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妄想と欲について - 常幸ヴィパッサナー瞑想をやっていて、いかに妄想に取り憑かれやすいかが分かってきました。ぐぐっと目の前に集中しようと日々取り組んでいます。
そこでふと思ったのですが、妄想を無くしても欲は無くならないのではないかと。
例えば街中で綺麗な人を見かけて、変な欲がふっと起きて、後は妄想しなければそれが続く事はないのですが、ふっと起きた欲はふっと起きてしまうなぁと。
更にその先もあるのかもですし、分からないのですが、ちょっと沸いてしまった疑問で。
色々調べても、欲と妄想って一緒に語られる事が多いので、聞いてみたいと思いました。2019年07月23日 (火) 12時18分 No.4360
こんにちは。
私も現在、スマナサーラ長老の法話や書籍、アビダンマ等の教学を勉強しながら、ヴィパッサナーを実践しています。
徐々に教学が分かってくると瞑想にも身が入りますし、面白さも出てきますので、私が理解している範囲でお答えさせていただきます。
やや長くなりますが、私の勉強も兼ねていますのでお許しください。
◆まず、とても簡潔に煩悩について書くと以下のようになります。
1)貪瞋痴(欲・怒り・無知)の三毒は「苦」です。
2)人間も含め生命は貪瞋痴(煩悩)によって生まれ、煩悩で生きています。
3)貪瞋痴(苦)の原因は執着です。
4)心が何かの対象に執着することで貪瞋痴(苦=煩悩)が発現します。
5)心が執着する対象に制限はなく、その度合いに応じてレベルがあります。
例えば、綺麗な女性を見て(眼識・意識)、心がその女性を見た時に、心からはスパイダーマンのように執着という名の粘着糸を放出し、その女性にくっつけています。すると「綺麗な女性だな!セクシーだなあ!」といったような欲が生まれます。その粘着糸が細くて、すぐに切れてしまうような糸であれば、常幸様が言われるように欲の煩悩がふっと現れて、またすぐに消えてしまいます。
仮に、心があまりにもその女性を気に入ってしまい、ちょっとやそっとでは切れないような特大の粘着糸を放出してしまうと、俗世間でいう「一目ぼれ(愛欲・愛着)」になってしまい忘れられなくなります。
ヴィパッサナー実践(瞑想)では、綺麗な女性を見ても「見た」とか「見ている」という認識段階で止めてしまいます。これを何回も繰り返すことで煩悩が生じないように心を矯正していきます。
ちなみに、ご質問の欲の煩悩は、悟りの最終段階である阿羅漢果までは完全に消滅しないようですが、この段階の欲は色界や無色界への執着といった高次元の欲のようです。
ご質問の「妄想をなくしても欲は無くならないのではないかと」ということですが、妄想を無くしてしまえば、常幸様の提示されるレベルの欲であれば無くなると思います。
以下にその理由を述べていきます。
◆心が執着する対象
心が執着する対象は、根本煩悩と根本煩悩以外の煩悩があります。前者は粘着性の糸というよりも、鉄の鎖で生命を輪廻の輪に結び付けているレベルの強力なものです。
仏道の修業は、この鉄の鎖を断ち切り、輪廻の輪から脱出する(解脱)することを目的としています。
分かりやすくするためにゲームキャラに例えてみます。
1)SS級ボスキャラ・レベルの根本煩悩
自我・生存への執着、上分結の煩悩
2)S級ボスキャラレベルの根本煩悩
下分結(疑・戒禁守・有身見、欲、怒り)の煩悩
3)A級以下は雑魚キャラ煩悩
根本煩悩以外の煩悩。妄想に付随して起こる煩悩。
ところで、スマナサーラ長老の法話や著書の中に、たまに出てくる重要な情報があります。
それは、SS級およびS級レベルの根本煩悩と戦うためには、まずは妄想が無くなっていることが一つの条件であるようです(参考:A・スマナサーラ(著)『頭が突然鋭くなる瞑想法』)。
つまり、妄想が無くなって、ようやく根本煩悩に対する修業がスタートできるということのようです。
◆妄想・煩悩が現れる過程
(参考:チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)『なぜ、妄想するのか? 妄想の対処法』)
例)綺麗な女性を見た場合
1)色(光)・眼(感覚器)・眼識が結合することで接触が生まれます。
