日本テーラワーダ仏教協会 質問&議論BBS

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目標と方法と期間の問題 - はな
わたしの知人から、大要以下ようなエピソードを聴きました。
医師国家試験を受験しようとしているある学生がいます。通常は、医学部卒業と同時に受験するのですが、自分の目標があって、受験を2年先延ばしにしているといいます。その目標とは、「時間のかかる勉強法でも、自分が完ぺきに理解してから受験したい。なぜなら、優秀な医者になって患者の役に立ちたいからだ。」というものです。そして、彼の言う勉強法とは、医学部教授が「できればこのような学習をしてほしい」といっている1番正当なやり方だけれど、時間がかなりかかるので、みんなは実践しないものだそうです。ちなみに、彼の両親は、2年先延ばしにすることについて、特に異議はないそうです。

ここで質問なのですが、彼の選択は正しいのでしょうか。「合格」という目標・結果だけ考えれば、彼のように時間をかけることに意味はないとも思われます。また、1番正当な学習法を貫くという点では良いように思えるのですが、合格が遅れて経済的に独立しない期間は親にも社会にも迷惑をかけるという点では、よろしくないとも思われます。
みなさんが、仏教の学習を通して、どのようにお考えになるか教えてください。

(注)彼の批判をしているわけでは決してなくて、自分自身、これから先の試験や仕事で、同じような状況(目標・方法・時間・結果についての悩み)に遭遇したときの考え方について伺いたいと思っています。
長々すみません。
2015年04月19日 (日) 14時34分 No.3351
正しい心から生じた行動ならば正しいでしょう。 - Tamostu
彼の目標がより良い医師になる為であり、はなさんの考えうる目標は合格にあり、そもそもの目標が違うので、やり方が違うことになっているのです。多分彼の御両親も医師だったり、高度な教育を受けている一族で、より質の高い技術や知識を手に入れようとすることに、金銭や時間をかけるのに理解があるのでしょう。より富裕層になれば経済的独立ということはなく、遺産や縁故で食べていけることもあります。
彼が金銭的にも余裕があり、環境が許すのならば、医師としての技術をしっかり身に付けたいというのは応援してもいいと思います。
それが、医師の本来の目標である患者を治すことへの近道だと彼はかんがえたのでしょう。
あくまで試験の合格は通過点であって、彼のとってはゴールなのではないということです
仏教で考えるならば、彼のその行為が、病を持つ人への慈悲の気持ちからでた行為なのか、まだ学生でいたいとい怠け心からでた行為なのかで、正しいか悪いかが決まります。
ただその結果を受けるのも彼自身になります。

それから仏教における行動の決定方針は、既に紹介はされていて、

その行為が、
自分の為になるか、
相手の為になるか、
みんなの為になるか、
の三段階でチェックし、全てクリアだったら実行することになります。

この3つを条件としてはなさんのなりの答えをその場その場で出していくといいと思います。
2015年05月07日 (木) 15時10分 No.3367
納得! - はな MAIL
Tamostuさん
 論理的なご説明をありがとうございました。私の頭は「試験=合格あるのみ」という発想で、「試験=いち通過点」という視点に欠けていたと思います。
>>彼が金銭的にも余裕があり、環境が許すのならば、医師としての技術をしっかり身に付けたいというのは応援してもいいと思います。
 仏教的に、客観的評価をするなら、このようになるのですね。
 また、今後の私へのアドバイスとして三段階のチェックを紹介していただき、ありがとうございます。このチェックの実践に励みます!
 大変勉強になりました。
2015年05月20日 (水) 18時49分 No.3378


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