◯が苦手だね」という言い方をされるとものすごく不愉快な気持ちになります。
また、親戚の集まりなどで男性陣は何もせずドカーンと座って飲み食いしていて女性達だけでせっせと食事の支度をしなくてはならない状況でも、嫌だなぁという感情を抱いてしまいます。
スマナサーラ長老の著書の中で差別について『あなたは女性だからお茶汲みしなさいよ、などというのはとんでもない差別ですよ』と書かれていましたし、
生命は皆平等であり、肌の色や性別などで差別してはいけません、と仏教では「差別をする側」の人間に対しては厳しい態度を取っていますが
「差別された側」になったとき、どのような対応をするのが仏教徒として正しいのでしょうか?
ちなみに私は「性別が理由で不愉快な思いをするとわかっている場所にはなるべく行かない」という選択をしてしまっていますが、それはやっぱり良くないのでしょうか…?

2019年11月28日 (木) 13時00分 No.4478
Re.「性別」を理由に差別される場面になるとどうしても気分が悪くなってしまう - ひろ
どうもこんばんは。
ブッダはブッダの教えを実践する人に対して、差別をする側される側問わず、怒り嫉妬憎しみを持つなと言っています。

また、ブッダの教えを実践する人に対して、他人のしたことしなかったことを見るな、自分のしたことしなかったことを見ろと言っています。

我々は、常に差別する側であるわけではなく、常に差別される側でもなく、常に傍観者でもありません。
常に移ろい、ときに差別する側、ときに差別される側、ときに傍観者だったりします。

つまり常に言葉を解釈し判断し妄想や思考をしています。
どうせなら、少しでも無常・苦・無我にいきつくように思考をしているのならともかく、ただ苦しみを生むだけで終わります。

差別されたという気持ちがあるので不愉快さ(怒り)が湧いてしまいます。
ただの発音だと気づく事と、終わる事だと気づくと怒りは静まります。

ここからがブッダの実践(日常の瞑想)になってきますが、他人のしたことしなかったことを見ない、自分のしたことしなかったことを見るという事を毎日やると、心が色々求めて動き回るという事が分かってきます。
そうしていくと心は動く性質のもので常に知る機能が起動していてコントロールが難しいという事が分かってきます。
心が飛んでもすぐに気づきを入れるようにして、手放せるようにしてください。


>「性別が理由で不愉快な思いをするとわかっている場所にはなるべく行かない」という選択

これはそれでよろしいと思います。
条件によって怒りが生じ、今の自分に手放すのが難しいのならそこに行かないというのは、今の自己をしっかり観ている証拠になります。

参考:
ダンマパダ50偈
他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。

ダンマパダ221偈
怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。
2019年11月29日 (金) 15時55分 No.4479
ありがとうございます。 - とま
遅くなって申し訳ありません。
他人が私にしたこと、しなかったことを見ない。
これを心がけていてもなかなか心にひっかかりがあり、ジェンダーのことになるとその差別を無視できない自分がいます。
個人の業で心に引っかかるものが違うという話を昔スマナサーラ長老が仰ってて、私は性別に強いコンプレックスを持っていて女性であることが悔しいという気持ちが強いという自分の性格は自覚しています。
やはり瞑想実践がもっと進み、何を見聞きしても冷静で居られるようになるまではそういう場所に行かない、そのような情報に触れないという選択を取っていこうと思います。
逃げではないかと不安に思っていましたが、自信を持って距離を置くべきものとは距離を置き、自分自身の成長に集中したいと思います。
ありがとうございました。
2020年02月02日 (日) 18時31分 No.4570
どこから逃げるのでしょうか - ひろ
どうもこんばんは。

逃げるというより、厭離と言った方が良いかもしれません。
具体的な場所から離れるためというより、手放せない不愉快な思いから離れてください。
場所が変われば、厭離する事が出来るのであれば、堂々と逃げるのは選択肢としてありなのではないでしょうか。
2020年02月03日 (月) 18時46分 No.4575


名前
メール
ホームページ
タイトル
本文
画像

削除パスワード Cookie

RSS
Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板