2)接触するという条件によって感受が生まれます。
(この段階で意識とも接触しています)
3)自分が感受したものについて自分に知覚が生じます。
(この段階で自分や私という自我(の錯覚)が生じます)
4)自分が知覚したものについて自分に思考が生じます。
(この思考が生じるのに付随して自動的に渇愛・慢・見の煩悩が生じます)←根本煩悩
5)自分が思考したものについて自分に妄想が生じます(→原因)。
(この段階で、綺麗な女性だ!セクシーだ!等と、それを言葉にしようとします。この段階で思考はかなり増殖し、貪瞋痴の煩悩で汚染されています)←結果
釈尊は、この妄想・煩悩への対処法として、結果への対症療法ではなくて、原因への根本治療を推薦しています。
つまり、妄想の結果として表出する種々の根本煩悩以外の煩悩(雑魚キャラ煩悩=綺麗な女性だ!セクシーだ!)に対する治療法は、その原因である「妄想を叩き潰す」ということになります。
以上のような妄想・煩悩の発生メカニズムから、ヴィパッサナー実践では、見たら「見た」、聞こえたら「音」、知覚が生じたら「感じている」、そして妄想が現れたら「妄想」や「雑念」とラベリングして消していく作業を繰り返していきます。
◆まとめ
・ヴィパッサナー実践(瞑想)は、執着という名の粘着糸を出さないように常に感覚と心を管理する実践です。
・妄想(原因)に付随して起こる欲や怒りの煩悩(結果)は、妄想が出なくなるレベルまで修業を続ければ大半は消滅する。
・妄想が無くなってから、根本煩悩に対する修業が開始できる。
2019年07月24日 (水) 14時44分 No.4361
回答ありがとうございます。 - 常幸イエモンさん
ありがとうございます。
長文なのに、文章が上手くて、すごくわかりやすく、すっと入ってきました。
妄想を無くす事からスタートにたてるとは。
そりゃ妄想ばかりの今の自分に欲の正体が分かるわけないですね‥。
しかし、自分の感覚とおっしゃっている内容が合ってる事が、安心しました。
何年も心を無にする風な瞑想はしていましたが、ヴィパッサナー瞑想をしなければ、こういった事にも気付けませんでした。本当有難いです。
妄想と戦い、連敗の日々ですが、いつか妄想を叩き潰せるように(これも執着になってしまう?)ヴィパッサナー瞑想を続けていきたいと思います。
ご丁寧にありがとうございました。2019年07月26日 (金) 18時39分 No.4362
こんにちは。
文章が分かりやすかったようで安心しました。
「いつか妄想を叩き潰せるように」という意気込みで修業に励むことは良い欲であり、モチベーションの維持にもなるため、持つべき「意欲」とされています。
ただ、瞑想中に意気込みすぎると心が固くなってしまうので、瞑想中はできるだけリラックスした方が良いのではないかと思います。
ところで、お釈迦様の時代には、妄想を克服し、心(無意識)が安定した状態でサマーディの色界第4禅定に入り、そこからヴィパッサナー瞑想に移行するという、聞いただけでやる気を失いそうなことをしていたようです。
悟りの第1ステージである預流果だけは、悟りの体験(五蘊は無常・苦・無我)が無くても、三宝へ帰依し、戒を守り、仏法(特に四諦八正道)の深い理解においても至ることができるようです。
これは、私の推察ですが、預流果に至った時に消滅する煩悩である疑・戒禁守・有身見(すべて無知に属する煩悩)の3つだけであり、欲や怒りの減少が含まれていないことからも、釈尊は仏法の理解を想定した階梯だったのではないかと考えます。
(この辺りのことは、どこかで長老に質問したいと思います。)
結論としては、教学の理解と瞑想の実践の両立は欠かせないということと、五戒を守り、心を安定させ善に向けることは非常に重要であるということです(日々のニュースの事件・事故は、よくよく観察してみると殆ど五戒を守らないことに起因していますよね)。
お互いに精進しましょう。
参考
1)藤本晃(著)『悟りの4つのステージ』:サンガ.2015
2)A・スマナサーラ長老(著)『宝経法話』:サンガ.2015
3)協会Youtube Q&A「預流道の特徴」「預流果と五戒の関係
2019年07月28日 (日) 18時18分 No.4366