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こんにちは。
スマナサーラ長老の本を読み始めてから、心が軽くなってとても感謝しています。
たまにYouTubeも見て、真剣にいろんな質問に答えて頂いていて、とてもためになります。本当にありがたい気持ちでいっぱいです。
猫ちゃんも可愛いです。
質問なんですが…
仏教の事もなんですが
調べるほど、知識は増えていきますし、同時に「こういう場合はどうなんだろう?○○はこう言ってたけど…」等、疑問がどんどんわいてきます
そういうときは、知識欲みたいなほうが勝ってしまう気がしますが、これは欲かなと思って気を付けたほうがいいんでしょうか?
自分の生きている時間は、少しずつ流れていくのに、調べればどんどん出てくる知識には時間は凝縮されている感じがします。
自分は自分のやっている分野をコツコツと、深めていって
ほかの分野のことは、必要なとき専門家の人から教えてもらう、みたいな形がいいんでしょうか?
その専門家が言っていることが正しいのかどうか
不安になるから、みんな自分で知識を増やすのでしょうか。
2019年08月08日 (木) 23時07分 No.4383
Re.知識について - ひろどうもこんばんは。
いくつか混ざっているようなので、少し整理してみましょう。
「調べるほど、知識は増えていきます」
先ず、情報革命もあって毎年情報量がけた外れに増えています。江戸時代に比べたら情報量は数万倍以上になっているそうです。
キリがない知識増加に対して、疑問もキリがなく湧いてきます。
まず知識というのは、基本的に生きる上での生活の知恵の下準備です。
ですので、あまりにも役に立たなさそうな知識は放っておくのが良いです。
「欲かなと思って」いるときは、すでに欲になっていますので、気を付けた方が良いです。
そして、怒りや嫉妬憎しみなどの貪瞋痴を起こさせるような知識は触らない方が良いです。
例えば、芸能ニュースや犯罪のニュースで貪瞋痴が生じるようなら、そういった知識は取らない方が良いです。
「ほかの分野のことは、必要なとき専門家の人から教えてもらう」
そのシチュエーションがごくごくたまにしかないのなら、それもありでしょうが、結構な頻度であるようなら知識として入れておく必要があります。
例えば、日本人で日本に暮らしていて、スマホが無いと漢字や自分の家の住所も書けないのは問題です。
かと言って、シンハラ語しか喋れないスリランカ人に何かを聞いたり教えることが無いにもかかわらず、シンハラ語の勉強をする必要はありません。グーグル翻訳で十分です。
もちろん、趣味としてやる分には問題ありませんが、優先順位を間違えてはいけません。
例えば、学生だとして、明日数学のテストがあるのに、昨日終わった英語のテストの復習をしますとか、ひどい場合は、明日テストなのに、勉強せずに部屋の片づけや雑学を学んだり等です
「専門家が言っていることが正しいのかどうか」
元々専門家が間違っていたり、知識は発見とともに、古くなったり間違いだったという事はよくあります。
例を出すと、数百年前当時の最新科学兼天文学である天動説は今や見る影もありません。
うのみにせずに、それが正しいのかどうかを検証する必要があります。
「不安になるから、みんな自分で知識を増やすのでしょうか」
貪瞋痴からどんどん知識を増やしていきます。
知識を増やせば増やすほど、貪瞋痴にまみれてくるというのを肝において、優先順位を決め生きる事の知恵の下準備に必要な知識を入れていくのが良いのではないかと思います。
2019年08月11日 (日) 14時48分 No.4385
ひろさん
ありがとうございます!
