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生きとし生けるものが幸せでありますように。
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日本テーラワーダ仏教協会のヴィパッサナーはサマタ? - 錫(疑)http://hachisu-net.com/issei/kyoumi.html
ここの解説を見る限り、我々協会の教えを学んでいる在家が行っているヴィパッサナーはサマタであるということですが、
本当ですか?
確かにヴィパッサナーはものすごい集中力を持って行わないと先には進めないだろうとは思ってましたが、ここには私が今までやってきたヴィパッサナーはサマタであると完全否定されています。順番は違えど、日本テーラワーダ協会で教えてるヴィパッサナーはヴィパッサナーじゃないんですか?それともあらかさまなサマタなんですか?
私がここの教えで行って来て得られる効果が
”ヴィパッサナーによる「効果」”ではなく、サマタという別の瞑想による「効果」だったのなら正直ショックです。
協会の教える、”在家”に対してのヴィパッサナーがサマタで、それで禅定が完成し、”このままの方法で”いずれは本当のヴィパッサナーに出会えるというのなら良いんです。
ヴィパッサナーがヴィパッサナーかサマタになってしまっているのかは個人によると思いますが、
正直な答えが欲しいのです。
テーラワーダで教えているヴィパッサナー瞑想は
本当にヴィパッサナー瞑想なのか。長老やすぐれた経験者の場合だと本当のヴィパッサナーなるんですか??初心者や未熟者が行っているヴィパッサナーは本当はサマタなのかと。
すみません文がめちゃくちゃになってしまったのでまとめます。
日本テーラワーダ仏教協会で教えているヴィパッサナーはサマタ瞑想なのか。
本当のヴィパッサナーは在家ではできないと上のサイトに書いてあった。
それは集中力の違いによってヴィパッサナーかサマタなのかが決まるということなのか、それとも本当のヴィパッサナーというのは本当は別の方法があるのか。
前者であることを願っています。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
2010年07月05日 (月) 13時39分 No.462
こんにちは。
結論だけ言えば、リンク先の説明は自分が引っ張ってきた瞑想法をPRしたいだけでしょう。タメにする極論を持ち出して、人々を混乱させているだけと思います。困ったものです。
ヴィパッサナーもサマタも言葉ですから、自分の持ち上げたいものにヴィパッサナー、貶めたいものにサマタ、というレッテルを貼るために使うこともできます。
また、ミャンマーの山奥に篭って修行しなければ覚れないとか、本格的なヴィパッサナー修行ができないとか言うのなら、それは教えに普遍性がないことになります。自分たちの信者を囲い込みたいために、密教を説く、汚い宗派思考です。
そういう汚い思考の持ち主でも、言葉だけなら弄んで、もっともらしいことを吹聴できるのです。
サマタとヴィパッサナーの定義について、しっかりとして見識を持ちたければ、スマナサーラ長老の『ブッダの実践心理学』シリーズでアビダンマの定義を学ぶことをおすすめします。
そこまで勉強に時間が取れない、ということでしたら、師匠を信頼して、瞬間瞬間気づきを絶やさぬように精進してください。
錫さんに悟りの光が現れますように。2010年07月05日 (月) 13時50分 No.468
マハーシ長老のヴィパッサナー冥想指導についての、アビダンマ的な解説は、以下のテキスト(PDFファイル)を参照して下さい。
質問6,7の答えなどをお読みいただければ、「在家が行っているヴィパッサナーはサマタ」などというレッテル張りをしている一部の人々の主張は、テーラワーダ仏教の教学から見てもまったく噴飯物であることが解ると思います。
Vipassanaa Q&A マハーシサヤドーと現代のヴィパッサナー瞑想法
マハーシ大長老・述/ダンミカーヴィワンサ長老・編/ウ・コーサッラ西澤師・邦訳
http://gotami.txt-nifty.com/mahasi_pa_japan.pdf
錫さんに悟りの光が現れますように。2010年07月05日 (月) 15時40分 No.469
re - 錫(解)リンク先のお坊様は私よりも経験豊富でしょうしスマナサーラ長老とこの件について話をしたそうで。サマタ瞑想もヴィパッサナーの助けになることはわかります。集中力がなければヴィパッサナーにはならない、ということでしょうね。だからといって在家でヴィパッサナーはできない、というのはおかしいですね。表現の仕方がよくないんだと思います。
ありがとうございました。
生きとし生けるものが幸せありますように。
2010年07月07日 (水) 02時59分 No.474
錫さんへ(‘解’ということですが更に一言) - いづるスマナサーラ長老の、日本テーラワーダ仏教協会の教える他でもないただ唯一‘ブッダの真理’に則った実践方法に確信・自信を持って頂きたいので、僭越ながら投稿させて頂きます。
早い話、スマナサーラ長老の教える、日本テーラワーダ仏教協会のヴィパッサナー瞑想で結果を出している‘在家日本人’が実際にいることが分かれば自信が持てると思います。
以前サンガジャパン発行記念講演会『仏教 今仏教のリアルを探して。』でスマナサーラ長老はトークの中で、「阿羅漢になるためには世俗との関係を一切絶つ必要があるからそこまで達した人は日本にはいないが、その前の段階なら日本にも結構いるんじゃないですかねぇ。」という内容のことを仰っていました。今そのコメントを再確認できないのでソースは提供できませんが、凄く印象的だったので覚えていました。見てないので僕は分かりませんが、もしかしたらサンガジャパンVOL.2の付属DVD(その講演のはずです)でそのコメントが聞けるかもしれません。ちなみに、阿羅漢の前の段階とは「預流果・一来果・不還果」のことのはずです。ただ悟った人が‘私は悟っている’なんてことを言うことは有り得ないし、現象として成り立たないので、日本人在家である段階の悟りに達した人を見つけるのはかなり難しいとは思います。それについてはこちらをご参照下さい。
『(68) 解脱者?』
http://www.j-theravada.net/qa/qahp68.html
余談ですが、上の二つのスマナサーラ長老のコメントを総合すると、「スマナサーラ長老は悟っている」ということが成立することになると思われるかもしれません。しかし、実際はそうではなく、‘スマナサーラ長老’という自我・実体はないので、その文章も成立しませんよね。
そういうことで、阿羅漢には出家しないと悟れないということは僕は知識としては知っていますが、不還果までは在家でも悟れるそうです。以前購入したDVDの確か「やる気」のエネルギー源~挫折しないための「意志」と「動機付け」」だったはずですが、その中のご説法でスマナサーラ長老は、「試験に受かるために日々精進して試験に受かるための能力身に着けても、試験日に何らかのトラブルが起きて試験を受けられなくなるということはあり、俗世間の成功は自分の努力以外の、自分ではどうすることもできない条件にも依存してしまうが、仏道にはそういうことはない」というような内容のことを仰っていました。(僕の言葉ですみません。)
ですから、迷わずに精進して頂きたいです。スマナサーラ長老の仰る通~りに実践すれば時機に自分の精進に自信が持てることと思います。
僭越ながらも、錫さんに悟りの光が現れますようにとの願いで投稿させて頂きました。
幸せでありますように。
2010年07月09日 (金) 22時47分 No.484