日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

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崎山 > ひろ - tamotsu - tamotsu - 崎山 - 
悟りと即身成仏は違う物なのでしょうか? - 崎山 MAIL
日本仏教、特に密教の中に即身成仏と言う物がありますが、お釈迦様が悟りを開いて仏陀と成った事とは違う物なのでしょうか?
お釈迦様は悟りを開く前、苦行を行い餓死寸前となった所をスジャータと言う娘に粥を与えられ、そこでお釈迦様は苦行ではない苦楽中道の中に悟りへの道を見つけたと言うのであれば、断食の苦行の末に即身成仏すると言うのは苦楽中道では無い、お釈迦様の悟りとは別の事のように思います。
お釈迦様の悟りと即身成仏は違う物なのでしょうか?
2019年09月11日 (水) 17時54分 No.4412
Re.悟りと即身成仏は違う物なのでしょうか? - ひろ
どうもこんばんは。

密教の中に即身成仏に関しては、密教の宗派に聞くしかないと思います。
ただし、即身成仏されていない人からは望む答えは返ってこない可能性が高いと思いますが。

Wikipediaによりますと、「即身成仏は生きたまま異次元の(大日)如来と結合して仏となる」
更に、修法では護摩行が重要とされています。
他にも阿字観や別尊法などありますが、歴史上どれもブッダが生きていたころにはありませんのでブッダの悟りとは違う可能性が高いと思います。

涅槃との関係も考えてみましたが、日本密教即身成仏界の第一人者(?)のお大師様こと弘法大師空海上人は、高野山の奥の院から今も諸国行脚しているようです。
ご本人の希望では兜率天に生まれたいという事も言っていたようですが、、、、
結局、即身成仏は有余涅槃でも無余涅槃でもなく、また阿羅漢が入られた般涅槃(パリニッパーナ)とも違うように感じます。
しかし、お大師さんとは話したことも無ければ面識もないので正直なところは分かりません。


>断食の苦行の末に即身成仏する

ところで即身成仏と即身仏を混同されているようなことはありませんか?
大乗仏教の話になりますが、即身成仏では生きたまま仏になり、即身仏は(死んだ人間が)ミイラとして、物理的な身体が仏になる肉体的・物理的な意味合いが強くなります。

たまに上座部のお坊さんがミイラで祀られていますが、即身仏としてではなく高僧として崇められています。

2019年09月18日 (水) 17時02分 No.4413
違うものです。 - tamotsu
その通りで、全く違います。

悟りは、渇愛をなくせば、執着がなくなり、生存つまり苦が続く輪廻転生をする状態でなくなることなので、

摂取する食べ物を選別し、制限していき、
だんだん生命活動(今生だけの五固取蘊の生命活動)を
止めていく即身成仏とは、違います。

即身成仏の際に働いている
即身成仏をする人やその周囲の人々の煩悩は、
極限まで(死ぬまで)食欲や生きたいという欲を抑えることがすごいという思いや、
そのような行為ができる人はすごいという信仰になるほどの誤った礼賛です。

お釈迦様は、苦行をして欲望を抑えても、
結局は渇愛がなくならないことを知り尽くしたので、
苦行に見切りをつけました。

そして布施された乳粥によって元気になって、
悟るための瞑想に入られました。

お釈迦様の苦行は、ただ我慢する苦行ではなく、
やってみて、これはどういうものなのかと観察分析することが、付け加えられます。

ヴィパッサナー(観)瞑想でサティ(念)をいれて
生じる現象を確認していく方法です。

サティをいれることによって集中力も増し、
欲望、怒り、無知(私があるという邪見)が抑えられ
その状態で現象の確認もすることができます。
生じる現象を正しく知ることができ、
全てが無常であり苦であり、無我であることが分かって
渇愛がなくなります。

渇愛がなくなった瞬間、あっと分かって、
行(サンカーラ)がなくなる瞬間を知ることができます。
そこが悟りの果をえた瞬間なので、
そこを目指して皆、ヴィパッサナー瞑想を修行し続けているわけです。

即身成仏は、欲を抑え、死体がミイラになるよう
自分で自分に処置をして死んでいくことなので
全ての欲望や煩悩を消し去った阿羅漢さんならできるだろうと
煩悩でいっぱいの凡人ならば考えますが、
阿羅漢さんならばやりません。まったくの無駄なので。
誰も救えず、意味もなく、なおかつ間違った見解を周囲に
撒き散らすので、まずしません。

悟りの最初の預流果を得た聖者で
戒禁取(かいごんしゅ;間違った慣習や習慣への執着、固執)がなくなるので
その段階の悟られた方々でもまずしません。

即身成仏は、あくまで悟っていない人が、
人伝に聞くならば、悟った人とはこういう人で
そらならば、このような祈祷や呪術と合わせるならば
こういう風にすれば悟れるのだろうと
間違った見解を積み重ねてできた伝統的な技法です。

ヴィパッサナー瞑想以外で悟る方法はありません。

悟りとはどういうものかは、
戒を守って正しく説法される比丘の法話を聞きながら、
ヴィパッサナー瞑想をし続けて、
自分の心身で確かめていくことが重要です。

知識を蓄積したらヴィパッサナー瞑想も忘れずに
行うことでそれが可能となります。


2019年09月18日 (水) 17時02分 No.4415
アチャン・チャー法話集にて - tamotsu
よい法話を見付けました。

株式会社サンガから出版されている
アチャン・チャー法話集第三巻
智慧への道 気づきと正知による心の観察

P.257「36 超越」
は、苦行を止められた釈尊について紹介しています。

抜粋
「菩薩は、「死ぬまでーたとえ断食で餓死するまで苦行したとしても、何にも達しない。なぜなら苦行は世俗の価値や高慢に影響されているのだから」ということを理解しました。観察を深め、やがて「正しい道(サンマーパティパダー)」を見出だしたのです。」

この断食で餓死するまで苦行したとしても、何にも達しないというのは、まさに即身成仏しても何にも達しないということを言ってます。

他にも苦行について最初の3,4ページで書いてありますので、
参考にしてください。
2019年09月18日 (水) 17時02分 No.4416
悟りと即身成仏の違いの質問のご回答へのお返事 - 崎山 MAIL
皆さま、ご回答とご説明をありがとうございます。

即身成仏と即身仏は違うんですね。混同しておりました。

悟りや即身成仏にも色んな解釈があったりするのかなと思いますが、お釈迦様の教えを大切にした修法が一番良いのかなと言う感じはしますね。まずは慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想をやってみようと思います。

ご回答ありがとうございました。

皆さまに悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
2019年09月19日 (木) 15時02分 No.4418


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