とても分かりやすく理論的に答えていただいて。
いろんな情報と、周りの人の様々な意見等があり
その度に、混乱しがちでした。
質問も何やら纏まりがなくスミマセンでした…
なるほど、知識は知恵の下準備だったんですね。
インプットするにも、そのつど自分に必要かどうか、選択したほうがいいんですね。
時には放っておく。
それは、「気づき」がないとできなさそうですね。
優先順位も、客観的になれないと、なかなかつけられないし…
気をつけます。
どのお答えもとても役立てられそうです。
本当にありがとうございました。
2019年08月15日 (木) 00時27分 No.4387
こんにちは
なかなか難しい問題だと思います。
テーラワーダ仏教(完成された教え)と異なり、俗世間では様々な人が十人十色な意見を持っているので、何が正しくて何が間違っているか分からなくなりますよね。
フウミ様が言われるように
「調べるほど、知識は増えていきますし‥以下略」
→ このような問題を一発で解決できるような方法はないと思いますが、断片的な情報や知識に頼るよりも、「教養」という視点を持つと良いと思います。
最近、面白い記事を見つけたのですが、
「教養=問題解決能力」
というもので、これは3つの要素に分解できるようです。
1)問題を「正しく」認識する力
2)コミュニケーション能力
3)知識・情報をツールとして使いこなす力
もし、ご興味があれば下記のURLをご参照ください。
横浜市立大学「教養とは」
https://www.yokohama-cu.ac.jp/academics/core/outline/culture1.html
次に、
「そういうときは、知識欲みたいな‥以下略」
→ これは特に害のある情報や知識でなければ、その情報なり知識に対して「関心を持つ」こと自体は良いことだと思います。
仏教の宝である智慧(パンニャ)は、様々な説明をされますが、何か問題が生じた際に、ヴィパッサナー瞑想で妄想や煩悩が減少してくると智慧が現れ、直感のような形で正しい解決策が閃くといった説明です。
。
スマナサーラ長老は(書籍の名前は忘れましたが)、智慧が機能するためには、一定レベル以上の情報や知識がインプットされていないといけないというような趣旨のことを書かれていました。
最後に
「自分は自分のやっている分野を‥以下略」
→ 私の場合ですが、
とりあえず、その分野なり領域の全体像を広く浅く、(歴史的背景も含め)俯瞰的に捉えます。
そして、その分野なり領域の核(幹)になる部分はどこにあるのか? 何なのか? を考え、一言でいうなら「〇〇である」と言えるくらいまで理解を深めていきます。
他の分野のこともザっと上記のように予習をしておくと、専門家と話す際にもコミュニケーションがスムーズになります。
まあ、言うは易し、やるは…というやつですが。。
「その専門家が言っていることが正しいのか‥以下略」
→ 専門家でも見解は様々です。
むやみやたらに知識を増やすのではなくて、最初はウィキペディアのようなものでも良いと思いますが、可能であれば、ご自身で一時資料である論文や論文をまとめた系統的レビューのような資料を当たるのが良いと思います。
参考になれば幸いです。
2019年08月16日 (金) 13時12分 No.4389
イエモンさん
こんばんは。
ご返答ありがとうございます!
的確にお答えいただいてとても希少ですしありがたいです。
リンク先、読ませていただきました。
「教養」という言葉は、普段使わず(いまいち言葉の意味がわからないので)
避けていましたが
「問題解決能力」に置き換えて、色々細かく書かれていて、なるほどと思いました。
目の前のモヤモヤしたものが無くなってきて
勉強するべきものが、見えてきた感じです。。
無暗に知識を増やしていくのではなくて
大事な学びとは、どういうことなのかがまず前提にあると、方向性が見えてきますね。
あと、「専門性と教養が、相互に高めあうという」という見方は面白かったです。
幅広く俯瞰的にとらえて、さらに核は何なのか
と二つに分けて考えるのは、とても分かりやすいです。
俯瞰の目が自分には足りてなかったので
教えてもらえて、「なるほど」とスッキリしました。
そうですね、他の専門の方と、コミュニケーションするときにも、勉強するべきですね。
昔から悶々としてたのですが
たくさん手掛かり頂きました。
どうもありがとうございました!
2019年08月20日 (火) 13時26分 No.4392