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生きとし生けるものが幸せでありますように。
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慈悲の子育て - さぶろう子育て真っ最中の中年男性です。
慈悲の瞑想から子育てのヒントを得ました。
私の親しい生命が幸せでありますように
→子どもの幸せを願う親であるならば…
私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように
→暑さ・寒さなど身の危険から守ってあげなさい
私の親しい生命の願いごとが叶えられますように
→栄養のある食事など身を助けるものを与えなさい
私の親しい生命に悟りの光が現れますように
→可能性を信じて成長をあたたかく見守ってあげなさい
いかがでしょうか?
2019年07月28日 (日) 18時18分 No.4365
Re.慈悲の子育て - ひろどうもこんばんは。
愛着(執着)と慈しみを混同しなければ良いと思います。
例えば、子供は私のものである、などの気持ちは愛着(執着)です。
親がどんなに子供の幸せを願おうが願うまいが、子供自身は自分の幸せを追い求めます。
子供を扶養していないし関わってもいない他人からすれば、子供への慈悲はその幸せを応援するレベルです。
しかし親となると責任が生じるので、応援レベルでは済まずより深いレベルの慈悲が必要になります。
中には子供を自分の所有物のように扱う親もいます。
何もしない親や、ただ甘やかすだけの親もいます。
また子供の幸せを願わない親もいます。
子供は子供でどんどん反抗していきます。
自分の追い求める幸せのためには、親が邪魔だと思う時があります。
身近なところで言うと親の言う事を聞かなくなったり、親と一緒に居たく無くなったり、親を困らせたり等です。
子供にとって親との生活は、生まれて一番最初の「人から人間になるためのチャンス」です。
守られることと同時に生きる事を学ばなければなりません。
いわば親は先生みたいなものです。
先生としての自覚が出るなら良いのではないでしょうか。
参考
両親は最初の先生
https://j-theravada.net/dhamma/kougi/kougi-106/
2019年07月29日 (月) 10時06分 No.4370